タイ、韓国における食餌性ボツリヌス症発生に対する日本の抗毒素供給支援
(Vol. 29 p. 45-46: 2008年2月号)

筆者は、2006年3月と9月に、タイと韓国において発生した食餌性ボツリヌス症の発生に際し、感染症の緊急国際協力のため、関係の厚生労働省担当課および製薬会社と連携し、抗毒素搬送および事例の情報収集等に携わった。両事例の概要、わが国の抗毒素供給支援の様子に関して報告する。

1.タイにおける食餌性ボツリヌス症集団発生事例
2006年3月22日、WHO(World Health Organization: 世界保健機関)はタイ北部ナン県における大規模なボツリヌス症の集団発生を公表した1)。

疫学調査を実施したタイFETP(Field Epidemiology Training Program:実地疫学専門家養成コース)によれば、3月15日〜同月26日までに合計163例の症例が確認され、141例が入院、42例が人工呼吸管理を必要としたとのことであった2)。後に、疫学調査にて自家製のタケノコ缶詰が統計学的有意差をもって最も高い相対危険度を示したことに加え、缶に残存していたタケノコから嫌気培養とPCR法によりボツリヌス菌およびA型ボツリヌス毒素を検出したことから、この缶詰のタケノコを原因食材とした食餌性ボツリヌス症の集団発生であったことが確認された。

本事例に対し、タイ政府は国を挙げて調査・対応にあたっていたものの、治療に必要とされるボツリヌス抗毒素製剤の国内備蓄がなく、その確保にあたって世界各国に供給支援を依頼した。その結果、曝露から5日後に英国の抗毒素20バイアル(A〜G型)が最初に供給された。翌日に米国から50バイアル(A、B型)が供給され、最も重症な症例群にこれらの抗毒素が使用された。わが国からは、曝露から9日目にあたる3月23日に日本政府備蓄分の抗毒素(千葉県血清研究所製造「乾燥ボツリヌスウマ抗毒素」A、B、E、F型)23バイアルを搬送し、うち8バイアルが、比較的軽症であるものの主治医により投与が必要であると判断された8例に同日中に投与された。投与後12時間後の主治医による診察で、投与された8例中6例が、眼瞼下垂、嚥下困難、口腔内乾燥等の自覚症状が改善したと訴えた。

本事例は、歴史的にも食餌性ボツリヌス症における最大規模の集団発生であり、最終的に患者数は209例、入院134例、人工呼吸管理が必要とされたもの42例であったが、幸い死亡したものはいなかった3)。

2.韓国における食餌性ボツリヌス症発生事例
2006年9月20日、韓国ソウル市内において食餌性ボツリヌス症が疑われる患者1例の情報があり、WHO西太平洋事務局(WPRO)を通じて、韓国政府から日本政府にボツリヌス抗毒素供給に関する支援要請があった。患者は、韓国忠清南道在住の75歳の女性で、高血圧の既往歴があり、野菜作りを中心とした農業に従事していた。9月16日17時ごろに腹部症状、嚥下困難、眼瞼下垂、構音障害を認めたため、近医を受診したところ、食餌性ボツリヌス症が疑われたため、翌17日にソウル市内の病院に転院したとのことであった。転院後に、呼吸不全のため、人工呼吸管理とされた。

韓国National Institute of Health (NIH)に提出された実験室診断の結果はその時点で未着であったが、臨床上、食餌性ボツリヌス症が強く疑われたこと、さらに患者の状態が人工呼吸管理を要する重症であったことより、抗毒素の投与が必要と判断されたが、タイ同様、韓国においても、ボツリヌス抗毒素製剤の国内備蓄がなかったために、タイの事例を周知していたWPROにより、わが国に緊急支援要請がなされた。その結果、発症から5日後の9月21日に前述と同じ抗毒素製剤3バイアルを搬送し、同日中に1バイアル投与された。投与後15時間後の主治医による診察で、顔面筋の麻痺や眼球運動、眼瞼下垂、呼吸機能等に改善が認められた。

原因となった食材は不明であったものの、患者の全身状態が回復し、人工呼吸器を離脱したという情報を、帰国後、発症から11日経過した9月27日に得た。

筆者は両事例において、WHOからの支援要請から約24時間後に、抗毒素製剤とともに出国することができた。食餌性ボツリヌス症に対する抗毒素の投与は、発症から24時間以内が望ましいとされている。両事例のように発症から数日経過した時点での投与における効果は、今後のさらなる事例の蓄積と検討が必要と考えるが、24時間以上経過してから投与された両事例において、患者に症状の改善が見られたことは非常に重要な臨床的知見であったと考える。アジア地域での感染症集団発生等の有事の際、日本の持つ質の高い医薬品製剤の供給は、物理的に距離が近いこともあり、搬送時間と搬送に際した製剤の品質保持、コストの両面からも非常に意義が高いものであることを実感した。今後もアジア地域で同様の発生をみた場合には、日本の医薬品製剤に関する供給支援要請は、強く望まれることになるであろう。しかし一方で、わが国における当該製剤の備蓄量の把握、国内での必要量に関しての見積もりとのバランスも十分に検討されなければならない。わが国を含めた東アジア、東南アジア地域でネットワークを組み、危機管理上必要と考えられる医薬品製剤の備蓄流通に関して、WHO 地域事務局を中心とした体制を構築する必要があるかもしれない。Ungchusakら3)も指摘しているように、国内での危機管理体制の充実とともに、物理的技術的な国際支援体制の構築も必要不可欠なものであると考える。

 参考文献
1) Disease Outbreak News, WHO, http://www.who.int/csr/don/2006_03_22a/en/index.html
2) MMWR 55(14): 389-392, 2006
3) Ungchusak K, et al ., Bulletin of the WHO 85(3): 238-240, 2007

国立感染症研究所感染症情報センター
山本(上野)久美 多屋馨子 岡部信彦
国立感染症研究所国際協力室 中嶋建介

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