アンゴラにおけるマールブルグ病の発生と対応、2005

(Vol.26 p 215-217)

はじめに:マールブルグ病はウイルス性出血熱を呈する急性感染症であり、マールブルグウイルスに起因する。日本をはじめアジアでの患者発生の報告はなく、ウイルスはアフリカに固有のものと考えられている。マールブルグ病の発生は、その名の由来となった1967年のドイツ、旧ユーゴスラビアにおける実験用サルからの感染例を含めて5件(本号27ページ参照)が知られていたが、今回、初めてアンゴラでの発生が報告され、しかもウイルス性出血熱のアウトブレークとしては2000年のウガンダ北部におけるエボラ出血熱の流行に匹敵する最大級のものとなった。週ごとの患者発生件数は減少しているものの、2005年7月現在も新規患者の報告があり、流行が完全に終息したとは言えない状況にある。WHOのレスポンスについて主に感染制御の観点から報告する。

背 景:ウイジェ州はアンゴラ共和国の首都ルアンダから約300km北東に位置し、北と東はコンゴ民主主義共和国(旧ザイール)と国境を接する。標高は約800mと比較的高く、緑の多い丘陵地帯で年間を通して比較的しのぎやすい気候である。9月〜4月ごろまでは雨季にあたり、ほぼ毎日午後になると強い雷雨に見舞われる。州人口は約130万人、主たる産業は林業、コーヒー・ナツメヤシ・キャッサバ栽培などの農業で、銀・銅鉱山が点在し、建築資材工業なども営まれている。内戦後の帰還難民人口は約20万人で、アンゴラ共和国の中では情勢が比較的安定しているといってよい。人口が集中する州都ウイジェの郊外は主に小規模集落が散在して部落を形成し、ソーバ(Soba)と呼ばれる酋長(多妻が許されている)によって統括されている。伝統的医療を行う祈祷師・呪術師が頻用かつ重用され、近代医療の導入がいまだに困難であるとの保健省当局の見解であった。

概要および経過:2005年3月、WHOはアンゴラ共和国保健省よりウイジェ州(地図)において同年1月〜3月15日までに39例の出血熱によるとみられる死亡の集積が認められたとの報告を受けた。WHOアンゴラオフィスは同アフリカ地域事務局からの応援を得て政府の対応を支援する一方、現地で疫学調査や検体の採集にあたった。アフリカ地域事務局は周辺各国に注意喚起を促し、とくにウイジェ州と国境を接するコンゴ民主主義共和国では、国境地域に緊急調査隊を派遣した。3月21日にはWHO のウイルス性出血熱協力センターである米国CDC(アトランタ)より、12例の死亡例のうち9例の検体からマールブルグウイルスが分離されたとの報告があった。さらに詳しい疫学調査によって、流行の発生は2004年10月に遡り、疑い症例102例(うち95例死亡)が確認された。これらの症例のうち、75%は5歳未満の小児で、成人の症例には医療従事者のクラスターも認められた。これらの事実を鑑みてアンゴラ政府は対外的に緊急援助を要請した。WHOはアウトブレークの鎮圧のため現在までに、疫学、感染制御、実験室診断、文化人類学、民俗学、データ管理、ロジスティクスなどの専門家78人を首都ルアンダ、ウイジェ州をはじめ、患者の報告があったカビンダ州、クアンザ・ノルテ州などに派遣した。また、WHO は現地で、国境なき医師団、UNICEF、国際赤十字などの活動を統括し、アンゴラ政府、ウイジェ州当局との調整も行った。これらの活動が功を奏し、患者発生数は3月末〜4月上旬をピークに減少し、6月以降は週に10例以下の報告となっている()。州都ウイジェではほとんど新しい患者の発生が見られなくなっているが、周辺の地域でいまだに散発例がみられている。これらの地域へは道路も未整備で到達が難しく、情報の伝達も不確実であることなどが原因してアウトブレークの完全な制圧を困難にしている。

インフェクション・コントロール:医療施設における医療従事者の清潔観念は先進国の常識とは大きく異なる。アウトブレーク初期に患者が集積した小児病棟では、20名程度の患児がその母親あるいは年長の姉などの付き添いとひとつの大部屋に共存し、付き添い不在の患児についてはまわりの大人が世話をする。自分の子以外の患児に母乳を与えたり、あやしたりすることもまれではなく、食器は頻繁に共有される。柵がある幼児用ベッドに限りがあるため、転落を恐れて付き添いのものと患児が床に敷物を広げて添い寝する。床は食物残渣や吐物その他の汚物で汚れが激しい。不定期に現れる看護婦は指示された投薬や点滴を行っているが、いわゆるカルテ(病歴・症状・経過・治療などを記載したファイル)は明瞭な形では存在しない。医師は患児を回診することはなく、病棟の外から看護婦に声をかけて病棟の状況を尋ねるが、カルテも、処方箋も書いているわけではない。わずかにイタリアのキリスト教系NGOに所属する非常に献身的な医師たちが重症のマラリア患児などを診察し、治療を行っている。

病院管理者にもインフェクション・コントロールの観念は希薄で、国および州政府の指導をもってようやく、隔離病棟、観察病棟、医療廃棄物処理施設の設置、病棟内のレイアウト、スタッフのトレーニングが徐々に実現されつつある。WHO 、赤十字、UNICEF、国境なき医師団などが協力して、病院スタッフに対して感染制御のワークショップ、トレーニングコースを開催した。流行初期は産科でマールブルグ病の感染による自然流産が多発し、立ち会った医療スタッフが感染している。4月初めまでにウイジェの州立病院だけで15名の医療従事者がマールブルグ病に感染して命を落としていた。したがって残された医療従事者のモラルは極めて低く、中には出勤してこなかったり、給料の良いNGOに転職してしまったりして、病院にはほとんど医療スタッフが残っていない状況であった。

考 察:実験室診断によりマールブルグ病が確定された最初の症例は2月に発症しており、それ以前の症例については疑い例とされているが、疫学・臨床経過はその後の調査でも十分な情報が得られない。したがってインデックス・ケースの確定は不可能で、そのリスク要素についても検討ができない。同行した民俗学者、文化人類学者によると、チンパンジーやゴリラなどの類人猿の捕食は少なくともウイジェ周辺では行われていないという。2月に入るまではほとんどが5歳未満の幼児あるいは乳児例で、成人症例は2例のみである。リスク行為は、小児科病棟への入院、医療従事者(小児科、産科)、葬儀あるいは遺体の清拭への関与、授乳、家庭内看護である。ほかに、ヘルス・センターあるいはヘルス・ポストと言われている簡易一次医療機関、伝統医療機関などを介した感染増幅が著明である。注射器の不適切使用、観血的な伝統医療行為などがその要因であると考えられる。

アウトブレークを鎮圧するためには、院内感染管理のほかに、接触患者の迅速な割り出しと疑い患者の隔離看護がカギとなる。また、地域住民の衛生教育、たとえば葬儀、埋葬にまつわるリスク行為などについて周知させることが重要である。マールブルグ病非流行時には、発熱患者のおよそ9割がマラリア患者であるため、外来患者を熱の有無だけでスクリーニングするのはまず困難である。接触歴も隠蔽しようとするものが多い。患者の早期発見には、発熱患者の経過観察病棟において、マラリア治療および抗菌薬治療に反応しない患者の血液を採取し、カナダ保健省の実験室チームが持ち込んだ「モバイル実験室」でRT-PCRによって判定を行った。頬部粘膜擦過診は侵襲度が低く、臨床サンプリングに不慣れな疫学調査員でも安全に行えるためフィールド調査で頻用されている。未発症者、病初期の患者のRT-PCR陽性度は低いといわれているが、死体から採取した場合には約7割で陽性になり、疑い死亡例の確定とその後の接触者追跡調査については有用な検査と思われた。

WHOアウトブレーク警戒・対策事務局 進藤奈邦子(国立感染症研究所・感染症情報センター)

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