ウガンダにおけるエボラ出血熱の集団発生(2000年8月〜2001年1月)
(Vol. 22 p 57-59)

ウイルス性出血熱の一つであるエボラ出血熱は、「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」の第1類感染症に含まれる。フィロウイルス科エボラウイルス属に分類される4種のウイルスのうち3つ(エボラ・ザイール、エボラ・スーダン、エボラ・コートジボワール)がヒトに出血熱を起こすと考えられている。自然界でこのウイルスがどこに潜んでいるのかいまだに不明であるが、感染発症者が1人出ると、血液や体液を介して直接ヒトからヒトへ、しばしば病院内で感染拡大が起こる。2000年8月末〜2001年1月にかけて、これまで最大で、歴史上3回目のエボラ・スーダンウイルスによるアウトブレークが東アフリカのウガンダにおいて勃発した。WHOの要請により、厚生省(現厚生労働省)は現地の診療に協力するため、2000年10月以降2名ずつの医師を3次に分け現地に派遣した。

 1.エボラ集団発生と国際協力
2000年10月8日首都カンパラの保健省は、胃腸炎、頭痛、結膜炎、時に出血症状を特徴とし、死亡率の高い熱病がウガンダ・グル地方において集団発生している、との報告を受けた。一群の患者検体がヨハネスブルグ(南アフリカ)の国立ウイルス研究所に送られ、ELISA による抗原・抗体反応、RT-PCR法によるウイルス遺伝子の検索の結果、10月15日エボラ出血熱であることが確認された。ウイルスは、検索された範囲内で過去のエボラウイルス・スーダン株と約96%という高い相同性を示し、エボラウイルス・スーダン株であると結論された。ウガンダ保健省は、WHOに対し世界中からの支援と国際協力チームのとりまとめを要請した。

 2.エボラ集団発生対策
発症動向の監視(サーベイランス)と疫学調査、患者診療、教育啓発、調整とロジスティクス(後方支援)などの活動がWHOを中心に行われた。

エボラ出血熱に罹患した可能性のある患者をすべて把握するべく、モバイルチームを駆使したアクティブサーベイランス体制が形成された。臨床症状のある患者には病院で診察を受けることを奨励し、感染が疑わしい者は入院させた。特に集中的に行われた予防活動は以下のようなものである。患者と接触のあった人を21日間(最長潜伏期間)経過観察すること、エボラ出血熱で死亡した患者はいうまでもなく、その可能性のある死亡者の埋葬も訓練された埋葬班で行うこと、地域社会の啓発活動を行うこと、伝統的な葬儀の中止、病院における感染コントロール(バリアーナーシング)の強化などである。診断のための検査は、米国疾病対策予防センター(CDC)が聖マリー病院(ラチョア地区)に設置した現地検査室で行われ、さらにCDCあるいは南アフリカの国立ウイルス研究所で追加検査された。

 3.サーベイランス
10月の3週目から、3つの範疇に基づいてアクティブサーベイランスシステムが施行された。“警戒(alert)”は、突然の高熱、突然死、出血症状を呈した者を地域社会の人々がモバイルチームなどの医療側に知らせるための範疇として用いられた。“疑い(suspect)”は、モバイルチームや医療者がエボラ出血熱の可能性のある患者を選び、隔離病棟へ搬送すべきかどうかを決断するために用いられた範疇で、以下の4つの条件のいずれかにより定義された。(1) 発熱があり、エボラ出血熱の可能性を持つ患者と接触した事実がある患者、(2) 発熱があり、以下の中から3症候以上を満たす患者(頭痛、嘔吐、食欲不振、下痢、虚弱あるいは極度の疲労、腹痛、体の痛みあるいは関節痛、嚥下困難、吃逆)、(3) 説明のつかない出血症状のある患者、(4) 原因不明の死亡。“ほぼ確定(probable)”は、“疑い”と同じ4つの条件で定義されるが、医師が決定した場合に用いられた。

 4.症例と疫学
グル病院に入院し、検査で確認されたエボラ出血熱患者62名にみられた主症状は、下痢(66%)、虚弱(64%)、食欲不振(61%)、頭痛(63%)、嘔気・嘔吐(60%)、腹痛(55%)、胸痛(48%)であった。出血はたかだか20%にみられたのみで、主な出血部位は消化管であった。入院例の死亡率は58%であったが、15歳以下の小児では80%に上った。

2001年1月23日までに、ウガンダのグル地方(Gulu)で 393例(93%)、マシンディ地方(Masindi)で27例(6%)、ムバララ地方(Mbarara)で5例(1%)、合計 425例のエボラ出血熱患者が報告された(図1)。うち、218例(51%)が検査により確定診断された(図2)。マシンディおよびムバララの流行はグルから移動した感染者が原因となった。 269例(63%)が女性で、 156例(37%)が男性、 224例(53%)が死亡した。年齢は生後3日〜72歳で、平均年齢は27歳(±16)であった。29例は病院関係者であった。症状初発から死亡までの期間は8±5日であった。

 5.日本隊の役割
WHOからの要請を受けた厚生省(現厚生労働省)は、迅速かつ柔軟に対応し、診療支援のため各々2名の隊員からなるチームを3次にわたって現地に派遣した。日本人医師がウイルス性出血熱の診療のために現地入りするのは初めてである。日本人医師チームはグル病院の外来において隔離病棟への患者の入院適応を決定し、また入院患者の診療に携わった。今回の対応は、国際貢献、人道援助、国内における患者発生時の診療能力の事前取得といった様々な面で大きな価値があったものと考えられる。

 6.国際協力チームのメンバー
世界アウトブレーク監視対応ネットワーク(The Global Outbreak Alert and Response Network)のパートナーで構成された国際チームは、WHOの指導のもとウガンダ保健省と共同して活動した。国際チームには以下の機関からの参加があった。

米国疾病対策予防センター(Centers for Disease Control and Prevention, 米国アトランタ)、エピセンター(フランス、パリ)、健康カナダ、健康とイタリア共同機構、赤十字国際委員会、国際救済委員会、熱帯医学研究所(ベルギー、アントワープ)、厚生労働省、名古屋市立大学医学部、国立感染症研究所、東京大学医科学研究所(日本)、国境無き医師団(オランダ、ベルギー支部)、国立保健・公衆衛生機構(英国)、国立ウイルス研究所(南アフリカ、ヨハネスブルグ)、熱帯医学研究所(ドイツ、ハンブルグ)。

日本隊のメンバーは、第1次隊(10月28日〜):岩崎惠美子(仙台検疫所長)、佐多徹太郎(国立感染症研究所・感染病理部長)。第2次隊(11月11日〜):岡本 尚(名古屋市立大学医学部・教授)、岩本愛吉(東京大学医科学研究所・教授)。第3次隊:上家和子(関西空港検疫所長)、佐多徹太郎(国立感染症研究所・感染病理部長)。

(WHOの報告はWER76:41-46, 2001を参照)

東京大学医科学研究所
先端医療研究センター・感染症分野
附属病院・感染免疫内科 岩本愛吉

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