エンテロウイルス71型の分離 1997年−滋賀県

エンテロウイルス71型分離状況:1997年、滋賀県ではエンテロウイルス71型(EV71)が17株分離された。分離された患者の症状は、手足口病(HFMD)が10名、HFMDに無菌性髄膜炎(AM)を併発していた者が6名、および上気道炎が1名であった。性別内訳は男8名、女9名であり、年齢分布はほとんどが5歳以下で特に1歳に多かった(表1)。月別分離株数は、8月および9月に多く、AMを併発した者は8〜10月に分布していた(図1)。

分離材料には咽頭ぬぐい液を、AM患者についてはさらに髄液および糞便を用いたが、すべて咽頭ぬぐい液からのみ分離された。分離されたウイルスの型別には、自家製家兎免疫血清を用い中和法で同定した。

分離に用いる細胞について:これまで当所では、EV71の分離にはHeLa細胞を用いてきた。1987〜1988年の流行ではHFMD患者から11株、AM患者から7株分離している。しかし、1994年の全国的なEV71の流行で、患者の発生があるにもかかわらずEV71は分離されなかった。さらに今回の流行時、臨床側からEV71に対して抗体上昇が確認されたにもかかわらず、ウイルスが分離されていないとの指摘を受けた。そのため、愛媛県立衛生研究所からFL細胞の分与を受け、あらためて培養を行った。細胞別の分離数はFL細胞16株、HeLa細胞3株、RD-18S細胞およびVero-E6 細胞1株と、FL細胞で最も分離が良かった。このように従来用いていたHeLa細胞ではEV71の分離は悪く、FL細胞を用いることで分離率を高めることができた。このような分離率の低下の原因として、当所所有のHeLa細胞の感受性の変化も考えられるが、EV71の流行ウイルスは1989年以降遺伝学的に異なっていることが報告されており、むしろウイルス側の変化の可能性が考えられる。

HFMDの流行について:1997年の滋賀県感染症発生動向調査における、HFMDの週別定点当たりの患者数は、7月に入って増えはじめ第29週にピークを示し、第35週には一旦減少したのち、第38週に再びピークがある2峰性を示したが、第29週のピークは全国の状況に一致していた(図2)。これを保健所管内別にみると、隣接した大津、草津、今津管内で先行して流行があり、特に今津管内では大きな流行が観察された。これらの地域での流行が終わりかけたころ、水口、八日市、彦根、長浜管内で流行が始まった(図3)。県内において患者発生が2峰性を示したのは、このように時期をずらして異なる地域で流行したためであった。また、大きな流行が観察された今津管内では、流行は7週間で終息したが、他の地域ではだらだらと続き、特に長浜管内では流行は20週以上に及んだ。

1997年の滋賀県感染症発生動向調査におけるHFMDの年間患者数は、57.43名/定点であり、86.03名/定点であった1988年、58.17名/定点であった1992年に次ぐ、大きな流行であった。なお、本発生動向調査における患者の年齢分布は4歳以下がほとんどを占めた。1997年の滋賀県におけるHFMD患者から分離されたウイルスはEV71のみであり、1997年の滋賀県におけるHFMDの主病因はEV71と考えられる。

AMの病因としてのEV71:EV71はAMを伴ったHFMD患者からも分離されているが、1997年の滋賀県におけるAM患者から分離されたウイルス型で、最も多かったのはエコーウイルス30型の26株であり、ついでEV71およびエコーウイルス25型の6株であった。1997年の滋賀県におけるAMの主病因はエコーウイルス30型と考えられるが、EV71の関与もあり、EV71によるHFMDに伴ったAMが一部に流行したと考えられる。

滋賀県立衛生環境センター
横田陽子 大内好美 吉田智子

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