2002〜2003年における麻疹患者の発生と流行阻止対策−宮崎県

(Vol.24 p 191-192)

宮崎県において2002年7月下旬〜2003年5月にかけて地域的な麻疹の流行がみられたので、 患者発生状況、 病原体検出状況、 および流行阻止に向けての取り組みについて、 概要を報告する。

患者発生状況:感染症発生動向調査の患者報告数でみると、 例年と比較して約5カ月早い2002年第30週から地域的な流行が発生し始め、 さらに、 第40週から延岡地区(県北部)と都城地区(県西部)を中心に患者数が増加し、 第48週には両地区で定点当たり報告数が 1.5人を超えた。その後、 規模に違いはあるものの県内のほぼ全域で患者の発生がみられ、 県全体では2003年第14週に定点当たり1.06人とピークを迎えた後、 徐々に減少した(図1)。

過去5年間の宮崎県における患者報告数は、 1998年1,159人(定点当たり31.3人)、 1999年155人(4.19人)、 2000年69人(1.86人)、 2001年875人(23.65人)、 2002年189人(5.11人)で、 1998年と2001年に大きな流行が発生している。2003年の報告数は第23週までに467人(13.0人)となっており、 1998年、 2001年に続く流行で、 九州各県で最も大きな流行規模であった(図2)。また、 成人麻疹の報告数は、 1999年2人、 2000年2人、 2001年10人、 2002年0人、 2003年9人で、 流行年であった2001年、 2003年の報告数が多い。

病原体検出状況:2002年第30週〜2003年第22週にかけて採取した58件の検体からVero/hSLAM細胞およびB95a細胞によりウイルス分離を実施した。同定には市販の抗血清を用いた中和試験を行った。流行初期(2002年第30週)の都城地区2株、 流行中期(2003年第3週)の都城地区2株、 流行中期(2003年第6〜8週)の延岡地区12株、 流行後期(2003年第14〜22週)の都城地区5株、 同じく流行後期の宮崎地区(県中部)3株および日向地区(県北部)1株の計25株の麻疹ウイルスが分離された。また、 2002年第30週の患者(都城地区)由来株1株、 2003年第3週の患者(都城地区)由来株1株および2003年第6週の患者(延岡地区)由来株2株の計4株について、 genotypeの同定を国立感染症研究所・ウイルス第3部第3室で実施したところ、 すべてH1型と判明した。なお、 Vero/hSLAM細胞ではB95a細胞に比べて、 CPEの出現が当所の陽性検体の平均で約0.7日早く、 CPEの判定も極めて容易であった。

また、 都城地区での継続的な流行とともに、 同地区のA高校で2003年2月4日〜3月26日までに45名の麻疹患者が発生した。保護者、 高校、 医療機関、 保健所の協力によってペア血清を入手できた同高校生6名中5名で、 PA法(デンカ生研)により4倍以上の抗体上昇が確認され、 さらに、 これら5名中1名の弟(患者)から麻疹ウイルスが分離されたことから、 麻疹の集団発生であることが確認された。

2003年に麻疹と診断された患者から採取された咽頭ぬぐい液52検体について、 発熱とウイルス検出率の関係をみると、 検体採取時に発熱39.0℃以上の患者からの検出率は59%(22/37)であったが、 発熱39.0℃未満の患者では6.7%(1/15検体)であった。また、 検体採取日の病日の明らかな36検体について検出率をみると、 4病日以内で74%(14/19)、 5〜6病日で40%(4/10)、 7病日以上では29%(2/7)となり、 4病日以内で発熱39.0℃以上の患者からの検出率が高い傾向にあった。

予防接種歴の無い患者6名と、有る患者4名(6病日以内)についてPA法による抗体価を表1に示した。PA抗体価は、 前者ではすべて16倍以下であったが、 後者では2,048〜8,192倍であった。これは、 症状の修飾により病日を正確に把握できない可能性も考えられるが、 予防接種者ではブースター効果により早期に抗体が産生されることを示していると思われる。

流行阻止対策:都城地区ではA高校の集団発生の終息後も患者発生が続いたことから、 管轄保健所では3月24日に市町村を集め対策会議を開き、 5月13日にはFETP(国立感染症研究所実地疫学専門家養成コース)を交えて、 県および市町村が主体となって、 疫学調査を実施することとした。また、 これらの会議内容を踏まえ、 都城地区の1市5町ですべての小中学校生に麻疹感受性者調査を実施して、 対象者には公費で接種することを決定した。5月28日〜6月27日にかけて集団で接種を行った結果、 患者数は減少傾向を示した。その後、 5月下旬に宮崎市内B高校や日南市内C高校で3〜4名の小規模な患者発生があり、 管轄保健所と地方感染症情報センターで感受性者調査および予防接種の勧奨を実施した。これらの地区ではその後大きな流行には至らなかった。

宮崎県においては、 1992年、 1995年、 1998年、 2001年と2年おきに比較的大きな流行が発生しており、 2004年に流行する可能性が高いと考えられたことから、 その流行を阻止する目的で2002年9月に県医師会、 市町村および県などを実施主体として「みやざきはしかゼロ作戦(プロジェクト“M”)」事業を立ち上げていた。この事業の遂行中であったため、 1年早く、 かつ、 例年より立ち上がりの早い流行に対しても、 各機関の連携のとれた対応ができたと考えるが、 今後このような事例に際しては、 より迅速な対応が必要と思われる。

Vero/hSLAM細胞を分与いただいた九州大学大学院医学研究院ウイルス学・柳 雄介先生、 FETPの諸先生方ならびに患者数の把握と検体採取に御協力いただきました関係医療機関等の先生方に深謝いたします。

宮崎県衛生環境研究所
元明秀成 山本正悟 岩切 章 岩城詩子 齋藤信弘
国立感染症研究所・ウイルス第3部第3室 齋藤義弘

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