子宮頸癌や尖圭コンジローマ発症の最大リスク因子は粘膜型ヒトパピローマウイルス(HPV)の感染である。メルク社とグラクソ・スミスクライン(GSK)社はHPV感染を防いでこれらの疾患を予防するワクチンを開発した。遺伝子組み換え技術を使って抗原を作製したコンポーネントワクチンで、これまでの大規模臨床試験では、被験者に重篤な有害事象はなく、有効性を期待させる成績を得ている。メルク社のワクチンは2006年に米国FDA と欧州委員会によって市場導入が認められ、GSK社のワクチンも2007年に欧州委員会が承認した。日本では、メルク社およびGSK社が1,000人規模の臨床試験を進めているが、市販はまだ承認されていない。
HPVは直径50〜55nmの正二十面体粒子でエンヴェロープは無く、約8,000塩基対の環状2本鎖DNAをゲノムとする。性行為等で生じた性器粘膜の微小なキズから侵入し、表皮の幹細胞である基底細胞に感染する。基底細胞でウイルスは増殖せず、核内でゲノムが一過性に複製して40〜500コピー程度がエピゾームとして存在する潜伏感染状態となる。潜伏感染細胞はHPV蛋白質をほとんど発現しないので免疫系の標的にならず、しかも感染細胞の分裂時には、HPVゲノムも複製され、娘細胞に分配されるので、長期間にわたって基底層に存在すると推定されている。表皮形成の最終分化を始めた感染細胞では、分化の進行に同調してゲノムの複製とキャプシド蛋白質の合成がおこり、ウイルス粒子が形成される。ウイルス増殖に伴って病変が形成されることがあるが、多くの場合無症状であると考えられている。
ゲノムDNAは子宮頸癌や尖圭コンジローマの病変部で検出されるが、ウイルス粒子が分離されることはあまり無い。DNAの塩基配列の相同性に基づいて遺伝子型に分類され、粘膜指向性HPVのうち、子宮頸癌に検出されたものを高リスク型(16、18、31、33、45、52、58型等)、良性の尖圭コンジローマ等の原因となるもの(6、11型等)を低リスク型と呼んでいる(図1)。16型が最も高頻度で子宮頸癌に検出され、50〜60%を占める。2番目に多い型は、欧米では18型とされるが、わが国では18型より33や58型が多い。キャプシドは 360分子のL1蛋白質による正二十面体の骨格に12分子のL2蛋白質が組み込まれた構造をしている。細胞でL1蛋白質のみを高発現させると、細胞核内で集合してHPV粒子と極めて良く似たウイルス様粒子(virus-like particle, VLP)を形成する(図2)。
ワクチンの有効性は動物パピローマウイルスで示された。ワタノオウサギパピローマウイルス(CRPV)で生じたウサギのパピローマからは、感染性ウイルスが得られる。ウサギの皮膚に傷を付けてCRPVを擦り込むと、しばらくしてパピローマができるが、ホルマリンで不活化したCRPVでウサギを免疫しておくと、その後のCRPV接種でパピローマの形成が無いことがわかった。CRPVのVLPやL2蛋白質の免疫でも同様に抵抗性を獲得した。さらに、免疫されたウサギの血清やIgG を別のウサギに静注すると、やはり抵抗を示し、主役は抗体であることが示された。ウシやイヌのパピローマウイルスでも同様な成績が得られ、VLP を抗原とするHPVワクチンの開発が進められた。
メルク社ではHPV16、18、6、11型のVLPを酵母で作り、これらを混合したワクチン(Gardasil)を開発した。欧米では、16、18型が子宮頸癌の70%の、6、11型が尖圭コンジローマの90%の原因とされている。16〜23歳の健常女性を対象に、初回、2カ月後、6カ月後にワクチン抗原を筋注し、その後の被験者を36カ月観察した。それぞれ約5,000人のワクチン接種群とプラセボ群を比較して、HPV16、18、6、11型の感染と病変の形成をほぼ完全に阻止した成績を報告している。GSK社では16、18型のVLPを組換えバキュロウイルスで作製し、独自のアジュバント(AS04)と混合したワクチン(Cervarix)を開発した。15〜25歳の健常女性を対象に、初回、1カ月後、6カ月後にワクチン抗原を筋注し、HPV16、18型の感染と病変形成をほぼ完全に阻止した成績を報告している。さらに、16型とアミノ酸配列が似ている31型、18型とアミノ酸配列が似ている45型の感染も有意に抑制したとしている。どちらのワクチンも有害な副作用は報告されていない。投与後、極めて効率よく血清中に中和抗体が誘導され、その後徐々に抗体価は低下しておよそ1年半後に定常状態となるが、それでも自然感染で誘導される抗体価より数十倍高い。
これらのワクチンは開発されたばかりであり、未解決の課題は多い。どの程度の血清中の中和抗体価があれば感染が阻止できるか不明なので、3回のワクチン接種が必要なのか、あるいは追加免疫が必要ないのか等のプロトコールの最適化が終わっていない。効果判定の指標にHPV DNAの有無を使った場合、HPVの潜伏感染は無症状でDNA の検出も困難なため、DNAを検出できなかったからといって感染を否定することはできない。数カ月おきに連続して採取した試料を使うことが提案されているが、どのような間隔で何回試料を採取すべきかはっきりしない。思春期の女児を対象とすべきか、男児は接種対象とすべきか、胎児への影響はあるか、等々は今後の臨床試験のデータに基づいて議論しなければならない。そして最大の課題は、ワクチンの誘導する抗体は型特異性が高く、限定的な交差性が示されているが、基本的にGardasilは6、11、16、18型に、Cervarixは16、18型にのみ有効で、他の型のHPVの感染阻止はほとんど期待できないことである。L2蛋白質に存在する型共通中和エピトープをワクチン抗原に応用する研究も進められている。
これまでに成功したワクチンは、“二度罹りなし”といわれる全身性感染症を対象にしている。ワクチンで免疫記憶を与えておくと、実際の感染時には粘膜から侵入した病原体が局所で一時増殖した時点で急速な免疫応答が誘導される。血液を介して病原体が標的臓器に到達し、二次増殖を起こす前に、免疫系が病原体を排除する仕組みである。従って、ワクチンは感染を防ぐのではなく、発症を防ぐ効果がある。HPVの場合は、いったん潜伏感染細胞が生じると排除が難しいので、感染そのものを防ぐ必要がある。ワクチンが誘導する高濃度の血中IgG抗体が細胞間液やリンパ液に移行し、常時生殖器粘膜表面に滲みだすことで、HPV感染を防ぐと期待されている。このようなワクチンの例はなく、市場導入後も効果を注意深く検証する必要がある。
国立感染症研究所病原体ゲノム解析研究センター 神田忠仁