世界最大のスポーツの祭典といわれるFIFAワールドカップが2002年5月31日〜6月30日まで日本と韓国で開催された。大会期間中の大規模感染症対策の一環として、 試合を主催した自治体および東京都・厚生労働省・国立感染症研究所感染症情報センターは感染症集団発生の早期探知と対応を目的とした「感染症・症候群別サーベイランス」を実施した。
症候群別サーベイランス(syndromic surveillance)は、 医師が患者を医療機関受診時の臨床症状で症候群別に分類し、 毎日報告するシステムである(図)。わが国では2000年に開催された九州・沖縄サミットの際に福岡・宮崎での経験(松井ら、 感染症誌76:161, 2002)がある。現在感染症法の下で実施されている疾患サーベイランスである感染症発生動向調査では、 病原体検査の結果や診断名が確定してから届け出を行うことが多いため、 疾患特異性は高いものの患者の発生から報告までに一定の時間を要する。症候群別サーベイランスは感染症発生動向調査のこの部分を補う「何らかの感染症の集団発生が疑われる」情報を迅速に探知することを主眼とした強化サーベイランス(enhanced surveillance)として位置づけられる。
FIFAワールドカップ開催時の感染症・症候群別サーベイランスは試合が開催された札幌市・宮城県・茨城県・新潟県・埼玉県・横浜市・静岡県・大阪市・神戸市・大分県と東京都の計11自治体において大会期間中とその前後2週間にわたって実施された。参加医療機関は内科・小児科・皮膚科を有し、 休日・夜間救急外来を備え、 ワールドカップ開催時に診療の中心となると思われた病院に各自治体が協力を依頼した。最終的に各自治体あたり5〜10の合計87医療機関の協力を得られた。
報告対象患者は、 「外来受診患者で入院を要したもののうち感染症が確定、 あるいは感染症が疑われた1歳以上の患者」と定め、 該当患者は診察した医師によって、 (1)皮膚・粘膜症状または出血症状、 (2)急性呼吸症候群、 (3)急性胃腸症候群、 (4)急性神経性症候群および(5)非特異的感染症症候群の5つの症候群のいずれかに分類された。報告する情報は患者の受診日、 年齢、 性、 該当する症候群と、 必須ではないが20文字以内の自由記述の入院時診断名や、 異常/不自然な感染症が疑われ特別措置が必要と思われる場合の理由等とした。情報の入力は「災害救急医療情報システム」内に作成した症候群別サーベイランスのホームページから休日を含め毎日正午までに各医療機関の担当者が行った。
入力されたサーベイランスデータは自動的に集計、 グラフ化され、 各自治体の担当者が監視・解析を行い、 報告数の異常な増加や類似患者の集積が疑われた場合には医療機関を通じてより詳細な情報が収集された。これらの結果も症候群別サーベイランスのホームページ上にある自治体ごとの掲示板に休日を含め毎日、 コメントとして掲載された。一方で、 厚生労働省・国立感染症研究所感染症情報センターは各自治体に対して技術支援を行うとともに、 国内広域状況や共催国韓国および世界各地の感染症情報を輸入感染症対策も踏まえたコメントとしてホームページ上の掲示板に掲載した。ホームページはパスワードによるアクセス制限を設けて一般には非公開としたが、 参加自治体と参加医療機関に加え検疫所や韓国国立衛生院などの関係部署にはパスワードを配布し情報の共有化を図った。
結果として、 本サーベイランスを実施した5月20日〜7月14日までの56日間に皮膚・粘膜症状または出血症状248例(7.2%)、 急性呼吸症候群1,914例(56%)、 急性胃腸症候群607例(18%)、 急性神経症候群231例(0.7%)そして非特異的感染症症候群444例(13%)の計3,444例が報告された。期間中に特別な措置を必要とするような異常な感染症の発生は報告されず、 本サーベイランス上も探知はされなかった。しかしサーベイランスで探知された患者集積、 報告増加の主なものとして、 5月下旬の成人麻疹の集積や6月上旬の小児神経症候群の報告数増加があった。小児神経症候群の増加は追加情報から、 その多くが「髄膜炎」であったことと、 後の感染症発生動向調査および病原微生物検出情報から、 2002年6月を中心にした主にエコーウイルス13型による無菌性髄膜炎の流行を反映していたものと思われた。
期間中にシステム上の大きな障害は発生せず、 参加医療機関の報告率も平日はほぼ100%、 土日などの休日であっても80%以上であった。
今後もバイオテロの可能性が示唆されたり、 国際的なイベントが開催されるなど、 感染症発生の監視を強化する必要がある際には、 症候群別サーベイランスの実施が検討されており、 本システムを有効かつ迅速に実施できる体制を整えておくことが必要である。そのためにサーベイランス実施方法や異常探知時初期対応のマニュアル化、 データ解析の自動化によって参加医療機関や実施自治体の業務負担を最小限に抑えることと、 より適切な情報収集のために報告基準に関する検討、 医療機関や臨床現場の医師の本サーベイランスついての理解を高めることが今後の課題である。
国立感染症研究所・感染症情報センター
鈴木里和 大山卓昭 谷口清洲 木村幹男 John Kobayashi 岡部信彦