流行性耳下腺炎(おたふくかぜ)は、 ムンプスウイルスによって引き起こされる主要な病態の一形態である。かつてわが国では3〜4年ごとにムンプスウイルスの大きな流行が見られたが、 1981年に弱毒生おたふくかぜワクチンが出荷され、 それに伴い大きな国内流行は1989年以降久しく見られなくなっていた。現在、 ワクチンは国内3社により製造され、 2002年の国家検定合格本数は60万ドーズに達している。この量は決して少ない量ではない。ところが、 2000年後半〜2002年前半にかけて再び全国規模の大きな流行が起きた。ワクチンが市場に供給されている中でおきた今回の流行はどんなものであったのだろうか。自然感染症例の患者より分離されたムンプスウイルス60株を岩手、 埼玉、 神奈川、 新潟、 愛知、 岡山、 愛媛、 鹿児島各県の地方衛生研究所(地研)より分与を受けて、 その性状を調査したので報告する。
ムンプスウイルスの遺伝子型別はSH 遺伝子部分を挟んだ共通プライマーを用いてRT-PCRを行い、 その塩基配列より系統樹を作製して行われている。現在までに、 データベース上にアジア・ヨーロッパ地域を中心として多くの株の配列が公開されている。当初北米ヨーロッパのA型、 アジアのB型から始まった遺伝子型別も次々と新しい株が見つかり、 現在ではA〜Jの10種類に分けられるまでに及んでいる。
今回の流行時に分離されたムンプスウイルスのSH 遺伝子の塩基配列はおおむね株ごとに数個の違いが認められ、 同一県内でも単一株の流行ではないことを示した。塩基配列を基に系統解析を行ったところ、 大半の分離株(図:太字)は遺伝子型GあるいはJ型に、 この他の少数の株がH型またはA型に属しており、 現行生ワクチン(図:囲い部分)が由来する1989年以前のB遺伝子型の株はごくまれにしか見られなかった。このことは、 今回の流行株は以前から国内にあった株が再流行したものではなく、 新しい複数の株が同時に流行したものであったことを示している。
ムンプスウイルスのSH 遺伝子は変異を許容する度合いが高く、 遺伝子型別の良い標的となっている。一方、 SH 遺伝子の変化がすなわち、 抗原性の変化になるとは考えにくく、 抗原性という観点からは、 むしろウイルスの主要表面蛋白質であるHN あるいはF 遺伝子の変化が重要である。そこで、 SH 遺伝子でA、 B、 G、 H、 I、 J型に分類されたウイルスより代表株を選び、 改めてそれらの株のHN 遺伝子の蛋白質コード部分の配列を決定し、 HN 遺伝子による系統樹を作製し、 遺伝子型別を行った。その結果、 少なくとも今回の試験に供した株はいずれも、 HNアミノ酸配列においても異なる系統に属することが判明した。すなわちSH 遺伝子に起きた塩基置換は、 HN 遺伝子にも頻度は異なるもののほぼ同じように起きていることを示した。HN 遺伝子のアミノ酸配列が変っているという事実から、 近年流行株の抗原性が変りつつあることが予想される。
ムンプスウイルスのHNやF蛋白質の感染防御に働くエピトープあるいは、 蛋白上のドメインは必ずしもよく理解されていない。したがって、 HNのアミノ酸置換がワクチン株と新型株との間で見つかっても、 必ずしもそれが感染防御上重要なポイントなのかどうかを指摘できるわけではない。B遺伝子型のワクチンが他の遺伝子型の新型株に対して防御効果が弱くなったために今回の流行が起きたのかどうかを知るためには、 より直接的な証拠が必要である。そこで、 B遺伝子型のワクチンであるHoshino株を接種したカニクイザルの抗血清を用いて、 同じB遺伝子型に属するUrabe株と、 新潟県下で2002年に分離されたJ遺伝子型に属する02-49株の中和曲線を比較し、 評価することを試みた。Vero細胞を用いたプラック減少法で比較したところ、 50%中和指数(NT50:Urabe=27.5, 02-49= 27.1)、 90%中和指数(NT90:Urabe=25.3, 02-49= 25.3)ともにB型株とJ型株の間で差は認められず、 同じようにB型株に対する抗血清で中和された。このことは、 B遺伝子型のウイルスとJ遺伝子型ウイルスの間には、 決定的なウイルス中和抗原の違いはないことを示している。すなわち、 現行ワクチンの効果が減弱したという事実は認められないのである。
新しい遺伝子型の株の出現は、 日本だけにとどまらず、 アジア地域では韓国で、 ヨーロッパ地域ではスウェーデンで報告されており、 世界規模で起きている可能性を示唆している。少なくとも試験した株に関する限りHN とSH 遺伝子の塩基置換は相関性が高いことが示されたが、 試験した限りJ遺伝子型ウイルスもB遺伝子型のウイルスもB遺伝子型に属するワクチンウイルスに対する抗血清で同じように中和される。このことは、 両遺伝子型間で中和抗原エピトープの大幅な変化は起きていないことを示している。したがって、 なぜ新しい株が流行したのか、 どのようにしてこのようなウイルスの変化が誘導されたのかについては、 ウイルス学的にも免疫学的にも要因を明らかにすることはできない。原因の一端を明らかにするためには、 今後もこのような調査を継続することが必要であると考えられる。最もありうる仮説は、 市場にワクチンが供給されていても、 それらが接種されずに廃棄されており、 実際には集団としての抗体陽性率が低く、 ある閾値を下回ったために今回の流行が起きたというものである。また、 流行が始まり集団内の抗体陽性率が閾値を上回ったために2002年後半から流行が終息に向かったものと推察できる。これは、 言うなればワクチンが開発される前の状況と基本的にはまったく同じ状況である。今後、 この仮説を検証するには患者のワクチン接種歴調査ならびに集団内のワクチン接種率の調査が必要と思われる。一方、 新型株出現の構図としては流行終息とともにウイルスの数も極端に減少し、 いわゆるボトルネックの状態になり、 その時に新遺伝子型のウイルスが次に選択されてくると推測できるかもしれない。この仮説は、 複数の株が同時期に分離されている事実と矛盾するものではない。今回の2000年〜2002年にかけて見られたような流行をなくすためには、 ワクチンの接種率をあげることが最も早道であると思われる。
本調査研究は各地研の協力の下に行われたものであり、 この場をお借りして感謝いたします。
国立感染症研究所・ウイルス第三部 加藤 篤 竹内 薫* 久保田 耐 田代眞人
(*現筑波大)