チクングニヤ熱の一症例報告
(Vol. 30 p. 108-109: 2009年4月号)

患者は、神戸在住3年のマレーシア人主婦である。家族で、2008(平成20)年12月19日より、クアラルンプールに滞在、2009年1月3日に帰国している。12月〜2月が、当地は雨期であり、蚊への曝露歴がある。

2009(平成21)年1月5日晩より熱発と全身の関節痛が出現、1月6日に当院国際内科を初診となった。胃腸症状はなく、現地でインフルエンザ(flu)患者や鳥との接触はない。3年前より、甲状腺機能亢進症で内服中であった。

ルーチンの血液検査以外、flu迅速抗原検査、マラリア塗抹検査(マラリア血清迅速キットも併用する)、腸チフス/パラチフスA診断のための血液培養、デング熱迅速抗体検査(PanBio Dengueキット)を実施した。画像診断としては、1月6日と8日に胸部X線、8日に超音波を実施している。flu迅速検査、マラリア塗抹検査、血液培養は翌日も繰り返したが、結果はすべてが陰性であった。

血液検査は、WBC 7,050(好中球89.4%、リンパ球6.4%)、RBC 496万、Hb 13.5g/dl、Plt 29.4万、CRP 1.86mg/dl、GPT 24 U/l、LDH 223U/lであった。血清学的検査では、Dengueキットで、IgM(-)、IgG(+)であったが、デング熱の既往はないとの患者の説明であった。

ただし、デングウイルスIgG抗体検査には、他の熱性ウイルス性疾患によるcross-reactionの問題がある。さらに、デング熱の罹患があり、今回他の血清型のデング熱に罹患し、出血熱の発症の危惧から、国立感染症研究所のウイルス第一部へ連絡し、実験室診断を依頼した。

1月8日に、TaqMan RT-PCRにて、チクングニヤウイルス(CHKV)による感染の第一報の報告を受けた。

その後発熱は、発熱後6日目には平熱。前後して、痒みのある発疹が体部や大腿に出現したが、10日目には消失した。関節痛は初期から、手関節や足関節など末梢の小関節が主体であった。

他の家族(夫と子供2人)には、14日目まで、発熱と関節痛の症状の発現はなかった。関節痛は3週目頃より軽減、4週目には、数日に1度の鎮痛剤内服で自制内であるとの説明であった。

1月14日の一般検査結果:WBC 5,150(好中球54%、リンパ球33%、異型リンパ球2%)、Hb 12.9g/dl、Plt 43.2万、CRP 0.41mg/dl、GPT 16U/l、LDH 307U/lであった。急性期、回復期を通じて血小板減少は認めなかった。

実験室検査結果:CHKV-IgM抗体が、1月6日陰性、1月8日陰性、1月14日陽性、2月4日陽性、中和抗体も同様で、1月14日より陽転化した。CHKV RNAは107copies/mlであった。デング熱は、1月6日のRT-PCRにてデングウイルス(DENV)は陰性。DENV-IgM抗体はいずれの血清も陰性であり、DENV-IgGの陽性は、過去の感染であったと推察される。

考察:今回は1例報告であるが、チクングニヤ熱の急性期からの経過を観察できたこと、さらに急性期と回復期を含め、実験室検査を解析できたことは重要である。さらに、現行のわが国の感染症法に基づく対策についても、同感染症の追加が必要ではないかとの問題に対し、資料を提供すると考える。すなわち、1)感染症法の整備の問題:チクングニヤ熱はわが国では、まだ報告対象の感染症になっていない(一方、ウエストナイル熱は、2002年11月には報告の必要な4類感染症になった)。2004年のケニアの流行から一連のインド洋諸島と南インドでの大流行は、 200万以上の感染者があった。髄膜炎や死亡者などの報告もあり(一般に、デング熱と異なり、予後は良好と認識されていたチクングニヤ熱である。ただし、死亡例については、高齢者や併存疾患をもった患者が大多数であると報告されている)、早急に対策を講じなければならないだろう。特に、発症直後は、高い血中ウイルスレベルを確認した。2)本感染症の日本への定着化の問題:現在、チクングニヤウイルスのベクターは、地域やウイルス株により異なるが、Aedes aegypti (ネッタイシマカ)とA. albopictus (ヒトスジシマカ)の2種類が知られている。特に、後者は、日本にも広く分布しているヤブ蚊であり、米国でも、デングウイルスやウエストナイルウイルスのベクターとなりうる蚊として警戒されている。2006年までに、欧米では、1,000例以上の旅行者による自国への持ち込み例が報告されている。また、2007年、温帯圏のイタリア北東部で、204例の実験室診断の確定例を含む、334例の同疾患の流行があった(1例の死亡患者があった)。日本と近い地理的関係にある東南アジアや南アジアでの流行やヒトスジシマカの常在するわが国は、この事態をもっと深刻に受け止める必要があると考えられる。3)検査のインフラの問題である。発熱と関節痛を起こす旅行者感染症としては、デング熱がその患者数から一番重要であり、鑑別診断上も大切である(チクングニヤ熱の関節痛は、小関節が中心で、長期に及ぶのが特徴である)。ただし、コマーシャルラボでのデング熱の検査料金は高く、チクングニヤ熱の検査はない。したがって、特殊ラボの設備のない一般病院での旅行感染症診断は一般に考えられるほど容易でない。今世紀になり、都市化と地球温暖化のためか、デング熱は、毎年のように何万人規模の流行が、アジアや中南米各地で報告されている。ただし、わが国の輸入デング熱患者報告数は年間100例前後であり、未確認の輸入症例が多数存在する可能性がある。すなわち、診断システムやサーベイランスシステムの構築、ひいては防疫体制がまだ不十分であることを示唆しているのかもしれない。

2006年の大流行時には、チクングニヤ熱の情報がインターネット上に多数流れ、欧米での旅行者の診断の際に多いに参考になったとの報告もある。今後、これらの現代の情報ツールを活用し、医療関係者への疾患の周知、危険地区のup-to-dateな感染症情報の提供(例えば、チクングニヤ熱の流行は、マレーシア、シンガポール、インドネシア、タイなど東南アジアに波及し現在も流行は拡大している)、さらに、いっそうの利便性のある血清診断の窓口の開設やサーベイランスシステムの構築を願う次第である。

神戸海星病院国際内科 山本厚太 松本謙太郎
国立感染症研究所ウイルス第一部 林 昌宏 高崎智彦

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