2002年4月、札幌市保健所に対して、市内の専門学校で食中毒疑いの集団下痢症が発生したとの連絡があった。4月8〜10日に北海道南部、胆振地方の宿泊施設に研修旅行した 300名のうち170名が下痢等の症状を示したというものであった。札幌市保健所におけるウイルス・細菌検査が陰性であったため、クリプトスポリジウム症を疑い、北海道立衛生研究所で検査を行った。採便できた13名の専門学校生の便について蔗糖液を用いた遠心沈殿法−浮遊法を行ったところ、6名の便から直径約5ミクロンの特徴的な淡紅色を呈するクリプトスポリジウムオーシストを検出した。FITC標識抗クリプトスポリジウムオーシスト単クローン抗体を用いた間接蛍光抗体法により確認を行った。また、オーシストを集嚢し、市販キットを用いDNAを抽出し、精製したDNAを鋳型としてYagitaら(2001)の方法に準じてポリスレオニン遺伝子(poly-T)内の約520bpを増幅し、PCR-RFLPにより遺伝子型を検討した。遺伝子解析の結果、本集団発生はCryptosporidium parvum ヒト型によるものであると同定した。
北海道保健福祉部は発生源対策を行うために、室蘭保健所を通じ聞き取り調査を行い、同時期に当該宿泊施設を利用した江別市内の大学生153名のうち8名が下痢症状を呈したことが判明した。採便できた5名中3名の便からオーシストを検出した。また、当該宿泊施設の従業員350名の糞便についても検査を行ったところ、28名の便からオーシストを検出した。遺伝子検査の結果は、札幌の患者と同様にいずれもヒト型であることを示した。施設の飲用水・使用水および宿泊客に提供した食品について検査が行われたが、オーシストを検出できなかった。
北海道ではC. parvum 動物型による仔牛の下痢症が報告されており、動物型による集団発生の可能性が危惧されていた。しかしながら、今回の集団発生はヒト型によるものであると確定されたことで、野外のヒト以外の動物の糞便による汚染が原因という可能性は否定された。施設の飲用水・使用水および宿泊客に提供された食品からオーシストが検出されず、感染経路を特定できなかったが、無症状もしくは症状のあるC. parvum ヒト型キャリアーにより当該宿泊施設にクリプトスポリジウム原虫が持ち込まれ、そこを起点に集団発生が始まったと推測された。
当研究所では本症の集団発生の機序を明らかにする上で原虫の遺伝子解析が必要不可欠であるという観点から、遺伝子技術の導入を行ってきた。今回のヒト型の決定については、ポリスレオニン遺伝子以外にオーシスト壁蛋白遺伝子(COWP)、トロンボスポンディン関連接着蛋白遺伝子(TRAP C-1)および70kDaヒートショック蛋白(70HSP)についてPCR-RFLPを行い、ヒト型であることを確認した(図1)。さらに18SiF/18SiRプライマーで増幅される18S rRNA遺伝子領域のダイレクトシークエンスの結果もヒト型の配列を示した。
疫学的調査結果から、札幌の患者と当該宿泊施設の従業員から得られた試料は同じ由来であると考えられたが、そのことを確認するためにダイレクトシークエンスによる塩基配列の比較を行った。上記の各遺伝子領域に18S rRNA遺伝子の上流域を加えた総数3,398bpを比較したところ、両者は完全に一致し、由来が異なる可能性は見出せなかった。
また遺伝子型のサブタイプを決定することが可能と報告されている糖蛋白遺伝子(Cpgp40/15)の増幅を行い、その遺伝子配列を決定したところ、ヒト型のサブタイプIe(Accession No. AY167593)と一致した。この配列はWuら(2002)により日本の患者由来のHJ2株として登録されたものであった。
これらの遺伝子情報は札幌の患者と施設の従業員の原虫が共通の由来であることを示すだけでなく、今回の集団発生とこれまでの集団発生、もしくはこれからの集団発生との関連性を明らかにする上で貴重な情報になると考えられた。これらの情報は報告書もしくはDNAデータバンクへの登録を行うことで共有化をはかる予定である。
本事例については、宿泊施設に対する従業員の衛生管理の徹底、給排水系統の再点検、飲用水・使用水の衛生管理の徹底等について指導を行うことで収束した。それ以降の集団発生は確認されていない。本集団発生への対応にあたり、札幌市保健福祉局健康衛生部、同保健所、北海道保健福祉部食品衛生課、同保健予防課、同室蘭保健所、同江別保健所およ北海道立衛生研究所が密接な連絡を取り合い迅速に対処した結果、集団発生の広がりを抑えることができた。北海道立衛生研究所は、飲用水・使用水、宿泊客に提供した食品およびヒトの便の検査を担当した。
北海道立衛生研究所
八木欣平 高野敬志 山野公明 伊東拓也 澤田幸治
国立感染症研究所 古屋宏二