海外におけるシラミ症およびシラミ媒介性疾患の現状
この情報においては、世界におけるシラミ症の現状をアタマジラミ(Pediculus capitis)およびコロモジラミ(P. humanus)を中心にWHO発行のHuman Lice(WHO/CTD/WHOPES/97.8)を参考に概説し、後半にコロモジラミによるシラミ媒介性疾患の現状についてまとめる。
1)アタマジラミ症の現状
アタマジラミの寄生は世界的に12歳以下の子供に多い傾向が認められ、同一国内での人種による寄生率の差は顕著ではない。しかし、頭髪の長さや性別に関係があり、同年齢の男児と女児の寄生率を比較した場合、明らかに長髪の女児に高い寄生率が見られる。また、米国での調査では、短い頭髪の黒人のアタマジラミ寄生率が白人と比べ有意に低いことが報告されれている。今までに、アタマジラミの寄生と家族構成、経済状態、両親の教育レベル、衛生状態等との因果関係の存在が指摘されている。しかし、わが国においては、このような社会的経済的要因とアタマジラミ症との関係は明瞭に解析されておらず、その因果関係は不明である。
表は先進諸国におけるアタマジラミ調査の一部の結果をまとめたものである。全体的にアタマジラミの寄生率には国、地方、調査施設、季節等で大きく違いが見られるが、先進諸国においても相当高い寄生率が認められる。以下に開発途上国を含めてアタマジラミ症の現状を概説する。
南米でのアタマジラミの寄生率は概して高く、チリでの1981年の調査では、男児が16%、女児で27%の結果が報告されている。チリの田舎での調査では、子供達のアタマジラミの寄生率は50%近くの値を示している。米国シラミ症協会(US NPA)はアタマジラミの駆除に積極的に取り組んでおり、同協会の報告では、全米で 260万世帯が毎年アタマジラミの寄生を経験し、全学校生徒の8%にアタマジラミの寄生が見られると推定している(Am. J. Pub. Hlth., 82: 857-861, 1992)。
デンマークのシラミ相談件数はここ数年明らかに増加傾向にあり、アタマジラミ駆除剤の売り上げ数も1994年以降年間14万個を超えている。
フランスでは460万回も患児の頭を処理できる量の駆除剤が1989年に売られている。1990〜1991年のボルドーでのアタマジラミ調査では39〜63%の子供達に寄生が見られ、最も高い寄生率を示した地域は都市周辺部で、失業率が17%を示す地域であった。
1990〜1992年にポーランドの3都市で行われた6〜15歳の子供約2万8千人のアタマジラミ調査では3.2%に寄生が見られ、社会的経済学的要因の解析では、子供数4人以上、両親の教育歴が小学校卒業程度、井戸の使用等に因果関係が認められている。
イスラエルでは3〜14歳の子供の調査で15〜20%の寄生率が報告されている。キブツの子供達のアタマジラミ寄生率は50%を超えるとの報告がある。しかし、患児のシラミ寄生数は1〜11匹程度で、多数寄生の子供は少ない。また、社会的経済的要因解析では、アタマジラミの寄生と、父親の低学歴、平均より若い母親の年齢などとに強い因果関係が認められた。
東部ナイジェリアの学童 4,242人のアタマジラミ調査では18%に寄生が認められ、そこでの要因解析では、学校等での過密状態、長髪、家族数、年齢などとの関係が指摘されている。ケニア、タンザニア、エチオピアでも5〜30%の感染率が報告されている。
インドの都市部周辺での166家族(936名)の調査では、全体の寄生率は17%であった。マレーシアでもアタマジラミの寄生率は高く、1981年の大規模な調査では、11%の子供達に寄生が認められた。また、貧困家庭の子供達の寄生率は34%と明らかに高い傾向であった。パキスタンでの2,000人規模の学童の調査では女児で49%、男児で40%と高い寄生率が報告され、1980年代の韓国でのアタマジラミ調査でも寄生率が50%を超すとの報告がある。
2)コロモジラミ症の現状
コロモジラミは現在でも民族紛争、大規模な自然災害に遭遇している人々、難民、囚人、ホームレス等の人々に認められる。先進諸国でのコロモジラミの患者数はアタマジラミの患者数と比べて非常に少ないが、米国、フランス、オランダ、デンマーク、日本等のホームレスの人々に寄生が認められている。1993〜1994年にかけてオランダのユトレヒト市のホームレス31人から合計で41回コロモジラミが検出されている。また、デンマークの衛生害虫相談ではコロモジラミの相談が最近増加しているとの報告がある。コロモジラミは吸血時以外は下着等に付着して生活しているので、ネパール、インド、中国、トルコ、中南米などの山岳地帯に住んでいる人々に普通に寄生が見られる。これは、下着、衣服等を取り替える頻度が極端に低いこと、入浴する習慣がないことなどが関係していると考えられる。エチオピアの学童1,544人を調べた結果、67%にコロモジラミの寄生が認められ、最高で約600匹のシラミが採集された。その他、スーダン、ルワンダ、ブルンジ、ウガンダ、ザイール等のアフリカ諸国でもコロモジラミの寄生は一般的である。
3)シラミ類の殺虫剤抵抗性とシラミ症対策の現状
世界的に、アタマジラミ、コロモジラミの駆除には有機合成殺虫剤が広く用いられている。現在、有効な薬剤として利用されている殺虫剤は、カーバメイト剤のカルバリル、有機リン剤のマラチオン、ピレスロイド剤としてはペルメトリンおよび日本では唯一のアタマジラミ用の登録薬として使用されているフェノトリン等である。
カルバリルは他の薬剤に比べてより多くの処理回数を必要とする薬剤であるが、ピレスロイド抵抗性(抵抗性比>100)を示すアタマジラミにおいても本薬剤に対しては低い抵抗性比(0.5)を示した例が報告されている。マラチオンのアタマジラミに対する抵抗性はフランスと英国で、コロモジラミの抵抗性はブルンジとエチオピアから報告されている。フェノトリンとペルメトリンのアタマジラミに対する抵抗性はチェコ共和国、フランス、英国、アルゼンチン等で報告がある。わが国におけるアタマジラミのフェノトリンに対する抵抗性に関しては現時点ではまったく報告がない。英国においては、DDTを除いてカルバリル、マラチオン、パーメスリンはコロモジラミに有効であったと報告されている。
殺虫剤が作用する神経系の低感受性で生ずる薬剤抵抗性では、昆虫種を問わずDDTおよびピレスロイド剤全般に対して交差抵抗性をもたらすことが知られている。したがって、ピレスロイド剤の使用に際して、抵抗性の発達に配慮した使用法が求められる。
海外での具体的なアタマジラミ対策として米国と英国の例を紹介する。米国では全国組織の全米シラミ症協会(US NPA)が発足して、インターネットを通じてアタマジラミの駆除法を積極的に啓蒙している(http://www.headlice.org)。また、同協会ではアタマジラミの駆除は殺虫剤を頼らず、アタマジラミ専用櫛で幼虫、成虫を取り除く物理的な方法を推奨している(http://www.licemeister.org)。英国でもアタマジラミ問題の専門ボランティアグループが存在し、アタマジラミの検出法、駆除法など適切な情報を発信している。また、英国のCommunity Hygiene Concernは10月31日をアタマジラミ対策の日(Bug Busting Day)と定め、幼稚園や小学校の先生が子供達にアタマジラミのことをよく説明し、親と一緒に自分の頭を検査することを推奨している。検査にはプラスチック製の専用櫛が使われ、不明の検体が見つかった場合はそれらを透明テープで台紙に張り付けて送り、調べてもらうシステムができ上がっている。また、アタマジラミで困っている親を助けるためにヘルプラインも設置されている。
コロモジラミの駆除法として最も効果的な方法は下着および衣服を定期的に取り替えることである。なお、シラミが付着している寝具、タオル、衣服等は55℃以上の温水または温風で10分間以上処理すれば卵と成虫を完全に殺すことが可能である(Med. Entomol. Zool., 46:77-79 & 83-86, 1995)。殺虫剤抵抗性の発達の問題が進行している現状を考慮すると、今後、より有効で安全な物理的駆除法の確立が望まれる。
4)シラミ媒介性疾患の再興
最近、コロモジラミが媒介する感染症の再興がアフリカ諸国の劣悪な衛生環境で生活している人々や先進国のホームレスの人々の間で確認され始めている。
I.発疹チフス:ブルンジでは1995年にNgoziの刑務所でコロモジラミの蔓延と同時に原因不明の高熱患者が発生した。患者の血液と採集されたコロモジラミから発疹チフスの病原体であるRickettsia prowazekiiが検出された。この流行後、1996年には3,500名の患者が、また、1997年1〜5月にかけては約24,000名の患者がブルンジ国内で発生した。患者から採取された血液の87%およびコロモジラミの25%から病原体が検出されている。発疹チフスに関する事例を以下に紹介する。
事例1:ブルンジの刑務所で収監者の健康管理の仕事に2カ月間従事した国際赤十字の看護婦がスイスに帰国後高熱、悪寒、筋肉痛を主訴として入院した。彼女の旅行歴、症状などからウイルス性出血熱と腸チフスが疑われて、発疹チフスに対する適切な治療は行われなかった。彼女は発症後9日目に発疹チフスによるショックと多臓器不全で亡くなっている。このケースは劣悪な衛生環境で仕事に従事している医療関係者がコロモジラミ媒介性疾患に感染するリスクが高いことを示しており、国際的な感染症対策の現状に問題を投げかけた(Lancet, 352:1709, 1998)。
事例2:1997年ロシアのLipetsk市では精神病院勤務の看護婦が高熱、全身性の斑状・丘疹状の発疹、精神錯乱状態で病院を受診し、発疹チフスと診断された。彼女の衣服にはコロモジラミの寄生が認められ、精神病院の入院患者23名および病院スタッフ6名にも同様の症状が認められた。当時、同市の暖房供給システムは停止状態で夜間は−10℃まで室温が下がり看護婦は衣服を取り替えていなかった(Lancet, 352:1151, 1998)。ロシアでの政治体制の変革に伴う経済・社会状況の変化は疾病構造を明らかに変化させ、ロシア国内で20年間見られなかった発疹チフスを再興させた。
II.回帰熱:1991年に南西エチオピアではBorrelia recurrentisによる回帰熱の流行が起こり、この地域の人口の2/3にコロモジラミの寄生が見られ、全家庭の15%に回帰熱の流行が認められた。エチオピアでは回帰熱が断続的に流行しており、毎年1万人ほどの患者が発生していると推定されている。また、1998〜1999年にかけて、スーダンで回帰熱の流行が起こっており、数百人以上がこの流行によって死亡したと推定されている。
III.塹壕熱:1998年、フランスマルセイユのホームレス71人中10人から塹壕熱の病原体であるBartonella quintanaが検出され、21人に高い抗体価が認められた。血液からの病原体の検出および抗体検査から最近の感染であることが示唆され、陽性者にはコロモジラミの寄生が見られた(N. Eng. J. Med. 340:184-189, 1999)。また、PCRの手法を用いて世界6カ国から採取されたコロモジラミの病原体保有状況を調査した最近の仕事では、フランス、ロシア、ペルー、ブルンジ等のシラミからB. quintanaが検出された(J. Clin. Microbiol. 37:596-599, 1999)。
このように、第一次および第二次世界大戦時代の兵士に大流行した塹壕熱が最近一部の先進国のホームレスの人々に流行しはじめ、発疹チフスおよび回帰熱はアフリカ諸国を中心に断続的に流行している。日本を含め第二次世界大戦後シラミの寄生からほぼ解放されたと考えていた先進諸国の子供達にアタマジラミは徐々に蔓延しており、コロモジラミもホームレスを中心に増加しつつある。このような状況下では、今後、世界的にシラミ媒介性疾患の疫学調査を積極的に行う必要性があり、わが国においてもシラミ症の発生状況を継続的に調べることがますます重要となってくる。
国立感染症研究所・昆虫医科学部
小林睦生 冨田隆史 安居院宣昭