水痘ワクチンの医療経済学的評価

(Vol.25 p 331-332)

予防接種を政策的に勧奨あるいは公費補助を与える根拠として医療経済学的評価、つまり、その予防接種を推奨することが、あるいは公費補助を与えることが、そうでない場合よりも社会にとってあるいは医療保険・公衆衛生財政にとってより安価、よい状態であるという証明が広く求められている1,2)。水痘においても全く同様で、諸外国ではこれまでにも多くの研究が積み重ねられている3-8)。以下ではカナダ、台湾、スペイン、ドイツ、アメリカ、ニュージーランドで行われた研究を取り上げ、少し詳細に見てみよう。

検討されている接種時期は、カナダやドイツでは1歳児、台湾やスペイン、ニュージーランドでは15カ月児、アメリカでは就学前での接種、とまちまちであるが、得られている結論はほぼ共通している。まず、医療保険・公衆衛生的視点に立つと、つまり評価の対象を直接医療費(水痘罹患時や予防接種の際の副反応の治療に実際にかかる医療費)や予防接種に関する費用(ワクチン代、技術料、管理費等)のみに限定すると、罹患に伴う医療費の方が、予防接種に関する費用よりも安価であり、その意味で予防接種をしない方が医療保険・公衆衛生財政にとっては有利であるという点である。例えば、罹患に伴う費用/予防接種に伴う費用の比率は台湾では0.34、スペインでは0.54、アメリカでは0.9、ニュージーランドでは0.67、ドイツやカナダでも1以下とされている。つまり、医療保険・公衆衛生的視点からは水痘の予防接種を勧奨あるいは公費補助を与えることは医療経済学的には支持されない、という結論になる。

他方で、社会的視点に立つと事情は大きく変わる。社会的視点では直接医療費や予防接種に関する費用に加えて、家族が罹患時あるいは副反応の際に看護するために日常生活を中断することによって生じる負担、死亡あるいは重篤な後遺症による損失を加えて評価する。これらは経済学では総称して機会費用と呼ばれている。政策が社会をよりよい状態に導くために行われるのであれば、社会的視点の方が政策的には妥当な視点であろう。こうした社会的視点に立つと、機会費用を含めた罹患に伴う費用/機会費用も含めた予防接種に関する費用の比率はカナダで5.24、台湾で2.06、スペインで1.61、ドイツで4.6、アメリカで5.4、ニュージーランドで2.8といずれも大きく1を超えている。つまり、罹患に伴う費用よりも予防接種に関する費用の方が安価であり、予防接種を勧奨あるいは公費補助を与える方が、社会をより好ましい状態にすることが明らかにされている。このように、医療保険・公衆衛生的視点では支持されず、社会的視点では支持されるのは、水痘が非常に感染力の高い疾患であり患者数も多く、また医療そのものよりもむしろ家族による看護が相対的に重要であるという疾患の特徴に帰因している。家族による看護の負担の推定に関しては若干の議論がかつてあったが、紙幅の関係でここでは省略するが、文献3を参照されたい。

翻って日本ではそうした研究はこれまでなされてこなかったが、現在島根県出雲市で2004年6月15日から1年間の予定で前向き調査が実施されている9)。11月15日までの5カ月間の知見に基づくと以下のような結果となる。まず、浅野から接種率を30%10,11)とすると出生コーホートを 120万として84万人が罹患していると推定され、直接医療費と家族看護に関する費用の総額(疾病負担)は、平均で439億円(25%値298億円、75%値573億円)と推定される。これは、麻疹での死亡例、重篤な後遺症例を含めた疾病負担が2003年の推定患者数5万人で85億円と推定されている12) ことと比べると、水痘の方が5倍程度社会的な負担が大きい疾患であるといえる。また、罹患に伴う費用/予防接種に関する費用の比率は、予防接種の費用を8,000円とすると平均4.4(25%値3.5、75%値4.9)、5,000円とすると平均5.9(25%値4.7、75%値6.5)といずれも諸外国並の高い数値を示しており、予防接種を勧奨あるいは公費補助を与える根拠となる。ちなみに、疾病負担の約8割は家族看護の費用で、それを除いた場合には罹患に伴う費用/予防接種に関する費用の比率は、予防接種の費用を8,000円とする場合には0.8、5,000円だと1.0となる。

 文 献
1) Miller M.A., Hinman A.R., Economics Analyses of Vaccine Policies. in Plotkin S.A., Orenstein W.A. ed., Vaccines fourth edition, Saunders: 1491-1510, 2004
2)大日康史, 日本ワクチン学会編『ワクチンの事典』: 281-290, 2004
3) Brisson M., Edmunds W.J., Vaccine 20: 1113-1125, 2002
4) Hsu H.C., et al., Vaccine 21: 3982-3987, 2003
5) Domingo J.D., et al., Vaccine 17: 1306-1311, 1999
6) Beutels P., et al., J. Infect. Dis. 174: S335-341, 1996
7) Lieu T.A., et al., JAMA 271: 375-381, 1994
8) Scuffham P., et al., Social Science and Medicine 49: 763-779, 1999
9)菅原民枝, 他, 2004年度感染症学会中日本地方会報告
10) 太田耕造, 他,平成14年度『安全なワクチン確保とその接種方法に関する総合的研究』報告書
11) 浅野喜造・吉川哲史,本号322-324
12) 高橋謙造・大日康史, 麻疹ワクチンの費用便益分析, 2001年度厚生労働省新興・再興感染症研究事業「成人麻疹の実態把握と今後の麻疹対策の方向性に関する研究」(代表:高山直秀・東京都立駒込病院小児科医長)報告書

国立感染症研究所感染症情報センター 大日康史
筑波大学大学院人間総合科学研究科博士課程 菅原民枝

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