PCRは炭疽菌の迅速診断に有用であり、 わが国においてもWHOガイドライン(1)に紹介されている方法が広く普及している。この方法は炭疽菌の病原性を規定する2種のプラスミドpXO1およびpXO2にコードされる防御抗原(PA)および莢膜(CAP)遺伝子の一部を増幅するものである。同ガイドラインで紹介されている方法では増幅産物をアガロース電気泳動後、 エチジウムブロマイド染色を行い、 期待されるサイズのバンドが認められた時に陽性と判定するとされている。今回札幌市において発生した「白い粉」騒ぎにおいて、 札幌市衛生研究所が分離した菌を鋳型にした本法で、 PA遺伝子と思われるバンドが検出されたとの情報に基づき、 改めて本法の妥当性を検証したのでその成績を報告する。
札幌市衛生研究所より分与された菌を直接あるいはLB培地にて増殖させた後、 ボイリング法にてDNAを調整、 フェノールクロロホルム処理で除蛋白したものを鋳型とし、 前述の方法にてPCRを行った。炭疽菌DNAを鋳型にした場合と区別のつかない大きさのバンドがPA遺伝子のプライマーセットで検出された(図1)。この成績からは本菌がpXO2プラスミドを失った炭疽菌である可能性を示唆していると考えられたが、 その可能性を検証するために、 炭疽菌に特異的とされている染色体遺伝子Ba813(2)を標的としたPCR-マイクロプレートハイブリダイゼーション(PCR-MPH)法(湧永製薬松永氏より分与)とPA、 CAPを標的とした蛍光プローブによるリアルタイムPCR(日本ロッシュ)を行った。その結果、 両検査法ではいずれの遺伝子も検出されず、 当該菌は炭疽菌ではないとの結論が得られた。この結果をさらに確認するためにPA遺伝子に対するプライマーで増幅されたDNA断片をpCR2.1プラスミドベクターにクローニングし、 その塩基配列を決定した。この配列をBLAST探索したところ、 Bacillus subtilis のATP依存デオキシリボヌクレアーゼがヒットしたものの、 炭疽菌関連遺伝子との相同性は見出されなかった。また、 アニ―リング温度を変化させてPCRを行ったが、 炭疽菌DNAを鋳型にした場合と大きな違いは認められなかった(図2)。また、 この菌は生化学的性状からはB. subtilis と同定された。
以上の知見は、 PA特異的とされるプライマーでサイズもほぼ等しいDNA断片が増幅されるバチルス属の菌が稀ではあるが環境中に存在することを示している。WHOガイドライン、 あるいは国立感染症研究所講習会資料(平成13年10月)に記載のある方法では、 PCR後アガロース電気泳動およびエチジウムブロマイド染色で予想されるサイズのバンドが認められれば炭疽菌である可能性が高いとしている。臨床症状から炭疽が疑われる患者からの材料の場合は別であるが、 今回のようにサイズの近い断片が増幅されるバチルス属菌が稀ではあるが環境中に存在することを考えると、 バンドのサイズからのみ早急に炭疽菌であると結論せずにその特異性を何らかの方法で確認する必要があると考えられる。確認は例えば特異的内部プローブによるハイブリダイゼーション(マイクロプレートハイブリダイゼーションあるいはサザンブロッティング)、 塩基配列決定などが考えられるが、 特異的蛍光プローブを用いたリアルタイムPCRが可能であれば適用できるものと考えられる。
参考文献
(1) Guidelines for the surveillance and control of anthrax in human and animals, 3rd edition, WHO
(2) Patra G. et al., Isolation of a specific chromosomic DNA sequence of Bacillus anthracis and its possible use in diagnosis, FEMS Immunol. Med. Microbiol. 15:223-231, 1996
札幌市衛生研究所 赤石尚一
国立感染症研究所獣医科学部
藤田 修 井上 智 巽 正志 神山恒夫 山田章雄
国立感染症研究所細菌第1部 田村和満 渡邉治雄