日本における百日咳抗原変異株の出現状況

(Vol.26 p 63-64)

1.はじめに

百日咳はワクチンにより制御可能な疾病であり、ワクチンの普及とともに世界の百日咳患者数は激減した。しかし、近年の流行株には抗原遺伝子の変異が生じており、世界的にワクチン有効性との関係が論議されている。流行株の遺伝子変異はワクチン抗原として重要な百日咳毒素(PT; ptxS1 )と接着因子であるパータクチン(Pertactin; prn )に認められ、この抗原変異株はワクチン株とは異なる変異蛋白質を産生する。詳細には、抗原変異株が産生するPtxS1は主にM194Iの点変異、Prnは繰返し配列数[GG(F/A)VP]の変異である。

抗原変異株は1996〜1997年にオランダで発生した大規模な百日咳アウトブレークで初めて見いだされ、オランダではワクチン接種率に変動が無かったことから、この変異株はワクチンによる免疫を回避するために出現した可能性があると報告された1, 2) 。この現象は抗原シフト(antigenic shift)と呼ばれ、その後、各国で抗原変異株の出現状況が調べられるようになった。なお、百日咳菌の血清型は2種類が知られているが、分離株の約9割は一つの型に属するため、得られる情報が少ない。現在、菌株の疫学的解析にはパルスフィールド・ゲル電気泳動(PFGE)による遺伝子型別が用いられている。

2.日本における抗原変異株の出現状況

現在、わが国で接種されている百日咳ワクチンはPTと繊維状赤血球凝集素(FHA)を主要抗原とし、これらの抗原はワクチン株である東浜株から精製されている。東浜株はptxS1B prn1 の抗原遺伝子を有するが、近年臨床現場からはワクチン株と異なる抗原遺伝子(ptxS1A , prn2 , prn3 )を持つ抗原変異株が見つかっている。筆者らが1988〜2001年にわが国で分離された百日咳臨床分離株について抗原変異株の出現状況を調査したところ、変異株は1994年にその出現が初めて確認され、1997年以降臨床現場からはほぼ一定(39〜43%)の割合で分離されていることが判明した3)。なお、抗原変異株は全国各地から分離されており、市中において抗原変異株は高度に循環しているものと考えられた。興味あることに、抗原変異株が出現した1994年以降、わが国の百日咳様報告患者数は依然減少傾向にあり、その点で欧米とは異なっている。

わが国で分離された百日咳菌の遺伝子型をPFGEにより解析したところ、PFGE type(Type-A, -B, -C)と抗原変異の間には高い相関が認められた(図1)。Type-A株の95%がワクチン型抗原遺伝子(ptxS1B/prn1 )を有し、一方、Type-B株の90%が変異型遺伝子(ptxS1A/prn2 )を有する菌株であった。欧米諸国で分離された変異株ではこのような高い相関は認められておらず、さらに変異型ptxS1A とワクチン型prn1 を持つ変遷型百日咳菌が1980年代に高い割合で分離されたことから、欧米ではワクチン型百日咳菌が変遷型を経由して抗原変異株に変化したものと考察されている。一方、わが国では変異株とワクチン型臨床分離株との間に遺伝的相関が認められなかったことから、両菌株は異なる由来の菌株であると考えられ、わが国で分離されている抗原変異株は国外から持ち込まれた可能性が強く示唆された。

3.世界における抗原変異株の出現状況

現在、抗原変異株は米国、英国、フランスなど多数の国々でその出現が確認されている(図2)。解析を実施したすべての国で抗原変異株の出現が確認されたことから、百日咳菌の抗原シフトは世界的な現象であると考えられる。欧米の百日咳研究者がこれまでに保存されていた臨床分離株を解析した結果、抗原変異株は1980年代に出現し、1990年頃には臨床分離株の多くが抗原変異株となったと報告した。このことは、欧米の流行株は1990年にはワクチン型から抗原変異株に入れ替わったことを意味し、日本よりも先に抗原シフトが進行したことを示している。現在、英国、フランス、カナダでは百日咳患者数の増加は認められていないが、その一方で、米国、オランダ、ポーランドでは百日咳患者数は再び増加傾向にある。患者発生動向は各国において様々な様相を呈しているが、患者数が増加傾向にある国もあるため、抗原変異株とワクチン有効性との関係は無視できない状況である。

アジアにおける抗原変異株の出現状況は、日本を除き残念ながら明らかとなっていない。日本では抗原シフトが進行中であるため、アジア地域における抗原シフトの進行状況には興味のあるところである。交通手段が発達し、各国の人的移動が激しい状況下においては、感染症対策は自国だけではなく近隣諸国の動向にも目を向けなければならない。

4.おわりに

現在、わが国では百日咳患者数は依然減少傾向にあるため、現行ワクチンの有効性に特段の変化は起きていないものと考えられる。しかし、日本では百日咳菌の抗原シフトは進行中であり、すでに抗原シフトが終了した欧米諸国とは状況が大きく異なっている点に注意しなくてはならない。わが国でも抗原シフトが進行した場合、欧米のように患者数の増加が生じる可能性は否定できないため、今後も抗原変異株の出現動向を監視するとともに、患者数の発生動向については注意していく必要がある。また、百日咳菌は常時ワクチンによる強い選択圧を受けており、この選択圧を回避するために新たな百日咳菌が出現する可能性も考慮しなくてはならない。

 文 献
1) de Melker HE, et al., Emerg Infect Dis 6: 348-357, 2000
2) Mooi FR, et al., Infect Immun 66: 670-675, 1998
3) Kodama A, et al., J Clin Microbiol 42: 5453-5457, 2004

国立感染症研究所・細菌第二部
蒲地一成 児玉温子 堀内善信 近田俊文 荒川宜親

今月の表紙へ戻る


IASRのホームページに戻る
Return to the IASR HomePage(English)



ホームへ戻る