バングラデシュツアーにおける腸チフスの集団発生

(Vol.26 p 90-91)

バングラデシュへのツアー(2004年3月27日〜4月4日)参加者14名から腸チフスとその疑似症患者8例(男性3、女性5)が発生した。参加者は中学、高校生が中心で、患者の年齢は12〜28(中央値17)歳であり、4例が18歳未満であった。発症日は4月19日〜28日に分布し、全例が5カ所の感染症指定医療機関に入院した。6例で血液培養によりチフス菌を検出したが、2例は抗菌薬の使用前に細菌学的検査が行われず、診断が確定しなかった。検出菌はいずれもアンピシリン、スルファメトキサゾール・トリメトプリム、クロラムフェニコールの3剤のみでなく、ナリジクス酸にも耐性を示した。シプロフロキサシンに対するMICは0.25μg/ml であった。また、ファージ型はすべてE9で一致した。合併症はなく、全例治癒したが、1例のみ再燃を認めた。

腸チフスはわが国で年間約60例の報告があり、その大部分は国外での感染である。近年、インド亜大陸を中心にナリジクス酸(NA)耐性菌による腸チフス症例が増加し、治療が難しくなっている。これはパラチフスA菌によるパラチフスでも同様である。今回の事例を通して、以下の3点について考えてみたい。

1.ナリジクス酸耐性菌による腸チフスの治療

腸チフスには解熱までの期間の短さ(通常3日くらい)や治療後の再燃率と保菌率の低さからフルオロキノロン系抗菌薬(FQ)が第一選択である。合併症がなければ経口使用で良いことになっている。ここで問題となるのはFQに低感受性であるNA耐性菌による場合である。FQを高用量で通常より長く14日間程度使用する方法と、アジスロマイシン(AZM)やセフトリアキソン(CTRX)を使用する方法とがあり、どれが良いかはっきりしていない。感染症指定医療機関で今回使用された抗菌薬をとっても、レボフロキサシン(LVFX)のみが3例、トスフロキサシン(TFLX)とセフォタキシム(CTX)の併用が3例、AZMとノルフロキサシンの併用が1例、CTRXのみが1例と多岐にわたっている。FQを通常控える18歳未満が症例の半数を占めているので評価は難しいが、FQ単独で7日程度経過をみる施設と、早くから第3世代セファロスポリン系抗菌薬の静脈内使用を行う施設に分かれた。なお、抗菌薬を開始してから解熱するまでの期間は3〜12(中央値6)日であった。また、再燃した1例は28歳のTFLXとCTXの併用で治療された患者であった。

FQの使用にあたって、国外の治験では、成人であっても抗菌薬の用量を体重で決定していることが多いのに留意する必要がある。NA耐性菌にはシプロフロキサシン(CPFX)やオフロキサシン(OFLX)を例にとると、体重が60kgの腎機能が正常の患者には1,200mg/日以上使用することとなる。一方、感受性菌には900mg/日で良い。その点でわが国の保険上の用量はNA耐性菌には少ないと考えられる。今回はLVFX(400mg〜500mg/日)のみで3例が治癒しているが、若年者で比較的体重の軽かったことも影響しているかもしれない。

AZMは白血球を含めた細胞内に蓄積される傾向がある。チフス菌がマクロファージ内に潜伏することを考えるとこれは理にかなっており、国外での成績も良好である。なお、国内で腸チフスはAZMの適応症に含まれていない。一方のセファロスポリン系抗菌薬は細胞内移行が悪く、再発率が高い傾向にある。

まとめると、NA耐性菌が報告されているインド亜大陸やベトナムで感染したと考えられる患者ではFQをCPFXまたはOFLX換算で20mg/kg/日で開始し、薬剤感受性結果を確認する。治療7日目になっても解熱しない場合はCTRXやAZMヘの変更を考えたい。国外ではFQとAZMの直接比較試験が進行中であり、その結果は今後参考になるであろう。

2.腸チフスの勧告入院

今回は診断が確定した6例にすべて入院の勧告が行われた。入院期間は11〜20(中央値16)日で、解熱後の入院期間は4〜11(中央値9)日であった。6例の勧告入院期間は6〜17(中央値10)日であった。これからひとつ言えることは、症状消失と一般に考えられる解熱後も勧告入院を継続して1週間以上経過をみる傾向があったということである。

腸チフスは2類感染症であるので、蔓延防止のために必要と認められる時には都道府県知事は入院を勧告することができる。また、入院が72時間を超える場合には感染症の審査に関する協議会の意見を聴かなければならない。そして勧告入院は症状消失または病原体を保有しないことの確認をもって終了されることになっている。

これに関して、感染症法が施行されて6年になるが、腸チフスの患者に蔓延のおそれがあるとは具体的にどういう場合なのか、症状消失とはどういうことなのか、といった基本的な点に関係者の間で意見の相違があるように見うけられる。

院内感染対策では患者が失禁していなければ、標準予防策で良いので、一般に蔓延とまで認定するのは困難である。この点、東京都の感染症の調査と危機管理のためのマニュアルは「十分な入院治療ができれば、勧告は通常は必要ない」としている。しかし、細菌性赤痢の患者はほとんど入院を勧告されない一方で、腸チフスの患者には勧告されることが多い。腸チフスは入院中に診断されることが多いため、入院の勧告は通常、感染症指定医療機関への転院を意味する。今回も5例が転院したが、前医には熱帯感染症に詳しい施設もあり、その治療はおおむね適切であった。

腸チフスの病態は菌血症であるので入院治療が望ましいのは当然である。また、感染症指定医療機関は腸チフスの治療経験が多いので適切な治療を受けられるであろう。しかし、個々の事例について、本来の蔓延防止という点が十分に検討されてきたか、今一度確認したい。勧告入院は治療費の公費負担を伴うが、これは患者にとって利点である反面、自治体や納税者にとってはありがたくない話かもしれない。入院の勧告は専門医への紹介を患者が拒否するなど、十分な治療が図られない時にのみ行われれば良いように思われる。

3.渡航前の予防

腸チフスには莢膜多糖体ワクチンと経口生ワクチンがあるが、わが国ではいずれも入手困難である。都立駒込病院小児科の高山らは莢膜多糖体ワクチン(アベンティス社)を個人輸入し、成人の希望者に接種している。2004年9月までに124名が接種を受け、85名が健康調査に協力した。かつての全菌体不活化ワクチンと異なり、副反応は軽微である(感染症学雑誌、印刷中)。ワクチンの需要は確実にあり、早急な承認を望みたい。また、このようなツアーにあたっては、事前に参加者へ十分な感染症情報が提供されることが望まれる。

最後に今回の事例に関する情報を提供していただいた都立豊島病院感染症科・深山牧子先生、都立駒込病院感染症科・今村顕史先生、横浜市立市民病院感染症部・足立拓也先生、都立荏原病院感染症科・角田隆文先生、国立感染症研究所細菌第一部・廣瀬健二先生、同感染症情報センター・多田有希先生に深謝します。

文 献
1)Background document: The diagnosis, treatment and prevention of typhoid fever. WHO 2003
2)Parry CM, et al., N Engl J Med 347: 1770-1782, 2002
3)IDWR 7(8): 10-12, 2005
4)IASR 22(3): 55-56, 2001

東京都立墨東病院・感染症科 加藤康幸

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