HIV-1感染症の予後は1997年のプロテアーゼ阻害剤の認可と多剤併用療法の導入により大きく改善された。逆転写酵素阻害剤2剤とプロテアーゼ阻害剤1剤を組み合わせた多剤併用療法は大変優れた治療効果を示し、感染者体内のHIV-1増殖をPCRで検出できないレベルまで抑制し、末梢血中のCD4陽性T細胞数の回復までも実現した。その結果、欧米およびわが国においてAIDSによる死亡者数が顕著に減少したことは周知のとおりである。しかし、その一方で、積極的な薬剤の使用は薬剤耐性に陥る症例数も押し上げることとなり、薬剤耐性HIV-1は治療を進める際に最も注意すべき障害となっている。そのため薬剤耐性HIV-1検査は適切な治療を行ううえで欠かせない検査と位置づけられている。近年、この薬剤耐性変異を持つHIV-1が治療薬の投与を受けている感染者だけでなく、新たにHIV-1に感染した未治療感染者からも報告されており、感染源としての薬剤耐性HIV-1の拡散が懸念されている。薬剤耐性変異をもつHIV-1の増殖能力が野生型に比して低下していることを考えると、新規HIV/AIDS診断症例から検出される耐性変異が自然に獲得されたとは考えにくく、治療を受けているHIV/AIDS患者からの感染が主な原因と推測される。
新規HIV/AIDS診断症例に薬剤耐性HIV-1による感染が広がりつつある事態は、今後のHIV-1感染症治療戦略に大きな影響を及ぼすと予想され、重大な関心が持たれている。このことから欧米各国でいくつかの疫学的調査研究が行われ、その実態の把握が行われてきた。これらの報告をみると薬剤耐性HIV-1の検出頻度は調査地域や調査対象集団によってばらつきがあり、数%〜26%程度まで幅広い報告がなされている。結果に幅があるひとつの理由は、それぞれの調査において薬剤耐性HIV-1の定義が一様ではないことと、感染者集団における偏りが著しいことが挙げられる。
わが国では、2003年にクロスセクショナルな2つの調査がなされ、それぞれ数%と17%の耐性症例が新規HIV/AIDS症例に認められたと報告されている。このようにわが国においても欧米で行われた調査同様に薬剤耐性HIV-1出現頻度が2つの調査間で大きく隔たっていることが明らかになった。これは本邦においても薬剤耐性HIV-1の頻度が調査集団に大きく左右されることを強く示唆しており、定点観測によるサンプリング調査では薬剤耐性HIV-1の広がりの全貌を捉えることが難しいことを示している。このような背景から、2004(平成16)年度に厚生労働省エイズ対策事業「薬剤耐性HIV発生動向把握のための検査方法・調査体制確立に関する研究」が立ち上げられ、本邦における新規HIV/AIDS診断症例にどの程度薬剤耐性HIV-1が広がっているのかを網羅的に調査することとなった。研究班では全国で薬剤耐性HIV-1検査を実施している15の施設の協力を受けて2003年および2004年の新規HIV/AIDS診断症例の調査を実施した。参加施設すべてよりデータの登録があり、2003年1月〜2004年12月までの2年間に感染が確認された575症例(2003年:267例、2004年:308例)の捕捉に成功した。調査期間中にエイズ動向委員会に登録された症例数が1,375名であることから、およそ4割の新規診断症例を捕捉したことになる。収集した症例の性別頻度、年齢分布、感染経路頻度を調査症例群とエイズ動向委員会登録症例群とで比較検定した結果、研究班で捉えた集団は動向委員会に登録された集団を反映することが証明された。これらの症例すべてに対してプロテアーゼおよび逆転写酵素領域の塩基配列解析を行い、薬剤耐性変異の有無を判定した。その結果、29症例(5.0%)に何らかの薬剤耐性変異が認められた(表)。この頻度は日本と同様の治療環境を持つ欧米諸国の報告と比較して有意に低い水準ではあるが、治療開始時に薬剤耐性検査を実施することが望ましい数字であった。薬剤クラス別に耐性変異の頻度をみると、ヌクレオシド系逆転写酵素阻害剤:18例(3.1%)、非ヌクレオシド系逆転写酵素阻害剤:7例(1.2%)、プロテアーゼ阻害剤:5例(0.9%)であり、抗HIV-1薬剤としての使用歴が長いヌクレオシド系逆転写酵素阻害剤に対する変異が最も多く認められた。これは納得のできる結果であり、また時間とともに耐性変異が拡散していくことが避けられないことを示唆している。2003年と2004年各年の結果には差は認められず、薬剤耐性HIV-1を源とする新たな感染が拡大しつつあるか否かについては明らかにできなかったが、本調査は現在も進行中であり、今後の動向注視が重要である。
厚生労働科学研究費補助金エイズ対策研究事業「薬剤耐性HIV発生動向把握のための検査方法・調査体制確立に関する研究」班
日本薬剤耐性HIV-1調査研究グループ
(主任:国立感染症研究所エイズセンター・杉浦 亙)