風疹と先天性風疹症候群の排除(elimination)、1969〜2004−米国

(Vol.27 p 104-105:2006年4月号)

2004年10月、CDCは、米国における風疹と先天性風疹症候群(congenital rubella syndrome; CRS)の排除(elimination)に向けた進行状況を評価するために、公衆衛生、感染症、予防接種の各分野で国際的権威を有する専門家による、独自の委員会を招集した。1969年に風疹ワクチンが認可されてから、風疹、CRSの実質的な減少が認められた。米国内における風疹の常在性(endemic)の流行がなくなったことは、以下の最近のデータに裏付けられている。1)2001年以降、風疹の報告数は毎年25例以下、2)学童期の小児においては少なくとも95%の接種率、3)推定で人口の91%が免疫を保有、4)風疹の集団発生を探知できる適切なサーベイランスの実施、5)ウイルスの遺伝子型が、世界の他地域に由来するウイルスの遺伝子型と一致。これらのデータから、委員会のメンバーは満場一致で、風疹はもはや米国の常在性疾患ではないと結論付けた。

1962〜1965年の世界的な風疹流行の際には、米国内における風疹患者は約1,250万例に上った。結果として、2,000例の脳炎、11,250例の死亡、2,100例の新生児死亡、そして、20,000例のCRSを記録した。その経済的打撃は、米国内だけで約15億ドルにも達すると推定された。この大規模な流行により、風疹ワクチンの開発が促進され、このワクチンを利用した予防接種政策の必要性が強く促された。

ワクチン導入前、風疹の罹患率は9歳以下の小児が最も高かった。1969年の風疹ワクチン導入時には、1歳〜思春期までの小児に対する1回接種を実施した。学童期の小児における接種率を早急に上げるため、特に学校で、大規模なキャンペーンが企画実施された。風疹患者の報告数は、1969年の57,686例から1976年の12,491例まで、78%減少した。同時に、CRS 報告数も1970年の68例から1976年の23例に減少した。1970年代後半までに、風疹患者の報告数は減少し続けたが、一方で、高校や大学、軍、医療現場などで、年長児や青壮年を中心に集団発生が起き、風疹の罹患率は青壮年で最も高くなった。CRSの報告数も増加し、1976年の23例から、1979年の57例に上った。当時の血清疫学調査によれば、成人の10〜20%が風疹感受性者として蓄積していることが推測された。

このことを受け、1978年、Advisory Committee on Immunization Practice (ACIP)は、小児に加えて、感受性のある思春期後の女性と、軍関係者、大学生、職場で感染の可能性がある者も接種の対象として推奨した。小児におけるワクチン予防可能疾患のすべてにつき、小児期の接種率を90%以上に引き上げようとする試みが、1977年にNational Childhood Immunization Initiativeとして始まった。1978年に米国から麻疹を排除するためのプログラムとして、麻疹・風疹(MR)ワクチン、あるいは麻疹・ムンプス・風疹(MMR)ワクチンの使用が奨励された。

これらの努力の下、1977〜1981年の期間に、風疹の患者数は20,395例から2,077例に、1979〜1981年の期間に、CRSの報告数は57例から10例に減少した。1981年度の就学前の風疹ワクチン接種率は、50の州とコロンビア特別区で96%であった。1979年、以前のワクチンに代わり、より自然感染に近い免疫を誘導する新たな風疹ワクチン(RA27/3)が使用されるようになった。

1980年に、1990年までに風疹患者を1,000例以下、CRS報告数を10例以下にするという、国をあげた目標が設定されたが、1983年には風疹970例、CRS4例と、すでにこの目標を達成した。

1980年代初め、医療現場や大学、職場、刑務所などでの風疹集団発生は続いた。1981年、ACIPはそれらの人々に対する接種率を上げることを推奨し、さらに1984年には、政府関連機関や産業の現場にまで推奨の枠を拡大した。1988年には225例以下の風疹患者数であったが、1989年には396例、1990年には1,125例に増加した。集団発生に関連したほとんどの症例は、大学、職場、刑務所やワクチン接種を拒否する宗教団体等に属するワクチン未接種者であった。

1989年、米国は2000年までに風疹とCRSを排除するという目標を設定した。1990年に2回接種を導入することが推奨された。その後も高い予防接種率を維持する努力が続けられ、1990年代半ばまで、風疹の患者数は減少の一途をたどった。しかし、その患者層が変化し、1995年以前は患者のほとんどが非ヒスパニックであったが、1995年以後はほとんどがヒスパニックとなった。1998年からは、風疹患者の出身国のデータが収集された。1998年と1999年において、出身国が分かっている患者のそれぞれ79%、65%が米国外であった。そのうち、1998年では91%が、1999年では98%が西半球の生まれで、さらに1998年には43%、1999年には81%がメキシコで出生していた。また、これらの人々は、ワクチン未接種、あるいはワクチン歴が不明であった。1998〜2000年に合計23例のCRSが報告された。そのうち22例(96%)がヒスパニックの女性から出生し、出生国が分かっている母親の22人が国外での出生であった。

2001年以降、風疹患者数は米国史上最低の値(2001年23例、2002年18例、2003年7例、2004年9例)を記録している。これらの症例の約半数が国外での出生である。2001〜2004年の間に4例のCRSが報告されたが、その母親のうち、3人が国外の出生であった。

症例数の少なさと、それらの症例の出生国等の背景から、もはや米国内における風疹の常在的な伝播はなくなったといえる。特にCDCは、常在的な感染伝播がないことの定義として、どの地域においても、12カ月以上連続して国内で感染をうけたことによる感染伝播が存在しないこととしている。2004年、CDCにより招集された委員会は、風疹の感染伝播は阻止されていると結論付けた。

(CDC, MMWR, 54, No.11、279-282, 2005)

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