塹壕熱の起因菌であるBartonella quintana は国内のみならず(東京都A区で約10%、大阪市B区で60%)、海外の都市部においても同様に、主に路上生活者に寄生するコロモジラミから検出されている3,4,5) 。一方、ネパールにおいては、路上やスラム街に生活する子供たちの多くがアタマジラミ・コロモジラミの両方に寄生されており、採取されたアタマジラミの9.5%(2/21名、シラミ保有者21名中2名から採取されたシラミがB. quintana 遺伝子を保有、保有率は9.5%、以下同様に記載)、コロモジラミの20%(4/20名)からそれぞれB. quintana 遺伝子が検出された6) 。しかし、本症例においては、アタマジラミとコロモジラミの寄生部位にはっきりとした境界が認められず、偶然、衣類に寄生していたコロモジラミが頭髪付近で見つかったのではないかとの指摘もあったが、その後、米国サンフランシスコ市の路上生活者から採取されたアタマジラミからもB. quintana が検出された7) 。これまで、コロモジラミは発疹チフス、回帰熱、塹壕熱等の病原体を媒介するが、アタマジラミはこれら病原体の媒介には直接関与しないと考えられていた。しかし、両者の遺伝的背景がほぼ同じであるならば、塹壕熱の感染と伝播にアタマジラミが関与する可能性も高い。
世界各地の都市域における路上・スラム街生活者、あるいはわが国の簡易宿泊施設等の利用者が生活する周辺環境や衛生状況は類似している。日本を含むアジアの都市部においても、塹壕熱侵襲の実態把握が必要であると考え、我々は、フィリピンおよび日本国内において、特にアタマジラミを対象にB. quintana 遺伝子の検出を行った。
調査地および方法
フィリピン・マニラ市近郊のLaguna州Los Banos市内の貧困層が居住する地域において、合計9名(女子8名、男子1名)の未成年者(調査時7〜18歳)の頭髪に寄生するアタマジラミをそれぞれから8〜11頭採取した。国内においては、全国32自治体から得られたアタマジラミの合計579頭(579家庭から各1頭を選んだ)を検査に用いた。アタマジラミの採取に際し、個別に専用のすき櫛を用い、シラミ寄生者間のコンタミネーションを極力防ぐことに留意した。得られたアタマジラミは室温輸送で当室に搬入し、遺伝子検出を行うまで−80℃冷凍庫内で保管した。アタマジラミのゲノムDNAはREDExtract(シグマ社)により抽出し、Bartonella 属共通プライマーを用いてglt A遺伝子およびITS1領域をPCR法で増幅した6) 。得られたPCR産物はダイレクトシークエンス法により塩基配列を決定し、塹壕熱起因菌B. quintana であることを確認した。
結 果
Los Banos市では、貧困層の居住地域に生活する未成年者9名のうち1名から採取されたアタマジラミにBartonella 属共通遺伝子が認められ(1/9名、遺伝子保有率は11.1%)(表1)、ITS1領域の塩基配列を解析した結果、B. quintana であることが確認された。一方、日本国内32自治体から得られた579頭のアタマジラミからはB. quintana 遺伝子は検出されなかった。
考 察
近年、サンフランシスコ市の路上生活者から採取されたコロモジラミの33.3%(11/33 名)からB. quintana 遺伝子が検出され5) 、フランス・マルセイユ市およびネパール・ポカラ市(カトマンズ、ビラートナガルに次ぐ第3の都市)はいずれも20%3,6) 、ロシアでは12.3%4) のコロモジラミがB. quintana 遺伝子を保有していた。塹壕熱を引き起こす可能性のあるコロモジラミが、世界各地で路上生活者を中心に寄生していることが示唆され、東京・大阪を含む都市域での塹壕熱再興感染も危惧されている。
アタマジラミが塹壕熱やその他の病原体の媒介・伝播に関与した報告はこれまでにない。しかし、2002年、ネパールの学童に寄生していたアタマジラミの9.5%(2/21名)からB. quintana 遺伝子が検出され、アタマジラミが塹壕熱の伝播に関与する可能性が初めて示唆された6) 。その後、米国・サンフランシスコ市では、路上生活者由来のアタマジラミの25%(3/12名)にB. quintana 遺伝子が認められ5) 、本調査において、フィリピン・Los Banos市の女児1名に寄生していたアタマジラミがB. quintana 遺伝子を保有(1/9名、11.1%)していたことは不思議ではない。Los Banos市は、首都マニラから車で1時間ほどの通勤圏内にある、大都市近郊の住宅地区であり、マニラ市同様に路上生活者だけでなくストリートチルドレンやスラム街に生活する未成年者の増加が大きな社会問題となってきている。このような環境下に生活している若年齢の子供たちに塹壕熱が蔓延している可能性が示唆されたことは、公衆衛生上だけではなく、深刻な社会問題でもあることを意味している。
一方、日本国内においても幼稚園や小学校低学年層を中心に、アタマジラミの寄生が数多く報告されており、塹壕熱の侵襲が危惧されている。しかし、本調査では、B. quintana 遺伝子はそれらアタマジラミからは全く検出されておらず、アタマジラミの寄生状況、あるいは学童の生活環境が、国内外では大きく異なることが要因の一つと考えられた。しかしながら、世界的な環境変化と交通網の発達によって、B. quintana を取り込んだアタマジラミが国内に持ち込まれるなど、子供たちに寄生するアタマジラミが、将来的にB. quintana 遺伝子を保有する状況に置かれる可能性も否定できない。現時点では、子供たちが生活する環境を衛生的な状態に今後も保つとともに、基本的なアタマジラミ対策を家庭内において実施することが重要な対策の一つとなるが、アタマジラミ保有調査、ならびにそれら集団におけるB. quintana 遺伝子保有調査の継続が望まれる。
参考文献
1) Kittler, et al ., Current Biology 13: 1414-1417, 2003
2) Light, et al ., Mol Phylogenet Evol 47: 1203-1216, 2008
3) Brouqui, et al ., N Engl J Med 340: 184-189, 1999
4) Rydkina, et al ., Emerg Infect Dis 5: 176-178, 1999
5) Bonila, et al ., Emerg Infect Dis 15: 912-915, 2009
6) Sasaki, et al ., J Med Entomol 43: 110-112, 2006
7) Fournier, et al ., Emerg Infect Dis 8: 1515-1518, 2002
国立感染症研究所昆虫医科学部
沢辺京子 葛西真治 冨田隆史 佐々木年則 小林睦生
Department of Parasitology, University of the Philippines-Manila, Philippines
Arlene G Bertuso
Department of Science, Janapriya Multiple Campus, Nepal(現:Health Protection Unit/Winnipeg Region, Canada)
Poudel, Shree Kanta S