山形県で発生したレプトスピラ病
近年、全国的にレプトスピラ病の発生は減少し希少感染症の一つに挙げられている。
宮城県では1959年に患者 882名(死亡者35名)にも及ぶワイル病の大流行があり、全国でも有数の多発県で届出伝染病に準じて取り扱われてきた。しかし、1976年以降は激減し、1987年に1名の患者が確認されたのみである。
一方、これらの宮城県で発生したワイル病は患者の血清診断および患者血液から分離したレプトスピラの血清型からLeptospira copenhageniによることが判明している。さらに、野ネズミの腎臓からはL.copenhageniとL.autumnalisを分離している。
今回、1996年10月〜1997年9月までに山形県内の医療機関を受診し、黄疸、結膜充血、四肢筋肉痛および腎機能の低下等が認められた患者3名の血清診断を実施した結果、秋季レプトスピラ病およびワイル病であることを確認した。主な臨床症状および検査結果は表に示した。
症例−I:1996年10月下旬より左上肢痛が認められ、11月2日より38℃台の発熱、食欲不振、四肢筋肉痛が出現し5日に近医を受診した。翌日、町立病院へ入院したが腎機能の低下が著明なため、7日に山形県立中央病院へ転院した。転院時の臨床症状からワイル病を疑いストレプトマイシン(SM)等による治療が開始され、以後経過良好で26日に退院した。抗体検査は顕微鏡学的凝集反応を用い、7日と14日に採取した血清について測定した結果、L.autumnalis(秋疫A株)に有意の抗体上昇が確認され、秋季レプトスピラ病であることが判明した。
症例−II:1997年9月19日より倦怠感、筋肉痛と発熱が認められ22日に近医を受診した後、23日に長井市立総合病院へ入院となった。入院時よりワイル病を疑いアンピシリン、イミペネム/シラスタチン合剤による治療を開始した。その後順調に回復し、10月末日に退院となった。2回の抗体測定結果からL.copenhageni(芝浦株)に有意上昇し、ワイル病であることが確認された。
症例−III:1997年9月9日より倦怠感が認められたが旅行に出かけ、帰宅後13日より食欲が無く水分のみを摂取し臥床していた。しかし、15日に下肢痛、19日には眼球と皮膚の黄染に気付き町立病院を受診し入院となった。腎機能障害が著しく透析等の治療がなされたが改善は認められず、意識障害も進行したため、25日に山形県立中央病院へ転院となった。直ちにワイル病を疑いSM等の治療が開始された。11月1日には軽度の意識障害が残るものの回復し退院となり、現在も通院しながら治療を継続している。血清検査結果から、症例−IIと同様にL.copenhageniに抗体上昇が確認されワイル病と診断された。
以上、3症例は表からもわかるようにDICを伴った重症例であり、特に症例−IIIは発病から治療開始までに16日を経過し意識障害も併発していた。しかし、SMの大量投与の効果が認められ大事には至らなかった。
各症例の感染場所を推定すると、症例−Iは自宅が沢水を飲料水としている山深い環境にあり、山野に生息するアカネズミから排泄されたレプトスピラによって感染した可能性が考えられた。症例−IIは潅漑用水が完備されていない水田で農作業中に感染したと推定された。また症例−IIIは裸足で花壇の手入れを行う機会が度々あったということから、その際に感染したと考えられた。
今回、散発ながら続けて3名のレプトスピラ病患者が確認されたことは、現在でも自然界においてレプトスピラの汚染があることを示しており、医療現場への情報提供が望まれるところである。
宮城県保健環境センター
秋山和夫 渡部 綾 上村 弘 沖村容子 白石廣行
山形県立中央病院
鈴木昌幸 青山一郎 斉藤幹郎
山形県長井市立総合病院 斉藤 勝
山形県衛生研究所 村山尚子