新型インフルエンザウイルスとは、現在ヒトの間で広く流行しているA亜型インフルエンザウイルス(A/H1N1とA/H3N2)以外の、新たにヒト―ヒト感染する能力を持ったA亜型インフルエンザウイルスのことである。A型インフルエンザウイルスの自然宿主はカモであり、1968年に出現したA香港型ウイルスは、カモから家禽、ブタを介してヒトへの感染力を身につけ、現在までヒトの間で流行を繰り返している。なお、その後も新たに変異したA香港型(A/H3N2)ウイルスは東・東南アジアで出現し、その後世界に広まっている1)。
東・東南アジアは、家禽、ブタ、ヒトの接触が密な地域であり、しかもその地域で家禽からヒトへの感染が証明されているのがA/H5N1亜型であること、歴史上A香港型ウイルスは東南アジアで出現していることなどから、A/H5N1亜型が新型インフルエンザウイルスの有力候補と考えられている。A/H5N1亜型は複数のクレードに分類されており、A/H5N1亜型が新型インフルエンザウイルスとして登場したとしても、どのクレードのA/H5N1亜型が新型インフルエンザウイルスとなるかは、予測不可能である。
効率よくヒト―ヒト感染ができる新型インフルエンザウイルスが出現すると、ヒトの間で大流行する。ヒトの間で大流行する新型インフルエンザウイルスがパンデミックウイルスである。現在はA/H5N1亜型のいずれかの株がパンデミックを起こすと予測されており、本邦では、リバースジェネテックスの技術を用いて作製されたA/H5N1ウイルスワクチン株を、孵化鶏卵で増殖させてワクチンを製造している(プレパンデミックワクチン)。
日本で開発されたプレパンデミックワクチンは、インフルエンザウイルス全粒子をホルマリンにより不活化後精製した全粒子ワクチンで、免疫の初期化を高めるために水酸化アルミニウムをアジュバントとして加えている。まず、クレード1に属するベトナム株を用いた接種試験(3週ごとに2回接種、2回接種3週後に抗体測定用の血清を採取)が行われ、中和抗体価40倍以上の上昇を70%以上の接種者に認めている2, 3, 4)。なお、多くの接種者で注射部位の疼痛、発赤、硬結などの局所反応を認めているが、著明な全身反応は認められていない。また、皮下注射のほうが筋肉注射よりも局所反応の頻度が高率である。
ベトナム株接種により免疫の初期化が認められたが、この株は孵化鶏卵での増殖が悪いため、孵化鶏卵での増殖がよく、しかもクレードが異なる2株(インドネシア株:クレード 2.1、安徽株:クレード 2.3)を用いたプレパンデミックワクチンが製造されている。現在のプレパンデミックワクチンの研究では、(1) 各株を健康成人それぞれ3,000人に接種し、95%の統計学的有意でみつかる0.1%の副反応を確認する試験(安全性試験)、(2) 200人を対象としたインドネシア株および安徽株接種による免疫初期化効果、持続性、および交叉免疫性を調べる試験、(3)ベトナム株接種により免疫が初期化された 200人を対象にインドネシア株または安徽株を接種し、免疫ブースター効果、交叉免疫性を調べる試験、の3種類が計画されている。なお、交叉免疫性とは、一つの株の接種で誘導した免疫が、クレードの異なる他の株に対しても中和活性を示すことである。
今後の新型インフルエンザ対策におけるワクチンの位置づけを考える上で大事なのは、追加接種によるブースター効果の証明と交叉免疫性の証明である。追加接種した株が初回接種した株と異なっていてもブースター効果が認められるならば、クレードにかかわらず、孵化鶏卵での増殖効率がよいA/H5N1ウイルス株で作製されたワクチンで免疫を初期化しておき、パンデミック時に1回追加接種することで、より高い免疫力の誘導が期待できる。また、交叉免疫性が証明されたならば、プレパンデミックワクチンで使用したA亜型と同じA亜型インフルエンザウイルスによるパンデミック発生時に、備蓄しているプレパンデミックワクチンを1回接種することにより、パンデミックウイルスに対しても効果的な免疫を誘導させることができ、流行の抑制が期待できる。
プレパンデミックワクチン接種時の問題点として指摘されているのは、(1)季節性インフルエンザワクチンにおいて 100万分の1でおこるギラン・バレー症候群が、プレパンデミックワクチンでも起こるか、またその頻度はより高率か、(2)パンデミックが始まるとパンデミックウイルスは季節性インフルエンザウイルスと同様に変異するか、の2点である。
1976年米国で行ったスワインインフルエンザウイルスワクチンでは、ギラン・バレー症候群の頻度は高かったが、その後同じ製法で製造されている季節性インフルエンザワクチンのギラン・バレー症候群の発生頻度は100万分の1と、特に高くないこと、水酸化アルミニウムをアジュバントとして用いているDPTワクチンでは局所反応の頻度は高いものの、重篤な全身反応の頻度が極めて低いことなどから、プレパンデミックワクチンによりギラン・バレー症候群の特別な増加はないと予測されるが、300万人規模で接種しないと証明は不可能である。
季節性インフルエンザウイルスの変異は、中和抗体と結合するエピトープ(部位)で起こっており、この変異をおこす圧力は人が保有する抗体である。即ち、多くの人がそのインフルエンザウイルスに対して高い抗体価を持つと、中和エピトープが変異したインフルエンザウイルスが選択され流行する。一方、新たに出現するパンデミックウイルスは、免疫学的にバージンな集団に感染するため、多くの人が高い免疫力を持つまでは、中和エピトープが変異した株が流行しない。スペイン風邪出現時の流行の波から考えると、1回の流行で25%の人が感染するので、少なくとも75%の人が感染する3年間は抗体のプレッシャーがないため、中和エピトープは変異しないと予測される。このことから、プレパンデミックワクチンでブーストされた免疫により、3年間の感染防御が期待される。
最後に、現在本邦が備蓄しているのはA/H5N1亜型に対するプレパンデミックワクチンであり、A/H5N1以外の亜型がパンデミックを起こすと効果は期待できない。しかし、水酸化アルミニウムをアジュバントとする全粒子インフルエンザワクチン(新型インフルエンザワクチン)は、ベトナム株の試験で免疫を初期化できることが示されている。A/H5N1以外のパンデミックを起こした亜型のパンデミックウイルス株を用いて、急いでプレパンデミックワクチンと同じ組成のパンデミックワクチンを作製し、そのワクチンを接種すれば免疫の初期化が期待できる。また今回の試験でブースター効果が証明されれば、免疫が初期化された人にパンデミックワクチンを追加接種することで免疫の賦活も期待でき、ひいては社会レベルでの流行抑制も期待される。なお、現在アジュバントを加える全粒子ワクチンで、日本での製造が承認されているのはA/H5N1亜型のみである。
文 献
1) Russell CA, et al ., Science 320:340-346, 2008
2) 阪大微生物病研究会:沈降新型インフルエンザワクチン(H5N1株)添付文書
3) 北里研究所:沈降新型インフルエンザワクチン(H5N1株)添付文書
4) http://www.who.int/vaccine_research/diseases/influenza/flu_trials_tables/en/print.html
国立病院機構三重病院院長(小児科) 庵原俊昭