わが国におけるインフルエンザワクチン製造株の決定過程は、 厚生労働省(厚労省)健康局の依頼に応じて国立感染症研究所(感染研)が検討し、 これに基づいて厚労省が決定・通達している。感染研では、 全国74カ所の地方衛生研究所と感染研、 厚労省結核感染症課を結ぶ感染症発生動向調査事業により得られた流行状況、 および1万株に及ぶ分離ウイルスについての抗原性や遺伝子解析の成績、 感染症流行予測事業による住民の抗体保有状況調査の成績などに基づいて、 前年度の11〜12月に次年度シーズンの予備的流行予測を行い、 これに対するいくつかのワクチン候補株を選択する。さらにこれらについて、 発育鶏卵での増殖効率、 抗原的安定性、 免疫原性、 エーテル処理効果などのワクチン製造株としての適格性を検討する。一方、 年が明けた1月下旬から数回にわたり所内外のインフルエンザ専門家を中心とする検討委員会が開催され、 上記の前シーズンの成績、 およびその年のインフルエンザシーズンにおける最新の成績を検討して、 次シーズンの流行予測を行う。さらに、 WHOにより2月中旬に出される北半球次シーズンに対するワクチン推奨株とその選定過程、 その他の外国における諸情報を総合的に検討して、 3月下旬〜4月上旬に次シーズンのワクチン株を選定する。感染研はこれを厚労省健康局長に報告し、 それに基づいて厚労省医薬局長(現医薬食品局長)が決定して6〜7月に公布している。
平成15年度(2003/04シーズン)に向けたインフルエンザワクチン株は、
A/ニューカレドニア/20/99(H1N1)
A/パナマ/2007/99(H3N2)
B/山東/7/97
であり、 以下にその選定経過を述べる。
1.A/ニューカレドニア/20/99(H1N1)
わが国では、 A/H1N1型(ソ連型)ウイルスは1999/2000、 2000/01、 2001/02の3シーズン連続して流行していたが、 2002/03シーズンは1株が分離されたのみで(感染症週報 2003年第16週号)、 この亜型による流行はなかった。このことからA/H1N1ウイルスの流行株については、 諸外国の情報に依存することとなった。
海外においては、 A/H1N1型ウイルスはB型ウイルスとともに流行の主流であった。流行ウイルス株の抗原解析および遺伝子塩基配列の解析の結果、 2002/03シーズンのワクチン株であるA/ニューカレドニア/20/99類似のウイルスが主流を占め、 抗原変異株は非常に少なく、 特別な抗原変異株の出現は報告されていない。一方、 2001/02シーズンに出現した遺伝子再集合体A/H1N2ウイルスが2002/03シーズンも欧米諸国ではA/H1ウイルスの3〜30%の割合で分離されている。しかし、 このウイルスの赤血球凝集素(HA)抗原・遺伝子とノイラミニダーゼ(NA)抗原・遺伝子は、 ワクチン株であるA/ニューカレドニア/20/99(H1N1)のH1およびA/パナマ/2007/99(H3N2)のN2にそれぞれ類似していることから、 2003/04シーズンについても、 これら両株を含む現行ワクチンで対応可能であると判断され、 WHOでは北半球2003/04シーズンのワクチン株として、 昨年に引き続きA/ニューカレドニア/20/99類似株を推奨している。
一方、 A/ニューカレドニア/20/99株を含む2002/03シーズン用ワクチンの接種者における血清抗体応答は、 ワクチン株のみならず、 抗原的に赤血球凝集抑制(HI)試験で4倍程度変異したウイルス株に対しても高い交叉反応を示した。感染症流行予測事業による抗体保有状況調査においては、 A/ニューカレドニア/20/99に対する抗体保有状況が10代では中程度の保有率であるが、 それ以外の年齢層では依然として低いことから、 この株に対する免疫増強の必要性が示唆された。また、 A/ニューカレドニア/20/99は4シーズンにわたってワクチン株として用いられており、 製造効率・有効性において実績がある。
以上から、 2003/04シーズンのH1N1型ワクチン株として、 昨年と同様にA/ニューカレドニア/20/99を選定した。
2.A/パナマ/2007/99(H3N2)
わが国ではA/H3N2型(香港型)ウイルスは、 4シーズン連続して流行を繰り返しており、 2002/03シーズンはB型ウイルスとともに流行の主流であった。国内分離株の50〜60%はワクチン株A/パナマ/2007/99様であったが、 HI試験で、 ワクチン株から4倍以上変異した株も徐々に増える傾向が見られた。これら変異株の特徴は、 HA蛋白の 155および 156番目のアミノ酸に置換が見られ(155+156変異株)、 これらが抗原性の違いに反映されていると考えられた。
諸外国ではA/H3N2型の流行は中程度で、 分離ウイルスの多くはわが国と同様に、 代表株であるA/モスクワ/10/99や、 わが国のワクチン株A/パナマ/2007/99類似株であったが、 抗原変異株も30%を占めていた。このことから、 次シーズンには抗原変異株の割合が増えることが予想されたため、 ワクチン候補株としては、 これら変異株の中から孵化鶏卵で分離した株について検討する必要があった。しかし、 国内外における大半の流行株は培養細胞で分離されており、 ワクチン製造株としては採用できない。そのために、 WHO では株選定を通常より1カ月遅らせ、 全世界から 155+156アミノ酸置換を含む変異株の孵化鶏卵分離株の入手に努めた。当時、 A/仙台病院/4952/2002またはA/仙台病院/4962/2002株が世界で唯一の検討候補株であり、 WHOを中心に世界各国でワクチン株としての開発を進めたところ、 その後、 継代歴が不明瞭であることがわかったため、 開発を断念せざるを得なかった。一方、 現時点ではA/モスクワ/10/99およびA/パナマ/2007/99類似株が依然として流行の主流であることや、 この株を用いたワクチン接種によって獲得される抗体は、 155+156変異株にも交叉反応することから、 A/モスクワ/10/99またはA/パナマ/2007/99株に対する免疫を高めておけば、 変異株にも対応できると考えられた。従って、 WHO では北半球2003/04シーズンのH3N2型ワクチン株として、 昨年と同じくA/モスクワ/10/99様ウイルスを推奨した。
ワクチン製造株としては発育鶏卵での増殖効率が重要な条件となるが、 A/モスクワ/10/99株自身は増殖性が低いのでワクチン製造には不適である。一方、 この株と抗原的にほぼ同一であるA/パナマ/2007/99株はワクチン製造に適しているので、 わが国および諸外国ではA/モスクワ/10/99様ウイルスとしてA/H3N2型ワクチン製造株に採用されている。
各年齢層における抗体保有状況調査の結果から、 A/パナマ/2007/99株に対して5〜19歳の若年層では比較的高い抗体保有率が見られるが、 高齢者を含むそれ以外の年齢層での抗体保有率と抗体価が低いことが示された。従って、 A/パナマ/2007/99に対する免疫を十分に誘導しておくことが必要であることが考えられた。さらに、 A/パナマ/2007/99株は、 これまで4シーズン用のワクチン株としての実績がある。
以上から、 2003/04シーズンのH3N2型ワクチン株として、 昨年と同様にA/パナマ/2007/99を選定した。
3.B/山東/7/97
国内における2002/03シーズンにおいては、 B型インフルエンザの流行は全体の流行の約30%であった。B型インフルエンザウイルスは、 1980年代後半から抗原的にも遺伝子的にも区別される2つの系統に分流している。その一つはB/ビクトリア/2/87株を代表とするビクトリア系統で、 2000/01シーズンまでは東アジア地区に限定されて流行していたが、 2001/02シーズンからは世界的に広がり、 B型ウイルスの主流となったものである。2002/03シーズンもビクトリア系統株がB型ウイルスの流行の97%を占め、 分離株の大多数はこの系統の代表株B/香港/330/2001や、 昨年度のワクチン株B/山東/7/97 に抗原性が類似していた。一方、 B/山形/16/88株に代表される山形系統は、 2001/02、 2002/03シーズンはほとんど分離されなかった。
海外においては、 B型ウイルスは流行全体の30〜40%であり、 分離株のほとんどがビクトリア系統であった。さらに、 これら分離株の大半はB/香港/330/2001やB/山東/7/97 類似株であった。B型ウイルスの流行はここ2シーズンはビクトリア系統株であるが、 多くの国においては、 若年層を中心にこの系統のウイルスに対する抗体保有率が低いことが推定されるので、 2003/04シーズンもこの系統のウイルスが大きな流行をもたらすことが予想された。そこで、 WHO では北半球2003/04シーズン用のB型ワクチン株に、 B/香港/330/2001類似株を推奨した。
わが国での各年齢層別の抗体保有状況調査の結果からも、 多くの人が山形系統のウイルスに対しては、 抗体価は低いながらもある程度の免疫を保持している。しかし、 ビクトリア系統のウイルスについては、 全年齢層のほとんどすべての人が低い抗体価しかもたないこと、 国内外でこの系統のウイルス伝播が拡大している傾向から、 2003/04シーズンもB/香港/330/2001 類似株による流行が懸念された。従って、 B型ワクチンとしてはビクトリア系統のウイルス株を選択することが妥当であると判断された。
しかし、 B/香港/330/2001株自身は発育鶏卵での増殖性が低く、 また卵に馴化させると抗原性が大きく変化してしまい、 ワクチン製造には不適当であった。一方、 わが国において1999/2000シーズン用のB型ワクチン株として採用された実績を持つB/山東/7/97 株は、 この株と抗原性がほぼ同一であり、 発育鶏卵での増殖性も比較的良好であり、 抗原的にも安定であることが示された。そこで、 2003/04シーズンのB型ワクチン株として、 B/山東/7/97株を選定した。
国立感染症研究所・ウイルス第3部
WHOインフルエンザ協力センター 小田切孝人 田代眞人