The Topic of This Month Vol.18 No.5(No.207)


百日咳 1982〜1996

日本における百日咳は、約4年毎の流行を繰り返しながら、その患者数と死者数は1974、75年のワクチン接種後死亡事故まで急速に減少していったが、1975年のワクチン接種一時中止とその後のワクチン接種率の低下によって、1976〜81年に全国的な百日咳の流行が起こった。1981年に、無毒化したPT(百日咳毒素)とFHA(繊維状赤血球凝集素)抗原が主成分で副反応を軽減した改良百日咳ワクチン(沈降精製百日せきワクチン、Acellular pertussis vaccine)の接種が開始され、ワクチン接種率が向上したこと(M.Kimura, Develop. Biol. Standard., Vol.73, p.5-9, 1991)によって、その届出患者数は再び減少していった(図1)。しかし1975年以降、百日咳ワクチンの集団接種における投与開始年齢は2歳以上であった。1988年12月に厚生省は、百日咳の予防接種は個別接種を基本とし、集団接種においても生後3カ月から接種開始ができることを通知した。さらに1994年に予防接種法が改正され、沈降精製百日せきジフテリア破傷風混合ワクチン(DaPTワクチン)の予防接種は強制の集団接種から勧奨の個別接種に大きく変更され、DaPTワクチンの標準的な接種年齢は生後3〜12カ月となった。

感染症サーベイランス情報の百日咳様疾患の週別患者発生状況を図2に示した。1982〜83年には4〜5月と8〜9月にピークが見られたが、その後は患者発生数の減少とともに明確なピークはなくなり、患者発生が比較的多かった1986、1990、1991年の8〜9月に小さな山が見られたのみになった(図2)。年間の患者報告数は、1982年には一定点当たり12.59(全定点報告数23,675)で、徐々に減少しながら約4年毎に増加するというパターンを示し、1993年には1.51( 3,666)と最少となった。その変動パターンは、図1の届出患者数と同様であった。

感染症サーベイランス情報の年間患者報告数は、伝染病予防法に基づく届出患者数の約20倍も多く、全国に換算すると現在でも年間数万例の患者が発生していると推定される。前ページ図3に示すように百日咳様疾患患者の大部分は乳幼児で、1歳以下の年齢群が半数を占め、その比率は患者発生数が比較的多い年に高くなる傾向があった。また近年、10歳以上の比率が若干増加する傾向が見られた。

病原微生物検出情報に報告された百日咳菌の年別検出数は、患者数の増減パターンと類似した傾向であった(図4)。その菌検出は31都府県と6市の地方衛生研究所(地研)・保健所および医療機関から報告されていることから、百日咳菌はほぼ全国的に分布していると推定される。なお、病原微生物検出情報では百日咳菌血清型別の情報は収集していないが、木村ら(感染症誌、70巻、19〜28ページ、1996)の1988〜92年全国調査によれば、因子1、3を含む型が優占(98%)していた。

伝染病流行予測調査によると、百日咳の防御抗原(PTおよびFHA)に対する一般健康者血清中のELISA抗体保有状況は、各年齢群ともにワクチン接種者が未接種者に比較して有意に高い保有率を示した(図5)。1990、1994、1995年の抗体保有率を比較すると(図6)、抗PTおよび抗FHA 抗体ともに2歳以下の年齢で年々上昇しており、例えば1歳の抗PT抗体保有率は1990年17%から1994年39%、さらに1995年55%へと高率に推移している。この結果は1988年の厚生省通知ならびに1994年の予防接種法改正によって1歳以下のワクチン接種率(I期2回以上接種)が上昇したこと(1990年 5.6%、1994年23%,1995年33%)を反映していると考えられる。

感染症サーベイランス情報に1987〜1996年の10年間に報告された百日咳様疾患患者中、予防接種歴有りと報告されたのは 1.3%( 918/68,586)であり、また、木村ら(同上、1996)が菌分離陽性百日咳患者中I期2回以上のワクチン接種歴がある者はわずかに 1.8%と報告していることからも、日本での百日咳に対する重要な予防対策は、乳幼児へのワクチン接種であると考えられる。今回の予防接種法改正がワクチン接種率、抗体保有率ならびに百日咳患者数にどのような影響を及ぼすのか、今後も継続的な調査が重要である。


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