現在、 本邦における日本脳炎の感染患者数は年間10名に満たないという低流行状況が続いている。患者発生も西日本に多く、 ここ北陸の地にあっては長年、 患者の報告も無かった。しかしながら昨年、 石川県において日本脳炎患者が報告された(本号3ページ参照)。日本脳炎ウイルスの世界に何かが起こっている可能性もある。我々は1998年に石川県において野外蚊を採取し、 そこから日本脳炎ウイルス株を分離している。ここでは日本脳炎ウイルスの遺伝子解析を基にした遺伝子型の比較およびウイルス分布の変動について述べる。
石川県におけるウイルス分離を目的に1998から3年間、 金沢医科大学から10km程離れた地域にある豚舎近辺の水田脇で蚊の採取を行った。1998年には200匹の蚊を採取し、 そこから2株の日本脳炎ウイルス(U-1およびU-2)を分離することができた。これについては本月報(Vol.20、 No.8、 188-189)に報告している。続いて同一地域(定点)での野外蚊の採取を1999年および2000年の同時期(8月)に行った。しかしながら、 その両年に採取した蚊からはウイルスを分離することができなかった。分離ウイルス株(1998)の遺伝子解析の結果、 両ウイルス株の遺伝子型は日本在来ウイルス株がすべて含まれるIII型であった1)。日本脳炎ウイルスをこうした遺伝子型に分類するというスタイルはChen(1990)らによって始まったものである。現在ではI型からV型までの5種類に分けられている。Chenらの分類ではprM領域のヌクレオチド配列を元に整理されていたが、 生物学的活性からみてそれだけの情報による分別法が分類基準として成立するか疑問視されていた。より生物学的に重要な領域、 例えばウイルス感染成立に重要な役割を果たすウイルスエンベロープ(E)蛋白質ではどうなのか等が指摘された(実際には、 彼らの分類にはかなり妥当性があることが分かってきたのだが)。
表1に示されているようにE蛋白質のアミノ酸配列を比較してみると、 分離ウイルスU-1 は典型的なIII型のパターンを示していた。遺伝子III型ウイルスには代表的なJaGAr01株2)および北京株3)が提示されている。さらに表中には石川県での分離ウイルスの石川株も記している。このウイルスは石川県養豚の白血球から高島ら(1994)によって分離されたウイルスである。遺伝子解析した折に石川株と命名させていただいたのであるが、 遺伝子解析の結果、 驚いたことにこれまで知られている日本分離ウイルス株とはかなり異なっている配列であることが分かった1)。その配列は遺伝子型Iのタイ株に極めて類似していたのである。表には五十嵐らにより1992年分離タイ株のThCMAr(44/92)4)を示している。日本株(III型)とタイ株(I型)とで比較してみると、 異なっている部位は複数あるが、 明確に区別される置換場所は4カ所あった。アミノ酸番号で言えば、 129(T-M)、 222(A-S)、 327(S-T)、 366番目(A-S)のアミノ酸の置換が目立っていて、 日本株とタイ株との違いを明確に示している。本結果は1990年代に日本に遺伝子型Iの日本脳炎ウイルスが広がり始めたことを示している。その後、 東京都健康安全研究センターの吉田らが継続して分離していた東京都におけるウイルスについての遺伝子解析で、 やはり1990年代において本邦の日本脳炎ウイルス分布が異なってきていたことが示唆された。なお、 石川株は全長遺伝子解析を行い、 アクセッション番号AB051292でジーンバンクに登録されている1)。また同時期に韓国で分離され、 全長遺伝子解析された分離株のK94P05も遺伝子型Iに含まれることが明らかになり、 いよいよ1990年代における日本、 韓国地域におけるウイルス交代(III型からI型へ)があったことが明らかになってきた。
こうした複数のグループから出された遺伝子解析結果を総合して体系だてた最近のSolomonらの論文5)によると、 日本脳炎ウイルスの起源は遺伝子型IからVまでの5種類のタイプが混在しているインドネシア、 マレーシア地域にあると推定された。彼らは日本におけるウイルス遺伝子型IとIII型の混在は述べているが、 時間的指標では示していない。前述しているように現在の日本におけるウイルス分布は1990年頃に変化があり、 その結果、 I型とIII型の混合が成り立ち、 今もその変動の中にいると考えられる。
では、 ウイルス病原性はどうなのか。石川株の培養細胞(VeroおよびC6/36)での増殖性はJaGAr01株のそれと差異はなかった。細かな検討はこれから行っていく必要がある。数年前に提出した報告(本月報Vol.20、 No.8、 188-189参照)においても触れていることであるが、 「本邦における日本脳炎の発生は極めて低いが、 それはウイルスが存在してないことを示すものではない、 実際にはウイルスを保有する媒介蚊が生息していること、 従って今後、 日本脳炎発生の可能性は十分あり得ることで、 注意していくことが肝要である」、 としていた。そうした観点にあっても、 昨年、 石川県に日本脳炎患者が発生したという事実は衝撃的であった。残念ながらウイルス分離には成功しなかったようであるが、 その感染ウイルスの遺伝子型はIあるいはIII型のどちらになるのか、 知りたいものである。近い将来の日本脳炎流行の可能性を前にして、 今後、 継続したウイルス分離を行い、 ウイルス分布動向に注意していくこと、 他方では分離ウイルスの生物学的性状の解析を進めることが必須なことと言えよう。
文 献
1)Takegami T. et al., Jpn. J. Infect. Dis.,53: 178-179, 2000
2)Mangada M., Takegami, T., Virus Res. 59:101-112, 1999
3)Hashimoto H. et al., Virus Gene 1: 305-317, 1988
4)Ali A. et al., Arch. Virol. 140: 1557-1575, 1995
5)Solomon T. et al., J. Virol. 77: 3091-3098, 2003
金沢医大・総合医学研究所分子腫瘍学研究部門 竹上 勉