1987年大阪でみられたアデノウイルス7型肺炎

本邦におけるアデノウイルス7型(Ad7)は、1994年以前はほとんど報告されていなかったが、1995年以降各地で報告されるようになった。また、重症肺炎に関しても、1996年に千葉で報告されたのを初めとして、1997〜98年には全国的に広がりを見せた。今回我々は、1987年に大阪府下の病院で、肺炎で死亡した3名の乳幼児のうち、2名の剖検肺組織(凍結保存)よりAd7を分離同定したので、その概要を報告する。

なおウイルス分離には、FL細胞を用い、デンカ生研の中和用抗血清を用いて同定した。DNA制限酵素解析はBam HI、Sma I、Hin dIII 、Bst EIIを用いた結果である。

症例1は2歳11カ月の女児、心肺に基礎疾患あり。1987年5月に外泊中に発熱、9日後に呼吸不全のため死亡。電顕観察および免疫組織化学により剖検肺にアデノウイルス粒子および抗原を確認。凍結保存肺組織乳剤よりAd7を分離。

症例2は1歳5カ月の男児、VATER症候群。1987年5月に外泊中に発熱し、その10日後に呼吸不全で死亡。電顕観察および免疫組織化学により剖検肺にアデノウイルス粒子および抗原を確認。剖検肺組織は凍結保存されていなかったため、ウイルス分離は行っていない。

症例3は8カ月の男児、特別な基礎疾患はなし。1987年6月に嘔吐下痢、発熱を発症し、その4日後に肺炎で入院。肝腫大、意識障害ののち、10日後に呼吸不全のため死亡。電顕観察および免疫組織化学により剖検肺にアデノウイルス粒子および抗原を確認。凍結保存肺組織乳剤よりAd7を分離。

大阪府下では、1987年当時Ad7の分離報告はなく、ウイルス学的な背景は、全く不明であるが、この年近畿地方では京都市、奈良県でAd7が分離されている。ただし全国的にみてもAd7の報告はほとんどなく、大阪で重症肺炎例のみから分離されたことは、疫学的には説明がつかない。なおアデノウイルスの遺伝子型は、京都市、奈良県と同様に7dタイプ(中国型)であった。今回の症例によってAd7肺炎が1987年にはすでに存在していたことは明らかになったが、それ以後、大阪でのAd7は、1996〜98年の7dvタイプによる流行まで出現せず、Ad7の生態は不明のままである。1980年代の肺炎患者の剖検肺組織が残っていれば、Ad7の検査をやってみる必要があるかもしれない。

今回の症例によってAd7肺炎では、ウイルスが直接肺組織を侵襲することが明らかになったことは意義深い。肺におけるウイルスの増殖が肺炎を起こすものと考えられ、上記の結果は、これからの治療方針に役立つことが期待される。

大阪府立母子保健総合医療センター 吉田葉子 中山雅弘
大阪府立公衆衛生研究所 加瀬哲男 森川佐依子 前田章子 奥野良信
広島市衛生研究所 池田義文 荻野武雄

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