AIDS流行:世界の動向とその将来
(Vol.22 p 107-109)

 1.世界のHIV感染の現況と動向
AIDSの世界流行は、いくつかの先進国および発展途上国の特定集団を除いて依然拡大傾向にあり、世界流行が開始したと考えられる1970年代半ばより、25年あまりの時間が経過した現在、複雑さを増している。

UNAIDS(国連合同AIDS計画)の最新の推計によれば、2000年末現在の世界のHIV感染者(生存AIDS患者を含む)は3,610万人、昨年(2000年)1年間に発生した新規HIV感染者は530万人、AIDS死亡者は300万人、また流行開始以来のHIV/AIDSによる死亡者および感染者の累計数はそれぞれ2,180万人および5,780万人に達しているものと推定されている(表1)。新規感染者数を1日当たりに換算すると15,000人で、ほぼ6秒に1人の割合で新たな感染者が発生していることになる。1日当たりの感染者15,000人のうち、その95%以上が開発途上国に、1,700人が15歳未満の小児、13,000人が15〜49歳の年齢層にあり、その47%が女性、50%以上が15〜24歳の若年層であると推算されている。

HIV感染者の地域別分布(図1)をみると、世界全体の86%を超える感染者がサハラ砂漠以南のアフリカ(2,530万人、70%)と南・東南アジア地域(580万人、16%)に集中しており、文字どおりAIDS流行の2大ホット・ゾーンとなっている。ラテンアメリカ(140万人、3.9%)、北米(92万人、2.5%)がこれら2地域に続く。先進ヨーロッパ諸国、オーストラリアなどの地域では、流行の鈍化・沈静化傾向が見られるが、一方、これまで注目されてこなかった地域で、憂慮すべき新たな動向が指摘されている。それは、特に東欧・中欧(旧ソ連圏)や中国南部・北西部地域における新興流行(Emerging epidemic)で、とりわけ1996年前後から、薬物乱用者を中心として流行が拡大し、政治・社会体制の混乱、経済破綻・貧困など様々な社会的・経済的要因を背景として、流行の進行が急激に加速している。UNAIDSの最新のHIV感染者の地域別推計においても、東欧・中欧(70万人、1.9%)、東アジア・太平洋地域(64万人、1.8%)と、すでにヨーロッパ(54万人、1.5%)、カリブ海沿岸地域(39万人、1.1%)を抜いて、5、6位の位置を占めるようになっている(図1)。

UNAIDSのデータに基づき世界の15〜45歳人口の推定HIV有病率を国別に表したものが図2である。患者・感染者数と同様、サハラ砂漠以南のアフリカに最も高い有病率を示す国々が集中している。サハラ砂漠以南のアフリカでは生産年齢人口の4分の1以上がHIVに感染し、平均寿命が10〜20年程度短縮していると考えられる国も存在する。特にボツワナ、ジンバブエ、南アフリカなどのアフリカ南部地域は、感染率が25〜30%と世界でも最も深刻なAIDS侵淫地帯である。また、中央および東アフリカ、西アフリカの国々、アジアではカンボジア、タイ、ミャンマーの東南アジア諸国に、ラテンアメリカおよびカリブ海諸国では、ハイチまたはグアテマラ、ホンジュラスなどに高い有病率が認められる。ただし、推定有病率は各国の人口に左右されるので、巨大な人口を抱える中国、インドまたはブラジルでの流行を過小評価することになり、注意が必要である。少なくとも50万人のHIV感染者が推定される中国、また世界で最大数のHIV感染者(350〜370万人)が存在すると推定されているインド、50〜60万人のHIV感染者の存在が推定されているブラジルは、図2では中程度以下の有病率が算出されているが、これらの地域では、世界の中でも最も憂慮すべき規模の流行が進行している。

 2.先進国における問題点−米国の経験からみた流行の将来とその対策
先進国では、1996年以降AIDS治療にプロテアーゼ阻害剤が導入されたことで、米国において典型的に見られるように、1993〜1995年まで首位を占めていた25〜44歳の米国人のAIDS死亡率が1998年には第5位と、ピーク時の3分の1のレベルにまで低下している(図3)。この事実は、逆転写酵素阻害剤とプロテアーゼ阻害剤との併用療法の劇的な治療効果を反映するものであるが、また一方、潜伏期間の延長と、発病から死亡までの期間の延長を意味しており、医療費の大幅な増大が懸念されている。

また、AIDS死亡率の下落傾向も最近2年間は、多くの先進国で頭打ちになっている。その要因としては、1996年以降併用療法を受けてきた患者が発症期にさしかかりつつあること、診断の遅れ、薬剤耐性の出現、連日多種・多量の薬剤を服用することの困難さや、副作用のため服薬を中止せざるを得ないことも多い(治療へのアドヒアランス)などの問題が考えられる。より強力で副作用の少ない、また耐性ウイルスの出現の少ない新薬の開発や、服薬をより容易にする新たな錠型の開発や投薬スケジュールの改善が期待される。

また、医療水準の高い米国においても、依然年間約4万件の新規HIV感染が発生しており、様々な対策にもかかわらず、1992年以来、推定感染者数はあまり変化していない。今年(2001年)2月に米国保健衛生局は、全米の年間HIV感染者の発生数を現在の2分の1に低下させるため、感染していても、その事実に気付いていない人々(全米で20万人〜27万5千人にのぼると考えられる)をターゲットとする対策に乗り出している。SAFE(Serostatus Approach to Fighting the Epidemic)(あるいは"Know Now")と名づけられたこのプログラムは、感染の事実を認識している人々の割合を現在の70%から95%に引き上げることを目標とし、それによって、感染者のリスク行動に抑制をかけ、パートナーへの感染を防ぐとともに、治療を受ける機会を高め、流行のスパイラルを阻止しようというものである。検査体制の整備、患者に対する情報の質的向上は、わが国を含む先進国においてもさらに改善されるべき問題である。

 3.わが国における問題と課題
わが国は、先進国の中では例外的に、感染者の年次報告数、献血者における血清有病率の着実な上昇が認められる。献血者におけるHIV抗体陽性件数は10万献血当たり全国で1.13、首都圏で2.82、首都圏を除く地域で0.62(2000年)で、1987年(全国値は0.14)以来一貫して増加傾向にあり、この13年間に8倍に増加している。全国値でみても、フランスの1.8を除いて、英国の0.7、ドイツの1.0(ともに1999年)よりも高い。またサーベイランス報告におけるHIV感染者からAIDS患者への転症例報告も極めて少ないことが指摘されている。サーベイランスでは転症例は、法に基づいた報告としては求められておらず、医師からの任意報告によっているため、その報告数が少ないという届け出方法上の問題が要因の一つとなっているが、AIDSが発症して初めて医療機関を訪れる場合や、HIV感染の事実を発症に至るまで知らない場合も相当数ある、という日本の現状もまた示唆されるものである。感染者の報告数は、確かに欧米先進国に比較して依然少ない値であるが、ここに述べたように、様々な指標は、わが国においても、HIV感染症が決して「対岸の火事」ではなく、感染拡大について依然憂慮すべき状況が続いていることを示している。

わが国におけるHIV感染症の着実な増加傾向に歯止めをかけ、また、減少傾向にあるHIV抗体検査数を増加させるために、検査を受けやすい環境・施設の一層の整備や、セーフセックスに対する意識の向上、供血の安全性を一層高めるべくNAT(核酸増幅検査)の普及や、サーベーランス・モニタリング体制の一層の充実が必要とされよう。また生存期間の延長、および薬価の高い新薬の服用による医療費の増大、プロテアーゼ阻害剤を含めた薬剤耐性ウイルス株の出現とその感染拡大防止、変化を続ける治療プロトコルに対する対応、プロテアーゼ阻害剤を中心とした副作用の問題などが、わが国を含む先進国の克服すべき共通の課題となってきている。また、流行の深刻化しているアジア・アフリカ地域へのわが国のさまざまな形の一層の積極的な国際貢献が求められよう。

本稿の作成にあたり慶応大学医学部・鎌倉光宏博士、京都大学医学部の木原正博博士に貴重な御助言・資料の提供を賜った。

国立感染症研究所
エイズ研究センター第1室 武部 豊

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