路上生活者より採取されたコロモジラミからBartonella quintana が検出された
(Vol.22 p 86-87)
Bartonella quintana は小型のグラム陰性桿菌で、コロモジラミが媒介する塹壕熱(trench fever)の病原体である。第一次世界大戦中、ヨーロッパ戦線で100万人以上の一般人・兵士が感染し、大きな問題となった。戦争終結後患者数が激減したが、第二次世界大戦で再び流行した。しかし、戦後の急速な衛生環境の改善、コロモジラミ対策としてDDT等の殺虫剤の散布が広範に行われた結果、先進諸国において発疹チフスを含むコロモジラミ媒介性疾患はほとんど見られなくなった。1990年代になって、先進諸国の路上生活者やHIV患者からB. quintana が検出され始め、現在までに、米国のシアトル、フランスのマルセイユ、ロシアのモスクワ等で、路上生活者やコロモジラミから病原体や抗体、およびPCR法による特異的DNAが検出されている(Brouqui et al., 1999; Gagua et al., 1999; Jackson & Spach, 1996; Roux & Raoult, 1999)。
わが国においても、東京都、大阪府を中心に路上生活者が増加傾向にある。東京都福祉局の統計では、1995年に23区内の路上生活者の推定数は3,300名であったが、2000年には5,700名と明らかに増加している。そこで1999年5月〜2000年5月の間に東京都豊島区内で行われた健康相談等の路上生活者対策で、本人の承諾を得て処分された12名分の衣服からコロモジラミを採取し、Bartonella 遺伝子の検出を試みた。
方法:ISOGEN (Sepasol-RNAI)のプロトコールに従って、コロモジラミよりDNAを抽出し、既に報告されているBartonella 属特異的なクエン酸合成酵素A遺伝子(gltA)および16S-23S rRNA遺伝子のプライマーを用いてPCRによる解析を行った。
結果:12名中2名の衣服由来コロモジラミからgltAに対応するPCR産物を検出した。また、16S-23S rRNA遺伝子のintergenic spacer region (ITS)はgltA のPCR陽性の2検体中1検体より検出された。そこで、これら検出された産物がB. quintana 由来のものか検討するため、gltA 遺伝子を増幅させ、その産物から直接DNA塩基配列を決定した。その結果、2検体から検出されたgltA 遺伝子産物は、ともにB. quintana に対して98%の相同性を示し、コロモジラミにおけるB. quintana の保有が分子生物学的に示された。
これらの結果から、各保健所、福祉センター、救急病院等では、コロモジラミ寄生が認められた路上生活者等の診察においては、塹壕熱の罹患による症状に対しても考慮する必要がある。さらに、この再興感染症がわが国においてどの程度広範に分布しているのか疫学調査を行うことが必要と思われる。
国立感染症研究所昆虫医科学部
小林睦生 佐々木年則 安居院宣昭
IASR編集委員会註:塹壕熱(Trench fever、Quintana fever)は、病原体(B. quintana )が発疹チフスと同様、不衛生な環境下でコロモジラミによって媒介され、感染発病するものである。ヒトからヒトへの直接的な感染はない。
第一次大戦中にヨーロッパで流行があり、わが国では第二次世界大戦後多くの患者発生があったが、近年は国内には存在しない疾患とされている。
本症は発熱、発疹、頭痛、関節痛(特に下腿痛)、全身倦怠感などの非特異的症状で突然始まる。典型例では発熱が5日前後持続し、2〜3週から6週間程の無熱期を経て、3〜5回あるいは8回ほどの周期で発熱が繰り返されるので、別名5日熱ともよばれる。初期治療にはテトラサイクリンあるいはエリスロマイシンなどが用いられる。無治療でも自然治癒傾向があるが、再発がより多く繰り返されることになる。免疫機能低下者で無治療の場合には、死に至る可能性もある。
本症は感染症法対象疾患とはなっていないが、WHOのまとめでは再興感染症の一つとみなされており、その発生動向には注意が必要である。