日本における薬剤耐性HIVの動向 2003〜2007年
(Vol. 30 p. 232-234: 2009年9月号)

多剤併用療法(highly active anti-retroviral therapy: HAART)がHIV/AIDSの標準的な治療法として1997年に導入されてからHIV感染症の予後は大きく改善された。今日までの約10年で抗HIV薬剤は大きく進歩し、初期の薬剤で認識された様々な問題(容易な薬剤耐性ウイルスの誘導、短い血中薬剤半減期、重篤な副作用等)を解決した新薬が登場し、HIV感染者が服薬に要する負担と努力は軽減されている。これに伴い薬剤耐性による治療の失敗症例は減少し、治療失敗症例から検出される薬剤耐性の頻度や変異パターンは大きく変わりつつある。しかしながら、HAART以前の単剤もしくは2剤療法の時代に治療を開始した長期治療症例の中には多剤耐性を獲得したために難治療に陥った症例がおり、深刻な問題となっている。また、抗HIV治療が積極的に進められてきた先進諸国では、薬剤耐性HIVによる新たな感染の発生が問題となっている。本稿では本邦において治療を受けている症例と、新規HIV診断症例における薬剤耐性HIVの動向についてそれぞれ紹介する。

国立感染症研究所(感染研)では1996年よりHIV感染者の治療支援を目的に薬剤耐性HIV遺伝子検査を実施してきた。その後2006年に薬剤耐性HIV遺伝子検査が保険収載されるまでの10年間で1,659症例、7,396検体の薬剤耐性検査を実施し、臨床現場に検査・解析結果を至適治療の指標として還元するとともに薬剤耐性HIVの遺伝子情報等を収集してきた。図1には核酸系逆転写酵素阻害剤(nucleoside analogue reverse transcriptase inhibitor:NRTI)、非核酸系逆転写酵素阻害剤(non-nucleoside reverse transcriptase inhibitor:NNRTI)、プロテアーゼ阻害剤(protease inhibitor:PI)それぞれの代表的な耐性変異の出現頻度年次推移を示した。からは新薬の登場後、当該薬剤に対する耐性ウイルスが速やかに出現したことが明確に読み取れる。興味深いことに、薬剤耐性の観察頻度はNRTIとPIともに1999年をピークに減少に転じている。これはHAART脱落の理由が薬剤耐性HIV以外にシフトしたことを示している。考えられる背景として、(1)観察集団の変遷:HAART導入当初は単剤あるいは2剤療法からHAARTに切り替えた症例が観察主体であったため薬剤耐性の観察頻度も高かったが、年とともに初回治療からHAARTを導入した症例に移り、これらの症例では薬剤耐性を獲得するリスクが減ったこと、(2)治療技術の進歩:症例・経験の蓄積や治療ガイドラインの整備によりHIV/AIDS診療レベルが高まったこと、(3)強力な新薬の登場:抗ウイルス効果が強化され、かつ薬剤耐性を獲得しにくい(genetic barrierが高い)新薬が開発実用化されたこと、などがあげられる。

2006年の薬剤耐性HIV検査の保険収載に伴い薬剤耐性検査の主体は民間検査会社に原則移行したが、その後の薬剤耐性HIVの状況を把握するために、感染研の保有する薬剤耐性データベースの中から2006年以前に薬剤耐性と判定された195症例を抽出し、治療の現状・転帰について調査を実施した 1)。その結果160症例についての回答が得られ、2006年当時2クラス耐性であった症例の半数は現在ウイルス量(VL)が50コピー/ml未満にコントロールされていることが明らかになった。これに対して3クラス耐性群では、VLが50コピー/ml未満のコントロール良好群が26%まで減っている一方、死亡率は26%まで増加していた(図2)。この結果が示すように、現在の強力なHAARTではかつて薬剤耐性のためにウイルス増殖を抑えきれなかった症例でも抑え込むことが可能となっている。しかし、過去に薬剤耐性が観察された症例では獲得した薬剤耐性ウイルスは消滅したわけではなく潜伏感染の状態であるため、長期にわたる治療の経過の中で再び顕在化する恐れがあり、十分な注意が必要である。

また、2007年9月の時点で国内承認されている抗HIV薬の使用のみでは、HIVの増殖抑制が不十分であるコントロール不良症例数の調査をHIV/AIDS診療に携わる主要な医療機関43施設に対して行った結果、当該 2,000症例のうち既承認薬でのコントロール不良症例、いわゆる多剤耐性症例が51症例(<2%)報告された。この2%未満という薬剤耐性HIV症例数は欧米諸国からの報告に比べると極端に少なく、本邦におけるHIV診療体制が効果的に機能していることを示している。これは現在までのHIV/AIDS感染者数が欧米先進諸国に比して少ないことも影響していると考えられ、従って今後のHIV感染者数の増加に伴い数値が高くなる可能性が危惧される。

薬剤耐性HIVに関して近年関心が持たれている問題に、薬剤耐性HIVによる新たな感染の拡大が挙げられる。薬剤治療が進んでいる先進諸国では2000年頃から新規未治療HIV/AIDS症例からの薬剤耐性HIVの検出が報告されるようになっている。その頻度は調査の時期および調査国により差があるものの、全体では10〜15%程度の頻度、薬剤別にみると概ねNRTI>NNRTI >PIの順番で観察されている。本邦の状況については、2003年よりエイズ対策研究事業として全国の治療拠点病院、地方衛生研究所等の協力のもとに新規HIV/AIDS診断症例を対象にした全国調査が実施されている。その結果、2003〜2004年にかけての調査では新規HIV/AIDS診断症例に観察された薬剤耐性変異獲得症例は4.0%であった 2)。その後も調査は継続されており、2005年7.8%、2006年6.6%、2007年9.7%と、多少の増減はあるものの全体として増加の傾向が認められている(表1) 3)。幸いなことに、観察された症例の耐性レベルは軽微であるが、治療を受けている感染者集団から、新たなHIVの伝播が起きている明確な証拠であり、HIV感染予防対策を講じる上で考慮すべき事実である。

以上、治療を受けているHIV/AIDS患者における薬剤耐性HIVの推移について述べてきたが、2008年にはインテグラーゼ阻害剤と宿主因子を狙ったCCR5阻害剤という全く新しい薬剤が登場しており、今後薬剤耐性変異の動向は大きく様変わりすることが予想され、引き続き調査を継続してその把握をすることが重要である。

謝辞:本稿で紹介した調査は厚生労働省エイズ対策研究事業「薬剤耐性HIVの動向把握のための調査体制確立及びその対策に関する研究」班により行われた。研究班員ならびに調査に協力いただいた医療機関の先生方、そして患者の方々にこの場をかりて御礼申し上げる。

 参考文献
1)宮崎菜穂子, et al ., 日本エイズ学会誌, 11(2): 146-151, 2009
2)Gatanaga, H., et al ., Antiviral Res 75(1): 75-82, 2007
3)Hattori, J., et al . The 16th Conference on Retroviruses and Opportunistic Infections, 2009, Montreal, Canada.

国立病院機構名古屋医療センター
国立感染症研究所エイズ研究センター 杉浦 亙

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