1.はじめに
わが国には予防接種法があり、これに基づく一類疾病および結核予防法に基づく結核の予防接種の対象者は予防接種を受けるよう努めなければならないこととされている。しかし、この規定にもかかわらず、ワクチンの接種率は必ずしも十分高いとは言えない。
ワクチンで防御できる感染症の抗体保有率が低下すれば、1990年代のロシアの政変期のワクチン供給体制の混乱が引き起こしたジフテリアの流行(1994年1月〜10月だけでロシアでの患者数27,904名、死亡者は761名、1995年のウクライナのジフテリア罹患者数は4,000名、致死率は20%という報道がある)や、本邦での全菌体型百日咳ワクチンによると思われる重篤な副反応発生に伴う1974年の百日咳ワクチン中止後に出現した年間患者13,000名、死亡20〜30名を数えた百日咳の大流行などに見られるように、すぐにこれらの感染症が猖獗をきわめることが実際にある。
定期接種であるワクチン接種が行われているかどうかを確認し、勧奨することができる最後の機会が就学時健診である。また、人々に予防接種の重要性の認識を促す絶好の機会でもある。しかし、これまで就学時健診はこのようには利用されてこなかった。
2.就学時健診における予防接種勧奨と文部科学省通知
このような状況下において、2002(平成14)年3月29日に文部科学省より「学校保健法施行規則の一部改正等について(通知):13文科ス第 489号」が出されたことは画期的なことであった。これにより、就学時に(1)予防接種歴を調査し、(2)未接種者には積極的に勧奨し、(3)その事後措置を講ずることが明文化された。しかし、この通知は肝心の教育現場では十分に周知徹底されているとは言い難いと考えられた。そこで筆者は、この通知発令後約1年が経過した時点で、県、県庁所在都市、都下の計 156の教育委員会にアンケート調査を行い、この通知に対する各教育委員会の通知後の対応を調査した。57.1%の教育委員会から回答を得たが、明確にこの通知を認知していた教育委員会は54.5%にすぎず、本通知は十分に認知されているとはいえなかった。また事後措置の一環として予防接種の勧奨をしていると明確に回答した教育委員会は全体の16.7%にすぎなかった。
この結果を2004(平成16)年6月に日本小児科学会雑誌108巻 887-891頁に公表したところ、時の文部科学大臣河村建夫氏より、この状況を改善する旨のコメントを文書でいただいた。
3.文部科学省と厚生労働省の対応
上記通知後、文部科学省と厚生労働省は、就学時健診における予防接種に関する通知などを出している。まず2003(平成15)年11月28日に、厚生労働省から都道府県知事、政令市市長、特別区区長宛に健発第1128002号として「予防接種の実施について」という通知が出た。これには「一歳六ヶ月健康診査、三歳児健康診査、就学時健康診断等において接種歴を確認し、未接種者に対して接種を受けるよう指導する等....(下線筆者)」という記載がある。ちなみに、この通知の前身となる1994(平成6)年8月25日に厚生省保健医療局長から出された健医発第 962号「予防接種の実施について」には、この「就学時健康診断等」の記載が無く、前述の平成15年の通知に、新たに付け加えられたものである。このような通知と行政指導の結果、文部科学省管轄である就学時健診に、厚生労働省管轄の保健所と市区町村の保健行政担当部署が介入可能となった。
また2005(平成17)年9月21日に、厚生労働省健康局結核感染症課長から各都道府県衛生主管部(局)長宛に健感発第 0921001号「麻しん及び風しんに係る定期の予防接種の未接種者への積極的勧奨について」が出された。この通知の、記の4に「就学時の健康診断において、麻しん及び風しんの未接種者に対して、市町村教育委員会を通じ、予防接種の必要性を周知」という記載がある。同日、厚生労働省健康局結核感染症課から、各都道府県・指定都市教育委員会学校保健主管課に宛て「麻しん及び風しんに係る定期の予防接種の重要性の周知について」という同様の文書が出されている。さらにまた、同日付で同様の文書が厚生労働省健康局結核感染症課長から文部科学省スポーツ青少年局学校保健教育課長に出されている。
これらの通知により、それまで教育委員会と保健行政が縦割行政の中で共同して作業することが困難であった点が解消された。
4.通知と行政指導により教育現場は変わったか?−今後の課題
このような通知と行政指導にもかかわらず、しかし今なお就学時健診における予防接種推進の現状は厳しいものがある。これには、教育委員会や学校の現場の職員の予防接種に対する十分な理解が得られていないことに加え、肝心の医師側の一部にも無関心・無理解があることを否定できない。一例を挙げると、平成17年6月1日に東京都医師会から発行された「学校医の手引き(平成17年版)」の「就学時の健康診断」という章には、就学時健診における予防接種推進に関して一言も触れられていない。このような現状の中で、現場で予防接種に関係する医師一人一人への周知徹底のための方策も考えなくてはならないであろう。
5.最後に
「予防接種を受ける子どもの権利」も尊重すべき課題であろう。わが国でも、制度的環境は整ってきた。就学時健診での「予防接種歴の調査・勧奨・事後措置」は、子どもたちに対してワクチン接種による感染症予防を行う最後の機会である。医療関係者、教育行政担当官、予防接種行政担当官の三者は、一致協力してわが国の子どもたちを感染症から解放する努力を、さらに一層、続けたいものである。
永寿堂医院(東京都葛飾区) 松永貞一
杉山内科小児科医院(山口県防府市) 杉山和子
南寿堂医院(静岡県小山町) 岩田祥吾
沖縄県中央保健所健康推進課(沖縄県那覇市) 上原真理子
まちだ小児科(沖縄県北谷町) 町田 孝
中村小児科医院(石川県野々市町) 中村英夫
ふじおか小児科(大阪府富田林市) 藤岡雅司
岡藤小児科医院(兵庫県姫路市) 岡藤輝夫