1.はじめに
本年(2004年)1月、わが国で79年ぶりとなる高病原性鳥インフルエンザが山口県下で発生した。その後、3月までに大分県、京都府でも発生し、全部で4件の飼養施設で、約27万5千羽の家きん(鶏、あひる)が感染死または淘汰された。わが国における発生と前後して東アジアを中心に大規模な発生が確認され、ベトナムやタイでは家きんのみならず、人への致死的な感染被害が起こっていたことから、人への健康被害に関する不安が惹起され、家畜衛生はもとより、広く公衆衛生上の問題として、大きな社会問題となった。本稿では、これら一連の発生の際にとられた家畜防疫上の対応について紹介する。
2.わが国の家畜衛生機構と家畜疾病のサーベイランス体制
家畜疾病対策の基本となる根拠法規は、家畜伝染病予防法(以下「家伝法」という。)である。この法律の目的は、「家畜の伝染性疾病(寄生虫病を含む。)の発生を予防し、および蔓延を防止することにより、畜産の振興を図ること」とされている。
家伝法では、26種の「家畜伝染病」が規定されており、この中には、海外悪性伝染病として世界的に恐れられている牛疫、口蹄疫、アフリカ豚コレラのほか、米国のテロで問題となった炭疽や、狂犬病、高病原性鳥インフルエンザ、伝達性海綿状脳症といった人畜共通感染症等の重要な疾病が含まれている。このほか届出伝染病として、71種の伝染性疾病が指定されている(表1)。
家伝法に基づく防疫事務は、国(農林水産省)を中心とする体制の下で、国と都道府県畜産主務課とが直接連絡調整しながら遂行する仕組みとなっている(図1)。現場での防疫実務は都道府県の組織である家畜保健衛生所が担っている。全国に178か所設置されており、総勢約2,100名の獣医師の資格をもつ家畜防疫員が配置されている。家畜防疫員は、農家に直接立ち入り、防疫対応に係る農家への指示や衛生指導等を実施するほか、高病原性鳥インフルエンザのような重要疾病のサーベイランスや、異常家畜の病性鑑定等多岐にわたる業務を行っている。
また、不明疾病や重要疾病の診断機関として、独立行政法人農業・生物系特定産業技術研究機構動物衛生研究所が位置づけられている。高病原性鳥インフルエンザの確定診断は同研究所で実施することとされており、山口県、大分県、京都府の発生事例では、現地の家畜保健衛生所から同研究所に検体(分離ウイルス)が持ち込まれ、ここでウイルスの性状検査が実施された。
3.高病原性鳥インフルエンザ発生の概要と対応
高病原性鳥インフルエンザとは、鳥インフルエンザのうち、国際獣疫事務局(OIE)が作成した診断基準により高病原性鳥インフルエンザウイルスと判定されたA型インフルエンザウイルスまたはH5もしくはH7亜型のA型インフルエンザの感染による家きん(鶏、あひる、うずらまたは七面鳥)の疾病である。神経症状(首曲がり、沈うつ等)、呼吸器症状、消化器症状(下痢、食欲減退等)等を呈し、高率に死亡するのが特徴である。
本病については、近年の海外における発生状況を踏まえ、「高病原性鳥インフルエンザ防疫マニュアル」[2003(平成15)年9月17日消費・安全局衛生管理課長通知]を作成するとともに、12月の韓国での発生拡大を受け、各都道府県等に対応の徹底を指示していたところである。
発生地域では(表2)、本病の蔓延を防止するため、家伝法および防疫マニュアルに基づき、(1)発生農場におけるすべての飼養鶏の殺処分および汚染物品の埋却、(2)発生農場の周辺地域を対象とした移動制限等の措置が講じられた。これにより、発生報告の遅れた京都府では近隣農場への伝播が起こってしまった(表2・3例目から4例目)ものの、山口県および大分県では新たな蔓延は起こらず、初発農場のみの発生に留めることができた。あらかじめ発生を想定した防疫マニュアルが整備してあったので、多少の混乱はあったものの、このマニュアルに沿った対応が粛々と遂行され、蔓延を最小限に抑えることができたのではないかと考えている。
4.感染経路の究明について
本病の感染経路については、農林水産省内に専門家および発生県の担当者からなる「高病原性鳥インフルエンザ感染経路究明チーム」が3月末に設置され、分析・評価が行われ、その結果が6月末に取りまとめられた。3府県の発生はそれぞれ別の感染源による独立した発生である可能性があること、海外からの侵入経路としては、朝鮮半島等から渡り鳥によって持ち込まれた可能性があること、さらに農場や鶏舎内への侵入経路としては、カモなどの渡り鳥の糞が感染源となり、付近に生息する留鳥、ネズミ等の動物や人などの媒介により持ち込まれた可能性があること等が報告され、これに基づき、今後の防疫対策の柱となる「高病原性鳥インフルエンザに関する特定家畜伝染病防疫指針案」が策定された。なお、本報告書については、農林水産省ホームページ(http://www.maff.go.jp/tori/20040630report.pdf)に全文掲載してあるので参照されたい。
5.おわりに
本病については、香港、タイ、ベトナム等で人への致死的な感染例が認められていたことから、家畜衛生上の問題のみならず、人への感染防止といった公衆衛生上の問題として、国民の大きな関心事となった。また、わが国の主要な貿易相手国である中国、タイ、米国等で発生が確認され、そのつど、動物検疫上の観点から鶏肉の輸入停止措置を講じたため、鶏肉の需給に不安が生じた。さらに鶏肉等の摂取により鳥インフルエンザが感染するかのような誤解も相まって、鶏肉、鶏卵の消費が低迷し、食の安全・安心の観点からも国民生活の身近な問題として、大きな社会問題となった。家畜のみを宿主とする感染症の場合は、このような事態はまったく想定外のことであり、動物由来感染症のおそろしさを色々な意味で痛感させられた。幸い、蔓延を最小限に抑えることができ、人への感染被害も起こらずに終息はしたが、東アジアでいまなお発生が続いている中で、常に臨戦体制でインフルエンザシーズンに備えているところである。
農林水産省消費・安全局衛生管理課 課長補佐 杉崎知己