平成20年度(2008/09シーズン)インフルエンザワクチン株の選定経過
(Vol. 29 p. 307-309:2008年11月号)

わが国におけるインフルエンザワクチン製造株の決定過程は、厚生労働省健康局の依頼に応じて国立感染症研究所(感染研)が検討し、これに基づいて厚生労働省が決定・通達している。感染研では、全国76カ所の地方衛生研究所と感染研、厚生労働省結核感染症課を結ぶ感染症発生動向調査事業により得られた流行状況、および約5,000株に及ぶ分離ウイルスについての抗原性や遺伝子解析の成績、感染症流行予測事業による住民の抗体保有状況調査の成績などに基づいて次年度シーズンの予備的流行予測を行い、これに対するいくつかのワクチン候補株を選択する。さらにこれらについて、発育鶏卵での増殖効率、抗原的安定性、免疫原性、エーテル処理効果などのワクチン製造株としての適格性を検討する。年が明けた1月下旬からは、数回にわたり所内外のインフルエンザ専門家を中心とする検討委員会が開催され、上記の前シーズンの成績、およびその年のインフルエンザシーズンにおける最新の成績を検討して、次シーズンの流行予測を行う。さらにWHOにより2月中旬に出される北半球次シーズンに対するワクチン推奨株とその選定過程、その他の外国における諸情報を総合的に検討して、3月末までに次シーズンのワクチン株を選定する。感染研はこれを厚生労働省健康局長に報告し、それに基づいて厚生労働省医薬食品局長が決定して5〜6月に公布している。

平成20年度(2008/09シーズン)に向けたインフルエンザワクチン株は、
   A/ブリスべン/59/2007(H1N1)
   A/ウルグアイ/716/2007(H3N2)
   B/フロリダ/4/2006
であり、以下にその選定経過を述べる。

1.A/ブリスべン/59/2007(H1N1)
今シーズンは、A/H1N1亜型株による単一流行に近い状況であり、流行が終息した現時点で 3,646株が分離されている。地方衛生研究所および感染研で抗原解析を行った結果、分離株の約70%は前年度のワクチン株A/ソロモン諸島/3/2006に類似していた。しかし、赤血球凝集抑制(HI)試験でワクチン株から4〜8倍以上の抗原性の違いを示す変異株も増えてきている。これら変異株を含む最近の流行株のほとんどは代表株A/ブリスべン/59/2007に対するフェレット抗血清とよく反応した。特に3月以降はA/ブリスべン/59/2007類似株が顕著に増えてきたことから、A/H1N1の流行はワクチン株A/ソロモン諸島/3/2006類似株からA/ブリスべン/59/2007類似株へと変化してきていることが示された。同様の傾向は、流行株の赤血球凝集(HA)およびノイラミニダーゼ(NA)遺伝子解析からも見られ、ほとんどの株はA/ブリスべン/59/2007株を含む遺伝子群(クレード)2BおよびA/香港/2652/2006株が入るクレード2Cに入り、ワクチン株A/ソロモン諸島/3/2006とは遺伝的にも明確に区別された。このことから、次シーズンはA/ブリスべン/59/2007類似株による流行が主流となることが予想された。

北半球諸国の多くは、わが国と同様でA/ソロモン諸島/3/2006類似株が大勢を占めるものの、A/ブリスべン/59/2007類似株が増える傾向が見られ、3月以降は分離株の約80%はA/ブリスべン/59/2007類似株であった。さらに、流行が終息したばかりの南半球諸国では、分離株のほぼすべてがA/ブリスべン/59/2007類似株であった。このことから、A/H1N1亜型は世界的にA/ブリスべン/59/2007類似株による流行に変わってきている。

A/ソロモン諸島/3/2006株ワクチン接種後のヒト血清抗体のA/ブリスべン/59/2007類似株に対する交叉反応性は高くなかった。また、感染症流行予測調査事業による抗体保有状況調査において、A/ソロモン諸島/3/2006ワクチン株に対して感染防御の指標となるHI価1:40以上の抗体保有率は、10〜29歳が50〜80%と高いのに対して、9歳以下および30歳以上の年齢層においては15〜40%であった。さらに、これらの抗体は、流行の主流になりつつあるA/ブリスべン/59/2007類似株に対する交叉反応性は高くない。これらの成績から、今後流行の主流がA/ブリスべン/59/2007類似株になった場合は、現在よりワクチンによる防御効果が下がる可能性が示唆された。

以上の経緯から、WHOでは2008/09シーズンのワクチン株として、A/ブリスべン/59/2007類似株を推奨した。一方、国内ワクチンメーカーによるワクチン候補株の増殖性、孵化鶏卵継代による抗原性、遺伝子の安定性を検討した結果、A/ブリスべン/59/2007株は前年度のワクチン株A/ソロモン諸島/3/2006より高いウイルス収量が見込まれ、十分な製造効率が期待できた。

以上のことから、2008/09シーズンのA/H1N1亜型ワクチン株として、A/ブリスべン/59/2007が選定された。

2.A/ウルグアイ/716/2007(H3N2)
今シーズンのA/H3N2亜型株による流行は小さく、国内では504株が分離された。分離株の抗原解析の結果、わが国のワクチン株A/広島/52/2005株類似株は5%程度であり、約80%の分離株は、今シーズンの参照株A/ブリスベン/10/2007に対するフェレット抗血清とよく反応し、HI試験で4倍以内に収まっていた。一方、A/ブリスベン/10/2007類似株であるA/ウルグアイ/716/2007抗血清に対しても、約70%の分離株はよく反応していた。この傾向は3月以降も変化がなく、流行株の主流はA/ブリスベン/10/2007類似株で占められていた。北半球諸外国においても全く同様で、流行株の約80%はA/ブリスベン/10/2007類似株であった。同様に南半球諸国においても流行株の約80%はA/ブリスベン/10/2007類似株であった。このことから、A/H3N2亜型流行株の大半は、世界的にA/ブリスベン/10/2007またはそれと抗原性が類似株しているA/ウルグアイ/716/2007類似株であることが示された。

HA遺伝子の解析からは、流行株の大半はG50E、K140Iアミノ酸置換を持ちA/ブリスベン/10/2007株およびA/ウルグアイ/716/2007株を含むブリスベン/10遺伝子群に入っていた。諸外国で分離されるA/H3N2株も大半がブリスベン/10遺伝子群に入ることから、遺伝的にも流行の主流はA/ブリスベン/10/2007類似株であることが示された。

前シーズンのワクチンA/広島/52/2005株に対するワクチン接種後の抗体保有状況は、5〜24歳で高い抗体価が見られたが、それ以外の年齢層では30%程度の保有率であった。これら抗体は、流行の主流となったA/ブリスベン/10/2007類似株に対して低い交叉反応を示したことから、前年度のワクチンによる感染防御効果は低いと判断された。

以上のことから、WHOワクチン株選定会議において北半球および南半球の次期ワクチン株としてA/ブリスベン/10/2007類似株が推奨された。

ワクチン製造には、孵化鶏卵で高増殖する製造株が必要であることから、A/ブリスベン/10/2007を用いた高増殖株が開発された。しかし、この高増殖株は孵化鶏卵に馴化する間にHA遺伝子に欠損変異が入り、抗原的にも元株から識別できるほど抗原変異を起こしていた。また、欠損変異が入らなかった別ロットの開発株は、孵化鶏卵での増殖性が悪く、製造株としては不適であった。このため、抗原的にも遺伝子的にもA/ブリスベン/10/2007類似株であるA/ウルグアイ/716/2007株を用いて開発された高増殖株について検討した。その結果、当該高増殖株は、孵化鶏卵で高い増殖性を示すこと、さらに、抗原的にも遺伝子的にも元株からほとんど変化せず、安定していることが確認された。

以上のことから、2008/09シーズンのA/H3N2亜型ワクチン株としてA/ウルグアイ/716/2007を選定した。

3.B/フロリダ/4/2006
国内における2007/08シーズンのB型株による流行は小さく、306株が分離された。B型ウイルスは1980年代後半から抗原的にも遺伝系統的にも異なる2つのグループ(山形系統およびビクトリア系統)に分岐している。今シーズンのB型流行株は、山形系統が77%、ビクトリア系統が23%という比率であった。香港など一部に例外はあるが、ほとんどの諸外国においてもB型の流行は山形系統株によることが報告されている。このことからB型の流行は世界的にビクトリア系統から山形系統へ変化したことを示している。

国内分離株の抗原解析の結果、山形系統分離株の大半はB/フロリダ/4/2006類似であるB/仙台-H/114/2007フェレット抗血清とよく反応することから、流行株の主流はB/フロリダ/4/2006類似株であることが示された。諸外国においても、山形系統の流行の主流はわが国と同様でB/フロリダ/4/2006類似株であった。一方、わずかながら分離されたビクトリア系統分離株は、ワクチン株B/マレーシア/2506/2004と抗原的に類似していた。

山形系統株の遺伝子解析の結果、分離株はアミノ酸置換V251Mをもつ群に入り、その中でも大半の株はB/ブリスベン/3/2007やB/仙台-H/114/2007代表株が入る遺伝子群に属していた。一方、ビクトリア系統株は、前年度と全く変わらず、B/マレーシア/2506/2004に代表される特徴的なアミノ酸置換K80R、K48E、K129Nをもつ群に集積された。

抗体保有状況調査をビクトリア系統のB/マレーシア/2506/2004株で実施したところ、抗体保有率が最も高い30〜34歳で約45%であったが、全年齢層にわたって抗体保有率は低かった。一方、山形系統のB/フロリダ/7/2004株に対する抗体保有率は、10〜34歳で40〜65%と高かったが、それ以外の年齢層では10〜35%と低かった。また、ここ2シーズンはビクトリア系統による流行が続いたことから、3シーズン前のワクチン株B/上海/361/2002で得られた抗体は、最近の代表株B/フロリダ/4/2006に対しては交叉反応性が低い。

このことから、WHOは世界のB型インフルエンザの流行がB/フロリダ/4/2006で代表される山形系統に変わったことから、2008/09シーズン用にB/フロリダ/4/2006類似株を推奨した。

山形系統のB/フロリダ/4/2006、B/ブリスベン/3/2007、B/仙台-H/114/2007株について孵化鶏卵での増殖性を検討した結果、B/ブリスベン/3/2007、B/仙台-H/114/2007の増殖性、蛋白質収量とも悪く、製造には不適であった。一方、B/フロリダ/4/2006の増殖性は高く、抗原的にも安定していた。

以上のことから、2008/09シーズンのB型ワクチンには山形系統からB/フロリダ/4/2006を選定した。

国立感染症研究所ウイルス第三部・WHOインフルエンザ協力センター
小田切孝人 田代眞人

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