はじめに
わが国での1990年代以降のコレラ発生状況は、1995年の306例を除けば、年間数10例〜100例弱で推移している。本病はインド亜大陸各国や東南アジアに広く分布しており、わが国での海外渡航者感染事例のほとんどは、これら各国への旅行者である。一方、海外渡航歴のない人の国内感染事例も年間数10事例報告されている。これらの中には、コレラ毒素(CT)産生Vibrio cholerae O1汚染食品からの感染とされた事例もある。三重県では2004年12月〜2005年9月までの間に4例の発生があり、そのうち3例は海外渡航歴がなく、2例は重症で、2004年12月に発生した患者は発症2日目に死亡した。そこで、これら4事例の概要を報告する。
1.患者の概要
三重県では、1997年1月〜2004年11月までの約8年間にコレラ患者は4例しか報告されていなかったが、2004年12月〜2005年9月までの約1年間に4例もの発生があった(表1)。このうち、2004年12月に発生した54歳の男性患者は死亡した。この患者は、12月23日朝から腹痛、下痢を認めていたが、その日は仕事に行った。同日23時頃症状悪化のため緊急入院した。この間に激しい下痢と嘔吐を繰り返したため、24日11時にICUへ収容された。その後、極度の脱水症状に陥り、入院2日後の25日に死亡した。入院中に血液からV. cholerae O1:エルトール小川型(CT+)が検出された。患者が死亡したので喫食調査は不十分であるが、家族によると、忘年会等で発症の1週間前は外食が多かったことが判明した。自宅ではエビ等の輸入食品は極力購入しないようにしていた。また、この患者は海外渡航歴はないが、20年前に十二指腸潰瘍により胃を1/3切除するとともに、リュウマチの治療のためステロイドを服用していた。なお、家族、勤務先、治療に携わった医療機関、搬送した消防署、葬儀場職員の便からはV. cholerae O1を含むVibrio sp.は分離されなかった。
また、62歳の男性は、2005年1月2日〜3日にかけて1日10回程度の水様性下痢便を排し寒気があったが、嘔吐、腹痛は認められなかった。その後、自宅で静養していたが、1月4日トイレで倒れ救急車で病院へ搬送された。その日に行った検便でV. cholerae O1: エルトール小川型(CT+)が検出された。1月5日には上腹部痛を伴いゼリー様粘液便を頻回排した。そこで、1月7日第2種感染症指定病院へ搬送された。1月8日には大量の下痢が1回あったが、腹痛、発熱は認められなかった。この病院での絶食を含む加療が功を奏し、1月19日に退院した。この患者は、普段からエビ等の輸入物は購入しておらず、2004年12月25日に寿司、1月1日に近所のスーパーマーケットで購入した数の子、マグロ刺身を喫食した以外生ものは喫食していない。この患者は海外渡航歴がなく、34年前の胃の部分切除以外大した既往歴はない。また、家族の検便でもV. cholerae O1を含むVibrio sp.は分離されなかった。
このほか、海外渡航歴のない44歳の男性が2005年6月21日に頻回の下痢を発現、それが続いたため24日に受診、25日にも8回下痢便を排していたが、26日には症状が消退した。この間に検便を実施したところ、V. cholerae O1:エルトール小川型(CT+)が検出され、コレラと診断された。患者の家族および接触者の検便を実施したが、いずれからもV. cholerae O1を含むVibrio sp.は分離されなかった。
さらに、2005年9月17日〜20日にフィリピンに個人旅行した68歳の男性が9月23日に頻回、24〜25日に1日10回、26日に7〜8回の下痢を発現した。この間に実施した検便でV. cholerae O1: エルトール小川型(CT+)が検出され、27日コレラと診断された。患者の家族および接触者の検便を実施したが、いずれからもV. cholerae O1を含むVibrio sp.は分離されなかった。
2.2000年以降三重県で分離された菌のPFGEによる解析
2000年以降に三重県で分離されたV. cholerae O1: エルトール小川型(CT+)6株についてパルスフィールド・ゲル電気泳動(PFGE)により解析した(図1)。菌の由来は表1に示した。6事例のうち、2004年12月(Lane 3)および2005年の3事例からの分離株(Lane 4〜 6)はほぼ同様のパターンであった。これら4株は、インドへの渡航者から分離されたLane 2の株とは明らかに異なっていた。また、2000年9月に海外渡航歴がなかった患者から分離された株(Lane 1)と1本のバンドしか異なっていなかった。
3.考 察
三重県では、2004年12月〜2005年9月までの約1年間に4例ものコレラ患者の発生があった。比較的短期間のうちの発生であったこと、PFGE泳動パターンがほぼ同様であったこと、うち3例は海外渡航歴がなかったことから、輸入食品を介したdiffuse outbreakが考えられたが、保健所で行った患者の詳細な喫食調査や食品の流通経路調査からその確たる裏付けをとることができなかった。今後このような事例が全国各地で、また広域的に起こることも予想される。現在、3類感染症である腸管出血性大腸菌感染症患者由来株は国立感染症研究所へ集めてPFGEを実施して、その結果が株を提供した全国の地研にフィードバックされる。このシステムは防疫対策構築の上で大変有用で、高く評価されている。そこで、コレラに限らず細菌性赤痢、チフス、パラチフス等についてもすべての発生事例で分離された株を収集、PFGEを実施する全国的な規模のパルスネットを構築し、常に情報を交換し合うことが、広域的なdiffuse outbreakや感染者からの二次感染防止を図るうえでも有用であると考える。2001年に韓国産カキで全国的な細菌性赤痢(Shigella sonnei )によるdiffuse outbreakが起こったときもこのようなシステムが構築されていれば、原因究明も速やかに進み、もっと早く適切な防疫対策がとれたのでないかと悔やまれる。
また、2例の患者は症状が重篤で、うち1例は患者が死亡した。重症化した患者はいずれも胃を切除しており、胃酸の分泌欠如により経口的に感染した菌が減少することなく腸管に達し、そこで急激に増殖したことが大きな要因でないかと推察する。また、死亡した患者はリュウマチ治療のためステロイドを服用していたため免疫力が低下し、感染菌が腸管から粘膜へ侵入し敗血症の形を取ったものと推定される。したがって、今後、このような事例があった場合は、その事実を速やかに担当医に連絡し、それを加味して治療を行うことが必要であると考える。
三重県科学技術振興センター・保健環境研究部
杉山 明 岩出義人 赤地重宏 中野陽子 松野由香里 矢野拓弥 山内昭則
松村義晴 大熊和行 中山 治
三重県津保健所
大川正文 村林嘉郎 小坂みち代 西口 裕