ジフテリアは毒素を産生するCorynebacterium 属の3種の菌(C. diphtheriae 、C. ulcerans 、C. pseudotuberculosis )による上気道や皮膚の急性感染症である。後二者によるジフテリアはまれな動物由来感染症である。イングランド・ウェールズでは2000〜2009年の間に、43株の毒素産生性Corynebacterium 属菌が確認されたが、うち27株がC. ulcerans であった。そのほとんどの症例にはワクチン接種歴があり、咽頭痛や扁桃腺炎などの軽症な呼吸器感染症であった。C. ulcerans 感染症の危険因子として家畜との接触が知られているが、最近はイヌなどのペットとの接触や、まれに未殺菌牛乳の摂取による発症が報告されている。C. ulcerans のヒト−ヒト感染に関する知見は限られているが、その可能性があるため、公衆衛生対応は毒素産生性C. diphtheriae 感染症と同様に行うことが推奨されている。英国ではジフテリアトキソイドを含むワクチンの接種が生後2、3、4カ月に行われ、ブースターとして入学前(3歳4カ月〜5歳)および13〜18歳に接種される。
患者報告:患者は生来健康で、ロンドン在住の20歳の獣医学生である。2010年3月下旬から繰り返す咽頭痛と扁桃炎があり、5月10日に家庭医により咽頭ぬぐい液検体が採取された。5月17日にC. ulcerans 分離の報告があり、5月18日に確認および毒素産生性確認のため臨床検体が再採取された。この時点でまだ症状があったため、5月18日からエリスロマイシンにて治療された。分離菌の毒素産生性は5月21日に確認された。患者は推奨されているすべてのジフテリアトキソイド接種を完了しており、最終接種は14歳時であった。公衆衛生当局の提言に基づき、通常の治療の一環として患者にはトキソイドが追加接種された。疫学調査の結果、3月後半にヒツジの出産に携わった際に感染したものと考えられた。
ヒト感染のリスク評価:英国のガイドラインに基づいてすべての濃厚接触者の調査が行われた。同居人や家族など10名が接触者としてリストアップされ、症状の有無とトキソイド接種歴が調査された。10名の接触者全員に対して咽頭ぬぐい検体による細菌検査と予防内服が行われ、さらに最近12カ月間に接種していない者に対してはジフテリアトキソイドのブースター接種が行われた。10名のうち2名に軽度の咽頭痛を認めたものの、細菌検査では全員がC. ulcerans 陰性だった。この他に1名、ヒツジの出産に同行した接触者が確認されたが、無症状かつ細菌検査陰性であった。
動物接触のリスク評価:感染との関連が疑われた牧場について調査が行われた。この牧場は800頭の羊を飼育しているが、動物の健康管理や衛生管理は良好であり、ヒツジやイヌに健康上の問題は認められなかった。牧場主や従業員の健康状態は良好で、出産時期以外にはヒツジとの接触はわずかであった。すでに出産時期は終了しており、牧場が一般公開されていないことから、さらなるヒト感染のリスクはきわめて低いものと考えられた。患者は感染が疑われる時期に様々なイヌ、ネコ、ウサギ、トリを扱っていたが、その中にC. ulcerans 感染症を思わせる症状を呈した動物はいなかった。動物からの検体採取は現実的でないと考えられた。
考 察:ジフテリアトキソイド未接種者がC. diphtheriae 感染症やC. ulcerans 感染症を発症すると重篤になる可能性がある。1986年以降の英国でのジフテリア死亡者5名のうち、3名がC. ulcerans 感染症によるものである。成人にはトキソイドのブースター接種が行われていないため、高齢者はとくに重症化する可能性がある。今回の感染経路を特定することはできなかったが、羊の出産牧場やペットが感染源の可能性が高いと考えられた。無症状の動物を除菌する意義には議論が多く、獣医学生など職業曝露を受けやすい人に対するトキソイド接種を確実に実施することが適切かもしれない。トキソイド接種を受けていると、本例のように症状が軽く済むと考えられる。英国の微生物検査では、臨床的なジフテリア患者と接触者の場合を除きCorynebacterium の検査は実施されないため、軽症例では見逃されている可能性がある。
結 論:毒素産生性C. ulcerans 感染症はまれではあるものの、とくにトキソイド接種を受けていないと死に至りうる。動物からの感染経路を制御するのは困難であるため、トキソイド接種率を高く保つことが重要である。
(Euro Surveill. 2010;15(31):pii=19634)