急性骨髄性白血病に合併したTritrichomonas foetusが原因と推定される脳脊髄膜脳炎症例
Tritrichomonas foetus(ウシ流産トリコモナス)は牛や羊の雌雄生殖器に寄生する鞭毛虫で、世界各地に分布している。本原虫は交配時に感染し、生殖器粘膜に炎症を起こし流産あるいは不受胎の原因となることから、古くから畜産上重要な病原体として知られている。文献検索で調べた限り本原虫の人体寄生例は報告されていないが、今回本原虫が原因と推定される髄膜脳炎症例を経験したので概要を以下に記載する。
患者は34歳男性で、既往歴および家族歴に特記すべきことはない。1995(平成7)年3月に急性骨髄性白血病を発症し、都内某病院にて化学療法による治療が行われたが、再発がみられたため、同種骨髄移植の目的で当院に紹介入院となる。入院時検査で尿中にトリコモナスが検出されたが、恐らく膣トリコモナスと判断されたためか治療は行っていない。5月中旬、HLA complete matchの同胞ドナーよりallogeneic PBSCT(peripheral blood stem cell transplantation)を施行し、ステロイドを継続的に投与。経過は良好であったが、移植後20日には眩暈、複視が出現し、キサントクロミー、髄液蛋白や細胞数の増加がみられ、意識障害が出現し、頭部CTで水頭症を確認した。その後、意識障害の悪化、失調性呼吸、水頭症の悪化が認められたため、脳室ドレナージを施行。髄液からは細菌、真菌およびウイルスは検出されなかったが、細菌性髄膜脳炎を疑い各種抗生剤、抗真菌剤、抗結核薬を投与した。その後髄液細胞数の低下は認められたが、髄液蛋白は異常高値を示した。移植後26日にはCMV による多発性潰瘍病変に起因した下血が出現。移植後36日には腎機能障害による脱水、高Na血症が出現、その後腎不全の状態におちいった。移植後39日に初めて髄液中に卜リコモナスが検出されたが、細菌、真菌およびウイルスは検出されなかった。直ちにメトロニダゾールによる治療を実施したが、同日全身性痙攣発作と血圧降下が出現し、翌日死亡した。
髄液および尿中には顕微鏡による直接検査で多数のトリコモナスが検出され、髄液中のトリコモナス数は6.5×106 /mlであった。直ちに髄液および尿の一部を無菌的にAsami 培地、BI-S-33培地、市販のトリコモナス[富士]培地、CTLM培地およびマウス腹腔内に接種し、一部は虫体サイズおよび鞭毛長を計測するため、Glutaraldehyde固定を行った。また、メタノ一ル固定乾燥塗抹標本を作製し、ギムザおよびコーン染色を行い光顕用試料とした。残った髄液および尿の遠心沈渣は定法に従いGlutaraldehydeおよびOsmium tetroxide で二重固定し、電顕用試料とした。トリコモナスは接種したいずれの培地でも良く増殖し、またマウス腹腔内においても良く増殖した。BI-S-33 培地で増殖した原虫を培養開始後48時間後に採取し、光顕および走査電顕用試料を作製した。光顕および走査電顕による観察から、髄液、尿、そしてBI-S-33 培地で増殖した虫体はいずれも同一の形態を示し、Glutaraldehyde 固定後の虫体サイズは15.7±2.5×7.8±1.4μmであった。前鞭毛は観察し得た原虫のすべてにおいて3本で、その長さは等しく13.6±1.4μmであり、後鞭毛の自由鞭毛の長さは13.3±1.5μmであった。これらの形態学的特徴はTritrichomonas foetusのそれに完全に一致しており、他の前鞭毛が3本のTritrichomonas属原虫およびTrichomonas hominisとは明らかに異なっていることから、今回分離されたトリコモナスはTritrichomonas foetusと同定した。
病理解剖および病理組織学的検査によって髄膜脳炎、脳室炎、精巣上体炎、前立腺炎が認められ、恐らく全身感染を起こしていたものと推定された。髄膜脳炎の病巣部には確実に同定はできないもののトリコモナスと推定される虫体が多数認められた。しかし、細菌、真菌およびウイルスは検出されなかった。
以上の結果から、今回の症例は生殖器系に寄生していたTritrichomonas foetusが宿主の免疫能低下に伴い全身感染をおこし、その結果として髄膜脳炎および脳室炎を併発したものと推定された。しかし、本原虫の感染経路、あるいは本原虫の感染と宿主免疫能との関連性といった点については明らかではない。
慶應義塾大学医学部熱帯医学・寄生虫学教室
田邊將信 竹内 勤
慶應義塾大学医学部内科学教室
岡本真一郎 池田康夫
慶應義塾大学医学部病理学教室
福島佐知子 山田健人 秦 順一