2001年にはエルトールコレラ菌(Vibrio cholerae O1 biotype El Tor)によるコレラは世界全地域から報告があった(地図)。WHOには58国から計184,311例、 2,728人の死亡が公式に報告された(表1)。全体の致命率は2000年の3.6%から1.5%に低下した。この低下には、 世界全事例の58%を占めた南アフリカ共和国での集団発生での非常に低い致命率(0.22%)が反映している。南アフリカ共和国での例外的な状態を除けば、 高リスク地域の感染に弱い人の集団では依然として致命率は高く、 30%に達するところも認められている。アフリカでは計173,359例で、 世界全体のコレラ事例の94%を占めている。アジアは計10,340例で、 2000年の11,246例と比較して一定している。アメリカ大陸ではここ数年と比較すると減少を続けており、 WHOへの公式な報告は計535例のみで、 2000年と比較すると83%の減少であった。
2001年のコレラ大規模発生は、 アフリカ大陸のいくつかの地域で起こった。南アフリカ共和国での集団発生は、 モザンビーク、 スワジランド、 ザンビアでの集団発生につながった。注目すべき流行はチャドで起こり、 それはカメルーン北部に及ぶ集団発生につながった。ベニン、 コートジボワール、 ガーナ、 トーゴの集団発生はすべて第2四半期に西アフリカを襲った同じ流行の一つであった。WHOは28カ国の41のコレラ集団発生の確認に協力した。これら流行のほとんどは報道記事を通じて発見された。
概略すると、 2001年に公式に届け出のあった世界のコレラの事例は2000年と比較して3割強の上昇が見られた(図1)。この増加は主にアフリカでみられ、 特に南アフリカ共和国で2000年8月に始まった非常に大きな集団発生によるものである。アフリカからの報告数は、 依然として他の大陸からの報告数をはるかに上回っている(図2)。
全体の致命率は、 南アフリカが極端な低率であったことから形式的には低下した。しかし、 南アフリカを除くと、 アフリカ大陸での致命率はほんの僅かの減少であり(2000年の3.9%から2001年の3.2%)、 発生源のある国では依然勢力を振るっている状態を反映している。
1992年にベンガル湾より発生したV. cholerae O139は、 アジアのある流行国での検査室確定例の15%を占めた。オセアニアでは、 ミクロネシア連邦から2000年4月にポンペイ島で生じた集団発生の一部として14例の報告があったが、 2001年1月初旬以降はコレラの発生がなくなっている。
多くの国で本疾患の拡散を抑制するために多大な努力が払われているにもかかわらず、 世界的には再び増加している。さらには、 公式に届け出のあった事例は全体的な数を表していない。それは、 旅行、 貿易に関係する不当な制裁を恐れることによる過少報告や、 調査、 報告システム上の制約などによるものである。
(WHO、 WER、 77、 No.31、 257-265、 2002)