ブドウ球菌エンテロトキシン
(Vol.22 p 187-188)

1.はじめに

2000年6月末〜7月上旬に雪印乳業(株)の加工乳や乳飲料を原因とする患者数13,420名にも及ぶ戦後類をみない大規模なブドウ球菌食中毒が発生した。この事例は原因食品からはブドウ球菌エンテロトキシン(以下SEと略)Aのみが検出され、 黄色ブドウ球菌が検出されない典型的な毒素型食中毒であった。この事例はこれまでのブドウ球菌食中毒ではあまり問題にされてこなかった検査法の検出限界や検査法の精度、 乳製品からのSEの検出法、 加熱殺菌後の検体からのSEの検出、 SEの発症量など、 様々な課題を提起した。この機会に近年のSE研究の概要を記述する。

 2.ブドウ球菌エンテロトキシン(SE)

SEは分子量27,000前後の単純蛋白質で、 分子内に1個の-S-S-結合を有している。抗原性の違いによりA〜Eの5種類に分けられている。C型は等電点の違いによりC1、 C2、 C3の3型に分けられているが、 免疫学的には同一である。抗原性が異なっていても、 分子内-S-S-結合の近傍のアミノ酸配列が酷似しており、 そのアミノ酸配列がSEの催吐活性と関わっていると推測されている。

近年、 SEA型〜E型以外にF型、 G型、 H型、 I型、 J型、 K型、 L型が追加されている。F型はトキシックショック症候群毒素(TSST-1)と命名され、 分子内に-S-S-結合がなく、 SEとは構造が異なる毒素であることが明らかになっている。表1は現在報告されているSEをまとめたものである。SEI型、 K型、 L型には分子内にシステイン1分子のみが存在し、 分子内に-S-S-結合はない。また、 SEJ型、 K型、 L型はスーパー抗原活性について証明されているが、 催吐作用については検討されていない。

一方、 黄色ブドウ球菌が産生するSEやTSST-1、 レンサ球菌発熱性毒素などはT細胞を特異的に活性化する作用があることが証明され、 「細菌性スーパー抗原」と呼称されている。そのため、 催吐作用よりも簡単に調べられるT細胞のマイトジェン活性であるスーパー抗原活性が調べられている。今後、 黄色ブドウ球菌の構造遺伝子の研究が進めば、 さらに新しいSE型が追加される可能性がある。しかし、 細菌性スーパー抗原活性と催吐活性は直接関係がないと考えられている。催吐作用が未検討のまま、 スーパー抗原活性を有するものすべてが、 SEという名称で呼ばれる可能性がある。このようなことが続けば、 ブドウ球菌食中毒を起こすSEとスーパー抗原活性のみを有するSEの2種類が存在し、 大きな混乱を生ずることになる。

 3.検査法

SE検査にはSEに対する抗体を用いる血清学的な手法が利用されている。SEの研究は毒素を高純度に精製し、 ウサギを免疫して特異性の高い抗血清を作製し、 それを用いて毒素を検出する方法の開発から始まった。研究の当初は種々のゲル内沈降反応、 逆受身赤血球凝集反応、 ラジオイムノアッセイ、 酵素抗体法、 逆受身ラテックス凝集反応等が開発された。その結果、 現在のような高検出感度のキットが市販されるようなった。

わが国で入手可能なキットの種類を表2に示した。表に示したSE検査キットの検出感度は各社でそれぞれ表示されており、 0.2〜2ng/mlである。しかし、 どのメーカーのキットであっても検出限界に近い濃度の毒素量を正確に検出することは困難である。SEを検出するための所要時間は各社のキットで異なる。

食品からのSE検出は各社キット添付の説明書に従って試料を調製して実施する。にぎりめしや弁当などのブドウ球菌食中毒事件では食品1g中に0.2〜1.28μg のSEが検出される場合が多い。このような検査では現在市販されている検査キットの検出感度で十分であった。しかし、 雪印ブドウ球菌食中毒事件の場合は、 検査材料が加工乳や乳飲料で、 黄色ブドウ球菌が検出されず、 さらに含有するSE濃度が市販検査キットの検出感度以下であった。そのため試料の濃縮やその後の除蛋白などの前処理が必要となり、 毒素の検出に時間を費やした。今回の事件はこれまで予想もしなかった乳製品が原因食品であったことをも含めて、 今後のブドウ球菌食中毒の検査のあり方にも大きな課題を残した。

 4.嘔吐および下痢の発症機序

SEの催吐活性の研究にサル以外の実験小動物スンクス(Suncus murinus )が利用できることが証明された。スンクスはSEA 10μg/kgの腹腔内投与で100%の嘔吐がみられる。しかし、 このスンクスの嘔吐は迷走神経切断処理やセロトニン拮抗剤投与およびセロトニン枯渇剤前投与により完全に阻害された。さらに、 SEと下痢の関連性を解明するため、 イヌの十二指腸ループを用いた実験が行われた。その結果、 十二指腸ループにSEAを投与すると、 腸液分泌の亢進がみられ、 投与約90分後にピークに達し、 その後消長することが証明された。この過程の十二指腸ループ組織を透過電顕で観察するとEC細胞(enterochromaffin:腸クロモ親和細胞)だけに顆粒の変化がみられ、 その他の細胞には全く変化がみられなかった。さらに、 十二指腸ループ組織の免疫組織化学的な超薄切片の観察では、 SEA 投与により、 セロトニンの染色性が低下していることが証明された。この2つの報告は、 ブドウ球菌食中毒の主徴である嘔吐や下痢はSEによるセロトニンの誘発と深く関わっていることを示唆している。

 5.食中毒発症に必要なSE量

ヒトに対してブドウ球菌食中毒症状を起こす、 正確なSE量は明らかでない。Raj & Bergdollはボランティアに対してSEBの投与実験を実施した。その結果、 ヒトに対してブドウ球菌食中毒症状を起こす、 SEB量は25〜50μgであった。

さらに、 米国でSEAによる「チョコレート牛乳」を原因食品とするブドウ球菌食中毒が発生した。この事例において、 飲んだ「チョコレート牛乳」に含まれていたSEA量と、 患者が飲んだ「チョコレート牛乳」の容量から、 ヒトに対してブドウ球菌食中毒症状を起こすSEA量を推測した報告がある。それによれば、 ブドウ球菌食中毒は200ng以下の微量のSEAで発症している。

雪印食中毒事件では原因食品である加工乳、 乳飲料に含有するSEA 量は1ml当たり0.4〜0.8ngであると報道されている。200mlの加工乳や乳飲料を飲料した場合はSE 80〜160ngで発症したことになる。

現在、 正確なSEAの発症量を明らかにすることが、 大きな課題として残っている。その理由は乳製品、 加工乳、 乳飲料などの製造において、 今後、 SE陰性であることの品質保証のための設定値を打ち出す必要があるためである。さらに、 SE検査法はその検出限界をどこまで正確に保証できるのか、 そしてその検出用キットの品質管理を誰がどのように行うかなど大きな課題が残されている。

 6.おわりに

近年、 ブドウ球菌食中毒は年次的に減少がみられている。この減少は自然現象ではなく、 食品製造関係者、 食品取扱関係者および食品衛生行政関係者等、 多くの関係者の努力によるものであると考えられている。

そのような時に、 2000年6月末、 HACCPシステムの導入により、 食品衛生対策が最も進んでいると見られていた乳業製造業によって製造された加工乳や乳飲料などを原因食品とする大規模なブドウ球菌食中毒事件が起きた。その原因は原料に使用された脱脂粉乳であった。この脱脂粉乳は製造途中で停電事故が発生し、 そのため製造ラインの一部で黄色ブドウ球菌が増殖し、 SEが産生され、 そのSEが最終製品に残ったものと考えられている。2000年12月20日、 雪印ブドウ球菌食中毒事件に係わる最終報告が厚生省・大阪市原因究明合同専門家会議から発表され、 多くの課題を残して終息した。

今後、 このような事件を絶対に起こさないための原材料管理、 製造工程管理、 職員の衛生教育も含めた幅の広い衛生管理を実施する必要があろう。

雪印乳業株式会社食品衛生研究所 五十嵐英夫
(元東京都立衛生研究所微生物部参事研究員)

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