世界麻疹排除計画と世界麻疹風疹実験室ネットワーク
(Vol. 31 p. 35-36: 2010年2月号)

「麻疹排除」へ向けての世界の取り組みを理解するためには、麻疹の恐ろしさを正しく認識する必要がある。かつてはわが国でも「命定め」と恐れられた麻疹も、予防接種の普及によって罹患者は大幅に減少し、同時に国民の栄養・衛生面の向上、医療の質の向上によって致死率も大きく低下した(先進国における麻疹による致死率は約0.1%である)。小児科医といえども、麻疹による死亡者をみる機会は非常に少なくなっている。しかし、世界では依然として年間十数万人(数年前までは年間40〜70万人)の麻疹による死亡者が報告されている1) 。発展途上国の乳幼児では、麻疹による致死率が20%を超えることも珍しくなく、小児の主要な死亡原因のひとつである2) 。また、高い病原性に加えて、伝染力が非常に強いことも、麻疹が恐れられる大きな原因である。

幸いなことに、麻疹ウイルスには、血清型がひとつしかなく、30年以上も前から利用されているワクチンが未だに有効である。しかも、麻疹の生ワクチンは、効果・安全性ともに非常に優れており、ワクチンの接種を徹底することによって麻疹の流行を完全に無くすことができる。世界保健機関(WHO)は、「麻疹排除」(常在する麻疹ウイルスによる伝播の無い状態)を目標とする地域と、「麻疹による死亡者の大幅な減少」を目標とする地域とに分けて、積極的なワクチン接種活動を行っている。以前から、麻疹対策を精力的に行ってきた汎アメリカ地域(PAH)では、2000年にすでに「麻疹排除」が達成されている。アフリカ地域(AFR)と南東アジア地域(SEAR)では、今のところ排除を目標とすることは困難で、「麻疹による死亡者の大幅な減少」が目標となっている。ヨーロッパ地域(EUR)、東地中海地域(EMR)では今年(2010年)が麻疹排除の目標年である。日本を含む西太平洋地域(WPR)の委員会は、「2012年までに麻疹を排除する」という目標を2005年に公式に発表している。WPR においては、すでに37カ国のうちの半数以上の国で、排除もしくは排除に近い状況になっている3) 。韓国は2006年に麻疹排除の達成を宣言している4) 。オーストラリアもまた、2005年以降、排除の状態にあると報告されている5) 。一方、日本では2008年に年間約1万1千例の麻疹患者が報告されており、中国では約13万例の報告があった。この数はWPRにおける麻疹症例の実に97%以上を占めている3)。数年前に、日本から伝播したと考えられる海外での麻疹症例が度々発生したため、以来、わが国は「麻疹輸出国」と揶揄されてきた。2007年6月に国際保健規則(International Health Regulation: IHR)が改訂され、その対象疾患が、黄熱、コレラ、ペストから、国際的な公衆衛生上の脅威となりうる、あらゆる事象へと広げられるようになったため、麻疹の流行国から排除国への伝播が、より一層、厳しく監視されるようになっている。世界全体が麻疹排除に向けて積極的に取り組んでいる今、世界と協調して麻疹排除に向けた適切な施策を施すことは、わが国の国民の健康や公衆衛生上のためだけではなく、国際的なわが国の立場を守る上でも非常に重要なことである。2007年12月にわが国でも「麻しんに関する特定感染症予防指針」が告示され、十代への補足的ワクチン接種や、定期接種率向上のための取り組みが積極的に行われ、2009年の麻疹報告数は、前年の約1万1千例から約 740例へ大幅に減少した。

「麻疹排除」を達成するためには、麻疹含有ワクチンを2回接種すること、そして、その2回の接種率を各々95%以上にすることが必要であると考えられている。ワクチンの接種を推進してゆくとともに、流行の実態を把握することは、ワクチン政策の効果や是非を検証し、また、伝播を効果的に抑制するための対策を考える上で非常に重要である。加えて、麻疹患者の全数を適切に把握することができる質の高いサーベイランス網を備えていることは、麻疹が排除されたことを立証するために必要であり、「麻疹排除」を宣言するための要件とされている。麻疹患者を繰り返し診たことのある臨床医にとって、典型的な麻疹症例を臨床的に診断することは、容易なことであろうが、今後、成人麻疹や、ワクチンの免疫が減弱したために発生した非典型的な麻疹症例の割合が増加すると予想される。また、麻疹症例が全国で年間数百例程度あるいはそれ以下になった状況では、流行との繋がりがはっきりしない孤発例が多くなり、診断をますます難しくすると考えられる。麻疹の排除を達成するためには、1例の見逃しが、政策の大きな後退を招く危険性が高いことから、麻疹の可能性が少しでも考えられる症例や、あるいは臨床的に確定できると考えられる症例においても、確実に検査診断を実施することが重要である。同時に、麻疹ウイルスの遺伝子型を解析して、その由来、流行ルートを明らかにすることがWHOからも強く求められている。大部分の麻疹あるいは、その疑い症例を検査診断することは、質の高いサーベイランス網の構築と同様に、「麻疹排除」を達成するための重要な要件とされている。

「麻疹排除」計画を世界レベルで協調して推進してゆくためには、麻疹の検査診断のための専門技術や試験のための参照品等を広く世界中に供給してゆくこと、さらに、検査法を標準化し、かつ、その技術の精度管理を実施してゆくことが必要である。そのため、現在、世界中の約160カ国の約700実験室が、世界麻疹風疹実験室ネットワーク(The Global Measles and Rubella Laboratory Network: LabNet)を形成して、世界麻疹排除計画を支えている。LabNetは、Global Specialized Laboratory (GSL) 、Regional Reference Laboratory (RRL)、National Laboratory (NL)、それら以外のSub-national Laboratoryで構成されている。NL[わが国では国立感染症研究所(NIID)]は、各国の検査体制の中核を担う実験室であり、それぞれの国のSub-national laboratoryの検査技術の精度管理や技術支援を行う責任がある。さらに、WHOの区分する地域ごとに(WPR、SEAR等)数カ所のRRL が設置され、その地域全体のNLの検査技術の精度管理や技術支援を担っている[WPR では、日本(NIID)、中国、オーストラリア、香港の4カ所にRRLが設置されている]。GSLは、診断法や検体輸送法の改良や開発、特別な検査材料の供与などを行う実験室で、わが国のNIID、米国疾病管理予防センター(CDC)、そして英国健康保護局(HPA)の3カ所の実験室が、GSLに指定されている。さて、わが国と中国は、WPRからの麻疹排除の足を引っ張っていると言われてきた。中国では、今年度、麻疹排除に向けて、これまでに例をみない9千万人規模のワクチン接種計画が行われようとしている。わが国は、昨年、麻疹排除へ向けて大きな進展をみせたが、現在のワクチン接種率は、依然として、麻疹を排除できるレベルには達していない。わが国でも、麻疹による犠牲者が、後を絶たず、また、わが国から伝播される麻疹によって他国の人々の生命や他国の取り組みを危険に曝してきたという事実があることを忘れてはならない。LabNetの機能は、臨床の最前線の医療機関、保健所、地方の衛生研究所、それらに相当する世界中の機関によって支えられている。「麻疹排除」へ向けてのわが国の、そして世界の取り組みに、改めて皆様の御理解と御協力をお願いしたい。

 文 献
1) CDC, MMWR 58: 1321-1326, 2009
2) Wolfson LJ, et al ., Int J Epidemiol 38: 192-205, 2009
3) CDC, MMWR 58: 669-673, 2009
4) WHO, Wkly Epidemiol Rec 82: 118-124, 2007
5) Heywood AE, et al ., Bull World Health Organ 87: 64-71, 2009

国立感染症研究所ウイルス第3部 竹田 誠 駒瀬勝啓

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