北海道におけるエキノコックス症の血清診断
北海道における多包性エキノコックス症の血清学的免疫診断の最初の試みは1951年の礼文島の調査において、患者の血清と尿を用いた沈降反応と、患者の尿を抗原とした皮内反応とを実施したことに始まる。1952年には患者の切除病巣肝のアルコール浸出液を抗原とした補体結合反応も試みられた。その後、野ネズミより採取した多包虫を実験動物の腹腔内で継代できるようになり、安定した抗原材料が確保され、これをもとに各種の血清学的検査が試みられた。最初の頃は主に包内液を抗原とする単包虫症の術式を参考に研究が進められたが、多包虫の包内液は抗原に適さないことがわかり、以後はもっぱらシストのホモジネートもしくはその抽出液が抗原とされた。
1967年以降は皮内反応検査を追加した。その間1965年頃から新たに道東地方に本症患者の発生が相次ぎ、礼文島に加え道東一円の住民を含めた検診が必要になった。汚染地域の拡大に伴って受診者が増加したこともあって、自覚症状のない感染者の早期発見・早期治療という目的にかなう感度の高いスクリーニングの必要性にせまられ、1972年以降は従来の皮内反応および補体結合反応検査に加え、間接赤血球凝集反応および免疫電気泳動法が導入された。これら4種の血清学的検査は感度および特異性に一長一短があり、その結果一部の検査のみが陽性になる場合も多く、疑陽性(そのうちの大部分は後に陰性化)で要経過観察という例が増えて住民に必要以上の不安を与えることも少なくなかった。
1983年からはELISAの導入が図られ、従来の検査法と比較検討された。抗原として、非特異的反応の原因となる宿主成分の混入を防ぐため、洗浄した原頭節の外皮(tegument)をTriton X-100で可溶化したものを用いることで、感度および特異性に格段の改善がみられた。ELISAは多くの検体を一度に処理でき効率的なうえ、自動化やコストの引下げの点でも有利なことから、従来の検査に代わり全道に拡大した汚染地域の住民の一次マス・スクリーニングテストとして普及し、現在も市町村が実施する検診において年間約7〜8万人の検査に用いられている。
1987年にはウエスタンブロット(WB)法が導入された。ELISAが抗体の総和を表わすのに対し、この方法は各々の抗原成分に反応するそれぞれの抗体を解析できる利点があり、感度および特異性に優れ、ELISA陽性・疑陽性例の確認試験として用いられている。WB法では感染が確認された患者をその反応パターンから2型に分けることができ、30〜35、55、66kDaの抗原すべてもしくは後二者に対する抗体が認められるものを完全型、30〜35kDaの抗原のみに対する抗体が認められるものを不完全型とした(図1)。これらのパターンの違いは病巣の状態を反映し、不完全型が初期相を、完全型が長期感染相を示すと考えられた。その上で二次検診によるこの二つのパターンの出現分布を年次別に解析すると、北海道におけるエキノコックス症の疫学的な浸淫状況を推定することが可能と考えられる(図2)。また患者の術後のフォローアップでは、不完全型患者は完全型よりも短期間で抗体の陰転化が認められた。
1997年、北海道の某動物園の1匹のニホンザルの死後剖検で多包虫感染が明らかになった。園内の生存するサル達の血清検査の依頼を受け、ELISAおよびWB法で検討したところ、57例中12例が疑陽性以上を示した。大学での超音波による精検では、WB法で完全型を示した全例の肝に比較的大きなシストの存在が示唆されたのに対し、不完全型ではシストがまだ見つからないか、あったとしても小さいものと推定され、当所での血清診断の有効性が裏づけられるとともに、ニホンザルのきわめて珍しい多包虫集団感染事例が確認された。ヒトでは感染が明らかになった時点で直ちに手術などの治療が施されるため、不完全型から完全型への移行の確認やそれに要する期間を知り得ないが、今回見つかった不完全型を示したサルが血清学的に今後どのような経過をたどるのか興味が持たれる。
以上の血清診断法については、そのほとんどが当研究所の職員の長年にわたる研究の成果にもとづくものであり、現在もWB法で30〜35kDaに位置する抗原(C抗原と命名)が、多包虫症の早期診断に特に重要と考え、さらに研究を進めている。
北海道立衛生研究所 木村浩男