旧ソ連でのジフテリア大流行について

旧ソビエト連邦で1990年に始まったジフテリアの大流行は、患者数14万人以上、死者数4,000人以上と伝えられている(1996年までの状況はWHO、WER、71、No.33、245、1996および本月報Vol.18、No.5、111、1997外国情報参照)。今回の流行で罹患率が高かった年齢層は、就学年齢および青年層(10万人当たり12.4〜18.2人)と40〜49歳(10万人当たり16.7人、訳者註:1991年〜1996年までにこの年齢層であった人の生まれ年は1942年〜1956年)であり、40〜49歳は全死亡数の45%を占め、最も死亡率が高かった。流行の原因として、1)特定年齢層の成人で感受性が高くなっていた、2)子どもの感受性が高くなっていた、3)重症(gravis)型クローンの出現、4)都市部での人口密集・劣悪な生活環境と兵役、5)旧ソ連崩壊後の経済危機によりワクチンの供給が充分ではなく(ロシア以外のNewly Independent States:NISでは、ワクチンが製造されていなかった)、移住制限の破綻、難民の流入などによりNIS間相互で大規模な人口の移動が起こり、流行地域が拡大した、などが考えられる。

ソ連でジフテリアの予防接種が全国規模で行われるようになったのは1958年からである。1940年代初め〜1950年代終わりに生まれた人々は、小児期に予防接種の普及でジフテリアの発病率が激減し、自然感染による免疫獲得の機会が減少した。この年齢層で抗体保有率の低いことは血清疫学的に確認されており、それがこの年齢層の患者数と死亡数の異常な多さに反映されている。旧ソ連だけでなく、他の欧米諸国でもジフテリアに対し高い感受性を持つ成人が高率に存在するようになっていることが、血清疫学調査で明らかになっている(日本の年齢別抗毒素陽性率については本月報Vol.19、No.10、224、特集図4を参照)。これは自然感染による免疫の機会がなくなった上、ワクチンにより得られた免疫が加齢とともに減少していくにもかかわらず、成人における追加ワクチン接種がルーチンで行われていないためである。

このように、子どものころに予防接種がうまくいっていると、ジフテリアのように終生免疫を獲得しにくい感染症については、やがて感受性の高い大人が増え、このような大流行となる危険があることを今後の教訓にすべきである。

(CDC、EID、4、No.4、1998)

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