自治体間におけるA型肝炎ウイルスの分子的、疫学的データの共有体制(V-Nus Net Japan)の構築:その目的と意義
(Vol. 31 p. 289-291: 2010年10月号)

A型肝炎はA型肝炎ウイルス(HAV)の感染による急性肝炎で、感染者の便中に排泄されたウイルスが感染源となり、感染者との接触や水、食品等を介して経口的に感染するが、その感染経路や原因食品は不明の場合が多い。これは主にA型肝炎は、(1)潜伏期が2〜7週間と長く、患者の喫食調査や行動調査などの疫学調査が困難であること、(2)感染症法に基づき全数把握4類感染症として届け出られた症例に対して、食中毒としての調査が行われることが少なかったこと、(3)多くの場合血清学的検査(HAV特異的IgM抗体の検出)により確定診断されるため、感染症発生動向調査の病原体サーベイランスの対象となっておらず、地方衛生研究所(地研)等でウイルスの検出や分子疫学的解析が行われていなかったことなどによる。そのため、これまで集団発生事例では原因食品や感染経路が特定された事例はあるものの1-4) 、散発例については患者間の疫学的関連性や感染経路はほとんど明らかにされていなかった。

一方、HAVは世界的にはノロウイルスとともに食品媒介ウイルスとして重要視され、コーデックス食品衛生部会において両ウイルスを念頭においた「食品中のウイルス制御への食品衛生の一般原則の適用に関するガイドライン」の文書化が進んでいる。諸外国では二枚貝5,6) 、ルッコラ(Rocket salad)7) などの生鮮輸入農水産物による集団発生が報告され、わが国への汚染食品の侵入も懸念されている。2009年秋にはオーストラリアや欧州でセミドライトマトによるA型肝炎が多発8,9) し、わが国でも輸入時の検疫体制の強化が図られた。

このような中、2010年春季にわが国においてA型肝炎患者が急増し、不幸にも死亡例を見るに至った。感染経路として二枚貝の関与が疑われる事例が少なくなく、共通の汚染食品による広域食中毒事例の可能性も否定できなかった10) ことから、厚生労働省は2010(平成22)年4月26日付健感発第0426第2号・食安監発0426第4号「A型肝炎発生届受理時の検体の確保等について」(IASR 31: 140, 2010参照)により厚生労働省健康局結核感染症課長、医薬食品局食品安全部監視安全課長の連名で各自治体宛に、A型肝炎の発生届を受理した場合の分子疫学的解析を目的とする患者の糞便検体の確保と、感染症対策主管部局および食品衛生主管部局の連携による積極的疫学調査の実施を依頼した。

本通知により、全国で検出されたHAVの塩基配列データが国立感染症研究所で収集され、データの共有化が開始されたが、分子疫学的解析結果を単に共有するだけでは感染源や感染経路の究明などに有効に機能することは少なく、解析結果をさらなる疫学調査に生かすことが求められる。たとえば、海外からHAVに汚染された食品が輸入され、広域に流通した場合、患者発生は全国に及び、さらに潜伏期は2〜7週間と幅があることから、同一の汚染食品による感染事例でも地理的、時間的な広がりを持って発生する可能性がある。これらの散発発生にみえる患者から共通の汚染食品を特定するためには、全国から報告されたA型肝炎患者のうち、同一のクラスターに分類されるウイルスが検出された患者について関連する自治体間で疫学情報を共有することで、共通の原因食品を効率的に特定することができると考えられる。また、海外旅行後に発症した場合、感染地域が海外か国内かの推定や、複数の国に渡航した場合の感染国の推定は個人の疫学情報に基づくだけでは困難な場合が多い。しかし、同じ塩基配列を持つウイルスによる海外旅行後の感染者が他にいた場合、両者に共通する訪問国での感染の可能性が高くなると考えられる。これらの例のように遺伝子解析で得られた情報を疫学調査に適用することで、より効率的に詳細な疫学的分析が可能になる。一方、HAVは、環境中での生存性が高く、同一の塩基配列を持つウイルスが疫学的に直接的に関連しない患者からも検出されるため、塩基配列の一致は疫学的な直接的関連性を必ずしも意味するものではない。以上のことから、患者間の疫学的関連性や共通の感染源を特定するためには、系統樹解析で同一のクラスターに分類されるウイルスが検出された患者について、関連する自治体間で疫学データを共有し、さらなる疫学調査を実施できる仕組みが極めて重要となる。

そこで、全国で検出されたHAVの系統樹解析結果を還元するにあたり、表1に示したように、報告年月、感染症サーベイランスシステム(NESID)の感染症発生動向調査システム報告ID、自治体名、および地研等での株名を含む共通の規則をもった株名を採用することとした。NESID の報告IDは医師からA型肝炎の届出を受けた保健所がNESIDに患者データを登録する際に自動的に付加される番号で、患者に固有のものである。従って、このIDを用いて登録元の自治体に照会することで、迅速に患者を特定することができ、両自治体の患者について双方で疫学情報を共有することができる。さらに、系統樹に登録されているそれぞれのHAVが、いつ(報告年月)、どこから(自治体)報告されたかが簡単に把握できることに加え、地研等での株名も含めることで、地研間での情報交換も容易に行える仕組みになっている(本号5ページ参照)。

現在、食中毒の早期発見と被害の拡大防止を目的として、自治体間での情報の共有、交換を行うために運用されている食中毒支援調査システム(NESFD)内のV-Nus Net Japan (Virus Nucleotide Sequence Network of Japanの略)において、この命名法を用いたHAVの系統樹解析結果を掲載し、情報の共有化を図っている。本システムを利用し、自治体間での疫学情報の交換を密に行い、患者間の疫学的関連性や感染源、感染経路の特定、被害の拡大防止に生かしていただければ幸いである。

なお、このような分子疫学的な実験室内情報とNESIDに基づく疫学情報との共有化は、E型肝炎、腸管出血性大腸菌感染症などを含め他の全数把握感染症にも応用可能である。また、病原体検出情報システムで報告されているウイルスであれば、同様に病原体個票のIDを用いることにより疫学情報との共有化を図ることができる。現在、ノロウイルスについても協力をいただいている地研から報告された株について系統樹解析を行い、試行的な情報の共有化を実施しており、V-Nus Net Japan内にも情報を還元している。

 参考文献
1)猿渡、他、IASR 23: 147-149, 2002
2)古田、他、IASR 23: 119-120, 2002
3)貞升、他、IASR 23: 273, 2002
4)新潟市保健所、他、IASR 27: 178, 2006
5) Webby RJ, et al ., Clin Infect Dis 44: 1026-1031, 2007
6) Guiral Rodrigo S, et al ., Euro Surveill. 1999; 3(47): pii=1297
7) Nygard K, et al ., Euro Surveill. 2001; 6(10): pii=380
8) Health Protection Report 4(10), 2010
9) Petrignani M, et al ., Euro Surveill. 2010; 15(11): pii=19512
10) A型肝炎, 感染症週報 12(13): 6-10, 2010

国立医薬品食品衛生研究所食品衛生管理部
野田 衛
国立感染症研究所ウイルス第二部
石井孝司 片山和彦
国立感染症研究所感染症情報センター
多田有希 中島一敏 島田智恵 中村奈緒美 岡部信彦
厚生労働省医薬食品局食品安全部監視安全課食中毒被害情報管理室
田中 誠 熊谷優子

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