旅行者の旋毛虫感染:シンガポールの近隣リゾート島における旋毛虫症の集団発生
(Vol. 22 p 65-66)
旋毛虫(トリヒナ)は現在も世界中に広く分布し、ヒトが家畜や野生動物の肉を生(なま)あるいは不完全な加熱調理で摂食することで感染する(1)。本邦では家畜からの感染例は皆無であるが、熊肉を刺身で食べた人々に旋毛虫症の発症例がある(1974年:15人・青森県、1979年:12人・北海道、1981年:60人・三重県)。海外への旅行者とこれらの人々の診療に携わる医療従事者にあっては、旅行中の旋毛虫感染の危険性に十分な注意をするとともに、その感染の可能性についても配慮が必要である(2)。
シンガポールの検疫当局は、1998年6月上旬に隣国のリゾート島(注:報告では島名が伏せられている)を訪れた旅行者の間で集団発生した旋毛虫症について追跡調査した結果を報告した。発端は、このリゾート島にこの時期4日間滞在した2人の学生がシンガポールに帰国後、発熱、筋痛、好酸球増多により病院に収容されて旋毛虫症であることが確認されたことに始まる。検疫当局が調査を進めたところ、この時期に島へ旅行した後で病院へ外来患者として訪れていた者はさきの2名の他に31名いることがわかり、これら33名についてのコホート調査が必要となった。33名の中で旋毛虫症としての臨床的または血清学的特徴を満たすケースは25人に特定された。この25人の症状について述べると、全員に発熱があり、最も頻度の高い潜伏期間は14日間で、持続期間は3日〜36日までの幅があった。嘔吐は3人(12%)、下痢は9人(36%)に見られた。筋痛は旅行後2週〜6週の間に現れ、持続期間は4日〜90日間までの幅があった。頭痛は15人(60%)、咳は8人(32%)、目の腫れは1人(4%)、発疹は3人(12%)に見られ、発熱以外に症状が認められなかったものは2人(8%)であった。 400/μl以上の好酸球増多は1人を除いて全員に認め、その平均値は 1,306/μlであった。ELISAによる特異的IgGの陽性者は25人中8人のみであったが、これは旅行後2カ月を過ぎて実施したという検査時期に関係していると思われた。
さらに広範囲にわたる調査により、この時期に島を訪れたのは全部で6つのグループからなる84人であったことがわかり、そのうち58人が検疫当局の聞き取り調査に応じた。男女比はほぼ同じであるが、人種は中国人48人(82%)、マレー人6人(10%)、その他4人(7%)で、平均年齢は22.5歳であった。これらの人々は島での滞在中、水泳、シュノーケリング、ダイビング、滝へのトレッキング等を行なっていた。島での滞在中に摂食された肉類の調査は、他国であるためにもっぱら聞き取りにもとづくFood-Specific Attack Ratesの解析によらざるを得ず、発病と有意な相関が認められたのはホテルで提供されたベーコンであった。しかしながら、実際にはベーコンを摂取したとしているのは発病者の3分の1のみであって、これをもって今回の旋毛虫症集団発生の感染源を特定したとするには問題が残っている(3)。
参考文献
1. K.D. Murrell & E. Pozio, J. Int. Parasitol., 30:1339-1349, 2000
2. J.B. McAuley et al., J. Inf. Dis., 164:1013-1016, 1991
3. A. Kurup et al., J. Travel Med., 7:189-193, 2000
国立感染症研究所寄生動物部 川中正憲 坂本京子