日本発のマラリアワクチン開発

(Vol.28 p 10-12:2007年1月号)

1.はじめに

致死性の高い熱帯熱マラリア原虫は熱帯・亜熱帯地域を中心に流行し、年間に100〜300万人が熱帯熱マラリアの犠牲となっており、有効なワクチンの開発に期待が寄せられているが、高度に寄生適応したマラリア原虫に対するワクチンの開発は容易ではない。一度の自然感染によって防御免疫が成立する天然痘や麻疹等に対しては、効果が長期間持続するワクチンが開発されている。一方、マラリアについては防御免疫の獲得が自然感染では容易ではない。もし、一度のマラリア感染によって防御免疫が容易に獲得できるのであれば、マラリアは世界的な問題ともならず、また、ワクチン開発も容易であろう。しかしながら、流行地域住民は幼児期に幾度も感染を繰り返し、ようやく重症化を免れるまでの免疫を獲得する。マラリアによる死亡者の90%は、サハラ砂漠以南に居住する5歳以下の児童である。アフリカのマラリア高度流行地域においては出生する子どもの3人にひとりがマラリアで死亡するといわれている。幼児期を過ぎてもなお多くの住民はマラリア原虫を体内に宿し、また、成人してからもマラリア発症することは稀ではない。一度の感染で防御免疫を獲得できる麻疹や天然痘との大きな違いは、マラリア原虫の遺伝子がヒトの免疫防御を回避する方向に寄生適応してきたことである。

2.SERA抗原のN-末端ドメインはマラリア原虫の「アキレス腱」である

我々はこれまでに熱帯熱マラリア原虫のSERA(Serine Repeat Antigen)という抗原分子に着目してワクチン開発を進めてきた。種々の動物実験の結果、SERA分子の中でもそのN-末端ドメイン(47kd)に対する抗体がマラリア原虫の増殖を阻害することを見出した。SERAの構造、機能および、その発現については文献を参照されたい1, 2) 。

マラリア防御免疫を獲得することは容易ではないが、感染を繰り返した後に防御免疫が確立することは知られている。SERAがこのような防御免疫の標的抗原であるかどうかを調べるために、SERAのN-末端ドメインに対する抗体価について、アフリカ中央部に位置するウガンダのマラリア高度流行地域に住む児童を対象として疫学調査を行った。その結果、SERAのN-末端ドメインに対する抗体価を持つ児童は全く発熱をしておらず、児童の血中マラリア原虫率と抗SERA-IgG3抗体価に極めて明瞭な負の相関関係が認められた。また、ソロモン諸島のマラリア高度流行地域に居住する住民を対象とした疫学調査においても同様の結果が得られた。これらの結果は、マラリア免疫を獲得したヒトの血清成分の中で、抗SE36抗体がマラリア原虫の増殖阻害に最も大きく寄与するものであることを示していた。

一方、本疫学調査によって興味深い観察結果が得られた。流行地域住民におけるSERAのN-末端ドメインに対する抗体価の陽性率を年齢別に比較してみたところ、10歳以下の年齢層では抗体保有者が10%以下であり、成人を見ても50%に満たない。疫学調査を実施した地域は高度マラリア流行地域であり、住民は例外なく乳幼児の時期からマラリア感染にさらされている。これらの結果から、感染によってN-末端ドメインに対する抗体を獲得することが容易ではないことがわかる。以上の観察は、SERA抗原のN-末端ドメインがマラリア原虫の「アキレス腱」ともいうべき隠された重要な標的抗原であることを強く示唆する。

3.SE36マラリアワクチンの開発

これまで行ってきた動物実験や、疫学調査の結果から、SERA抗原のN-末端ドメインが極めて有望なワクチン候補抗原であることが示された。我々は(財)阪大微生物病研究会と協力して、SERA抗原のN-末端ドメインを若干改変した組換えSE36蛋白質を大腸菌で発現させたSE36マラリアワクチン臨床治験製剤を生産した。本治験製剤を用いて行ったリスザルによるワクチン試験において、ワクチン接種によって抗体価が十分に上昇したリスザルでは、対照群のリスザルに比べて80%程度の原虫抑制効果が認められた。2006(平成18)年に国内において、ヒトに対する安全性を調べる第I相臨床試験が終了した。その結果は、安全性とともにワクチン接種者で100%の抗体陽転が認められた。

マラリア感染を繰り返す高度マラリア流行地域の住民においてすら、抗SE36抗体保有者は50%にも満たないことから、SE36蛋白質のワクチン効果は大いに期待されるところであるが、ワクチン効果はワクチン接種対象者のマラリア経験によって大きく影響を受ける可能性がある。流行地域では、SE36ワクチンがかなりのマラリア発症抑止効果を与えるであろうと期待できる。一方、日本人のようにマラリア感染経験が無い場合に、マラリア発症をどのレベルまで抑止できるかについての確実な予測はできない。しかしながら、マラリア感染経験が無い人の場合でもSE36ワクチンによって血中原虫率をある程度抑制すれば、マラリア重症化による死亡を予防するものと期待している。

今後はウガンダなど流行地域において第II相臨床試験を実施し、効果判定試験を行う予定である。本プロジェクトはWHO-TDR (世界保健機関熱帯病研究特別プロジェクト)との共同プロジェクトとして進めている。

 文 献
1)堀井俊宏, 他, 細胞工学 23(7): 785-790, 2004
2)堀井俊宏, 青木彩佳, 治療学 37(6): 635-639, 2003

大阪大学微生物病研究所 堀井俊宏

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