風疹ウイルスの胎児感染率の低下

母親が風疹に感染しても、必ずしも胎児まで感染が及ぶわけではないが、母親の感染の事実や可能性の指摘によって、先天性風疹症候群(CRS)の発生を危惧した人工流産が絶えなかった。この過剰防衛とでも言うべき人工流産の抑制のために胎児におけるウイルス遺伝子診断法を開発し、現在まで臨床応用してきた。1987〜1999年の13年間で、風疹特異的な発疹の出現した母親において、ウイルスの胎児感染率が減少してきた傾向が見られた。

 方法:1987〜1999年の13年間に、胎児風疹のウイルス遺伝子診断を行った343例の中で、母親に風疹特異的な発疹が出現した顕性感染131例と、不顕性感染であったが胎児感染の証拠があった7例の合計138症例を対象として、年次別の垂直感染率を算出した。1987年については、遺伝子診断法がまだ確立されていなかったので人工流産後の保存組織を用いた。胎児診断に用いた組織は、胎盤絨毛、臍帯血、羊水であり、少なくとも1組織から風疹ウイルスE1遺伝子が検出されれば、胎児感染陽性とした。母親に発疹の出現した妊娠週は、最終月経の初日から起算した。

 成績:年次別の症例数と胎児における遺伝子陽性率は1987年(13例)100%、1991年(6例)67%、1992年(47例)34%、1993年(26例)50%、1994年(11例)0%、1995年(4例)0%、1996年(12例)8%、1997年(12例)0%、1998年(5例)10%、1999年(0例)となり、1994年以降の胎児感染率の急激な低下が見られた()。1996年の1例の陽性は、子宮内死亡例である。1991〜93年は不顕性感染であったのに、胎児感染7例があった。

 考察:胎児感染率の急激な低下の原因として、(1)検出感度の減少、(2)検体を採取した妊娠時期の偏り、(3)検出初期における陽性検体からの迷入、(4)流行ウイルス株の交代、(5)ウイルス自身の変異などの可能性が考えられた。(1)については、保存してあるRNAを用いた再試験で、全く同一の結果が再現された。(2)については、初期(1987〜1993年)では、妊娠早期から中期まで広く検体が採取されているのに対して、1994〜1998年では、中期の採取が主であった()。しかし、中期のみに注目しても、この胎児感染率の低下の傾向は不変であった。(3)については、初期の頃(1987および1991年)の陽性検体5例(図の★)について、E1遺伝子1,441塩基の配列を比較したところ、5例および陽性対照として用いたM33株の計6株の間で、相互にすべて異っていた。従って、陽性検体からの迷入は否定された。(4)については、E1遺伝子の塩基配列による分子系統解析では、確かに日本の分離株の間で、年代ごとの流行株の交代が見られている。しかし、これらは、抗原的にはほとんど同一である。(5)については、(4)の分子系統解析はE1遺伝子の塩基配列のみによるものであり、他の領域を含めてすべての遺伝子とその翻訳産物の性状比較が必要である。

興味深いことに、この1994年以降の胎児感染率の低下の傾向が、ワクチンの普及による1994年以降の風疹患者発生数の減少(特集図1参照)と時間的に相関、対応していることである。流行規模の縮小により、母親に発疹を出現させるという意味での病原性については不変であるが、胎児感染という意味での病原性については弱毒化してきていると思われる。今のところ、(4)(5)について、直接的な因果関係は不明である。

 結論:1987〜1999年の13年間で、風疹特異的な発疹の出現した母親において、ウイルスの胎児感染率が減少しており、この原因としては、ウイルス自身の変異の可能性が高いと考えられた。また、風疹ウイルスの病原性の指標として、感染者の発疹等の臨床症状出現以外に胎児感染性という別の因子も考えられた。

国立感染症研究所ウイルス製剤部 加藤茂孝

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