感染症や食中毒の原因菌や感染経路の解析において、 近年パルスフィールド・ゲル電気泳動(PFGE)が多用されている。この際、 技術上問題となる現象が、 PFGEを行ってもスメアーになるサンプルがかなりの割合で見られ、 解析が不可能になるということである。原因としては、 以前はプロテアーゼK耐性のヌクレアーゼを保有している菌株において、 DNAが抽出中に分解するためにPFGEでバンドがスメアーになるという考えがあった1)。しかし、 近年PFGEの電気泳動に用いるトリス泳動バッファー中において、 陽極からトリスのラジカル1)ないし過酸化物2)が発生し、 DNAを攻撃して分解することが報告された。そこで、 この現象を解消するために、 トリス泳動バッファーに50μMのチオ尿素を加えるか、 または電気泳動にトリスバッファーの代わりにHEPESバッファーを用いるなどすれば、 DNAの分解を抑えることが可能となる。
我々は、 以前より腸炎ビブリオ食中毒の原因食品の推定のため、 患者糞便より分離された菌株と関連食品より分離された菌株の、 血清型別ならびにPFGEパターンの比較を行ってきた3)。事例を重ねるうちPFGEのバンドパターンがスメアーになる事例に遭遇し、 PFGEによる遺伝子型解析が不可能になるものがあった。そこで、 トリス泳動バッファーにチオ尿素を加えたところ、 PFGEで結果がスメアーになっていた検体において、 バンドパターンを回復することができたので報告する。
材料および方法:用いた腸炎ビブリオ菌株は、 仙台市内で発生した食中毒3事例において患者ならびに推定原因食品より得られた。すべてO3:K6、 耐熱性溶血毒(TDH)陽性の腸炎ビブリオ菌株であった(表)。
PFGEは、 和田昭仁らの方法[第16回日本細菌学会技術講習会、 腸管出血性大腸菌(EHEC)の分離・同定法、 PFGEによる分子疫学的同定法、 1997]により行った。なお、 電気泳動バッファーは、 0.5×TBEか、 または50μMチオ尿素を加えた0.5×TBEを用いた。電気泳動ゲルは、 これらの電気泳動バッファーに溶解した1%アガロースを用いた。PFGE装置は、 CHEF MAPPER(BIO-RAD Co.)である。電気泳動は、 6V/cm、 4〜8sec(linear)、 9時間後、 6V/cm、 8〜50sec(linear)、 11時間、 14℃の条件で行った。
結果:解析した事例は3事例で(表)、 図(A)は0.5×TBE、 (B)はチオ尿素を加えた0.5×TBEを電気泳動バッファーに用いた結果である。
図(A)に示すように、 2000(平成12)年度の2事例(表中の事例1および事例2)においては、 Not I処理のレーン7(事例1の食中毒推定原因食品より得られた菌株)ならびにレーン8(事例2の食中毒推定原因食品より得られた菌株)、 またはSfi I処理のレーン14(事例1の食中毒推定原因食品より得られた菌株)ならびにレーン15(事例2の食中毒推定原因食品より得られた菌株)において、 チオ尿素を加えない0.5×TBEを用いた電気泳動により、 一部スメアーになっているが、 バンドが解読できるパターンが得られた。これに対し、 2001(平成13)年度の3事例目(表中の事例3)においては、 Not I処理のレーン2(食中毒推定原因食品より得られた菌株)ならびにレーン3〜6(各患者より得られた菌株)、 またはSfi I処理のレーン9(食中毒推定原因食品より得られた菌株)ならびにレーン10〜13(各患者より得られた菌株)のパターンがすべてスメアーとなった。
そこで、 プラグの調整と制限酵素反応は同様の処理を行い、 50μMチオ尿素を加えた0.5×TBEを電気泳動バッファーに用いてPFGEを行ったところ、 図(B)に示すように、 事例3の検体より得られたすべての菌株においてもDNAのバンドパターンが得られた(レーンの配列は図(A)と同様である)。
以上より、 トリス電気泳動バッファー中に50μMチオ尿素を加えることにより、 腸炎ビブリオのPFGEにおいてスメアーになる検体のDNAのバンドパターンが回復できることが明らかとなった。その結果、 事例3の食中毒においても、 患者ないしは推定原因食品より得られた腸炎ビブリオ菌株のPFGEパターンは同一であることが証明され、 この食品が事例3の食中毒事件の原因となったことが推察された。なお、 事例3のPFGEパターンは、 血清型がO3:K6と同一でも、 事例1、 2の菌株のパターンとは異なることも明らかとなった。
考察:電気泳動バッファーにトリスを用いずHEPES バッファーを用いる方法も考案されているが、 HEPESは高価で、 PFGEの電気泳動には大量の電気泳動バッファーを用いることから、 あまり実用的ではない。これに対し、 チオ尿素加トリス泳動バッファーを用いる方法は、 通常のPFGEに用いる0.5×TBEに、 1,000倍濃度(50mM)のチオ尿素を1,000分の1量加えるだけで、 経済的にも操作上も実用上問題ない。また、 PFGEの結果スメアーになるのは多くの場合菌株に固有の性質と考えられるが、 その原因は判っていない。
以前に報告のあったPseudomonas aeruginosa 1)やClostridium difficile 4)などと併せて、 病原大腸菌の菌株においてもDNAのスメアーの回復にチオ尿素加トリス泳動バッファーを用いる方法が有効であった(山形県衛生研究所・大谷、 私信)。よって、 チオ尿素加トリス泳動バッファー法は、 病原・環境細菌の菌株の系統や感染経路の解析法としてのPFGEの汎用性を高める上で、 有用な技術となることが示唆された。
謝辞:PFGEならびにチオ尿素加トリス泳動バッファーを用いたPFGEに関して、 指導ならびに情報をいただきました、 国立感染症研究所細菌部・寺嶋 淳先生に深謝致します。
参考文献
1)U. Römling and B. Tummler, J. Clin. Microbiol. 38: 464-465, 2000
2)T. Ray, et al., Electrophoresis 16: 888-894, 1995
3)N. Numata, et al., Jpn. J. Infect. Dis. 53: 75-77, 2000
4)J. E. Corkill, et al., J. Clin. Microbiol. 38: 2791-2792, 2000
仙台市衛生研究所
沼田 昇 齋藤卓哉 小黒美舎子 早川安彦 吉田菊喜