わが国のデング熱媒介蚊であるヒトスジシマカの分布域拡大について

(Vol.25 p 35-36)

ヒトスジシマカは東南アジアを起源とするヤブカである。亜熱帯地域から温帯地域に徐々に分布域を広げるために、温帯地域で冬越する術を身につける必要がある。沖縄以南のヒトスジシマカは冬でも発育を停止することなく、1年中卵から成虫への生活環が回っている。一方、厳寒期(1〜2月)の月平均気温が10℃以下になる九州以北の地域では、幼虫や成虫で越冬することが不可能で、卵のステージで10月〜4月まで越冬する。ヒトスジシマカがいつの時代にわが国に移入されて来たのか明らかでないが、1910年に福岡で、また、1917年に東京での分布記録がある。その後、全国的な調査としては、1945〜1950年にわたって、進駐軍がわが国の蚊の調査を詳細に行っている。その報告におけるヒトスジシマカの分布北限は栃木県で、当時、東北地方にヒトスジシマカは分布していなかった。その後、東北地方に分布する蚊の調査は数人の研究者によって行われており、上村(1968)は仙台で初めてヒトスジシマカを確認し1)、その後徐々に分布域の拡大が認められている。

ヒトスジシマカの物流による移動

ヒトスジシマカの分布域がどのような機構で拡大していったか明確な結論は得られていない。同蚊の飛翔範囲は、他のイエカやハマダラカ類と比べると明らかに狭く、半径100〜150mほどといわれている。飛翔行動によって徐々に周辺地域に分散することもあり得るが、多くの場合は卵が付着した古タイヤ、プラスチック容器などや幼虫が発生している水が溜まった容器などが人為的に運ばれることによって起こると考えられている。その例として、米国でのヒトスジシマカの移入が知られている。1984年にテキサス州のヒューストンでヒトスジシマカの幼虫と成虫が採集された。その後、この蚊は徐々に分布域を米国北東部へ広げ、現在ペンシルベニア州南部まで分布域を広げており、生息密度も日本と同じように高い。テキサス州は古タイヤの再生工場が多く、日本、東南アジアから多数の古タイヤを輸入している。当時、東南アジアまたは日本産どちらのヒトスジシマカが移入されたかが大きな問題となった。しかし、分布域の北東への拡大と卵による越冬能力から判断して、日本から輸出された古タイヤと一緒にヒトスジシマカが移入されたと考えられている。

東北地方における分布域の拡大

1960年代に仙台で初めてヒトスジシマカが確認されて以来、あまり詳細な分布調査がなされていなかった。その後、1990年代に東北地方の各都市における分布調査が小規模ながら行われている。その結果、明らかに仙台以北で同蚊の分布・定着が確認された。また、その後、より詳細な調査が続けられ、1998年には古川、本荘で、2000年には山形、一関、秋田、能代で、2002年には新庄、横手、水沢で新たに分布が確認された2)(図1)。このように、1998年以降ヒトスジシマカの分布地域が明らかに広がっている。この理由として、1)東北自動車道、東北新幹線等による人の移動、物流の活発化、2)1996年以降の急激な年平均気温の上昇、3)都市部の限定された地域における微妙な温度上昇(ヒートアイランド現象)、などが関係していると思われるが詳細は不明である。

ヒトスジシマカの分布域拡大と蚊媒介性感染症

デング熱は2〜3年ごとに世界的規模で流行が起こり、1998年の流行時にはわが国の輸入症例数が明らかに増加した。2002年には、台湾南部の高雄市を中心に 5,000名を超すデング熱患者が発生した。媒介蚊はネッタイシマカと考えられているが、一部ヒトスジシマカが関与していた可能性も考えられる。2001年9月からハワイで患者総数が 100人規模の小規模なデング熱の流行が起こった。この流行で最も患者数が多かったマウイ島にはネッタイシマカが分布しておらず、ヒトスジシマカが媒介蚊となった。興味あることは、ホノルル等の都市部での流行ではなく自然豊かな郊外の住宅地で起こった流行である点である。

わが国のデング熱は、1942(昭和17)年に長崎県、兵庫県、大阪府等で大きな流行が起こり、当時の厚生省の統計で患者総数は17,000人を超えている。実際の患者数は数倍以上であったと推定されており、約10万人の患者が発生したと言われている3)。この当時は東南アジア、南太平洋諸国に戦況がもっとも拡大した時期で、軍の徴用船が頻繁に行き来していた時期である。1942年当時、各家々に設置が義務づけられていた防火水槽には大量のヒトスジシマカが発生していた。

現在の成虫密度と比較することはできないが、我々の身の回りに存在するプラスチックなどの人工容器、古タイヤ、雨水マス等の幼虫発生源は当時より増えていると考えられている。今後の世界的な流行状況によっては、わが国でも限定された地域で小規模なデング熱の流行がおこる可能性が予想され、その意味からも、現在のヒトスジシマカの分布状況を調査することは重要である。また、ヒトスジシマカは、米国で猛威をふるっているウエストナイル熱ウイルスに対して高い感受性を示すことから、平常時からの媒介蚊の調査および対策が必要と考えられる。

 文 献
1)上村 清, 衛生動物 19(1): 15-34, 1968
2)Kobayashi M. , Nihei N. & Kurihara T., J. Med. Entomol. 39(1): 4-11, 2002
3)堀田 進, Med. Entomol. Zool. 49(4): 267-274, 1998

国立感染症研究所・昆虫医科学部 小林睦生 二瓶直子 栗原 毅

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