タイにおけるコレラの現状
(Vol. 32 p. 102-104: 2011年4月号)

コレラの世界的流行は1817年以降7回に及ぶ。第6次の世界大流行では、古典型コレラ菌が猛威をふるったが、1961年にインドネシアのスラウェシ島に端を発した第7次世界大流行はエルトール型コレラ菌であり、古典型コレラ菌は確認されなくなった。これに伴い、古典型からエルトール型に代わった頃から、世界各地でコレラは軽症化してきたが、最近になって再びコレラの症状は重症化し、昨今世界各地で流行を起こしているコレラ菌が古典型コレラ毒素を産生するエルトール型コレラ菌に置き換わっていることが確認されている。本小論では、タイのコレラに関する疫学統計データおよび我々自身の野外調査と分離株の解析結果を踏まえて、近年のタイにおけるコレラの推移について概説する。

タイにおけるコレラの流行
タイ政府がコレラの発生状況に関する統計を国際的に公表したのは2006年であり、少なくとも1995〜2005年までの間、コレラの存在を報告してこなかった。タイ国内向けにはタイ保健省疾病管理局から2003年以降のコレラの発生に関する統計を入手することができる1) (図1)。

タイ国内のコレラ患者数は2006年には35名と少ないが、翌2007年にはタイ50県に広がり、986名を数えるに至った。2007年にタイでは2度のコレラ流行を経験した(図2)。同年6〜8月にかけてTak県(図3)の国境に接する地域において多くのコレラ感染者が認められた。Tak県はカレン族などの少数民族を含むミャンマーからの難民・労働者が、国境を越えて労働や治療目的等のために往来している。非常に貧しい地域もあり、下水が混じる川の水をそのまま飲料水としている住民も少なくない。現地保健機関の疫学調査から、コレラ感染者の大部分が難民であることが明らかにされている2) (表1)。また、筆者らが現地で行った調査では多くのコレラ感染者を発見したが、その中にはかなりの数の無症候性保菌者も含まれていた。この地域ではコレラがいったん侵入すると貧困者を中心に、糞口感染による急速なコレラの流行が見られるが、その原因の一つにこの無症候性保菌者の存在が考えられる。

次いで同年8月下旬〜10月にかけてRanong県を中心とし海に接する県からコレラの流行が始まり、その後、タイ東北部へと拡大した。タイ保健省疾病管理局は赤貝などの海産魚介類を主な感染源として挙げている。ただし、被疑検体から培養法によるコレラ菌の特定にはほとんど至っていない。我々は当時タイ保健省医科学局より得た被疑検体の赤貝をコレラ毒素遺伝子を指標とする遺伝子検査法(LAMP法3) 、PCR法およびサザンハイブリダイゼーション法)で調べ、多くの陽性反応を得た。また、この流行時に東北部のUdon Thani県へ調査に出向いたが、ラオス国境に近いこの地域においても、タイ沿岸由来の生赤貝が市場に出回っていることを確認した。Udon Thani県のコレラ患者は数個の非加熱の赤貝を食べた翌日、激しい水様便になったと証言している。赤貝は汽水域や養殖場で収穫され、生命力が強いため粗雑に扱われ、麻製の袋などに詰められて、タイ国内に広く流通する。タイではそれを軽く湯通しした程度の半生で食する人が多いが、人糞を肥料にしている養殖場も一部存在し、生食は極めて危険であると考えられる。また、コレラ菌に汚染された赤貝が市場や輸送中に他の食物等を汚染する可能性もあり、2007年後半の流行はコレラ菌汚染海産物食材を介し、タイ国内にコレラが拡散したものと考えられる。

コレラ分離株の細菌学的特徴
筆者らが2007〜2010年の間にタイ各地から収集/分離した300株以上のコレラ菌O1を分子疫学的手法により解析したところ、コレラ菌稲葉型はほぼTak県に限定して分離され、pulsotype(パルソタイプ)は常に同一であった。一方、2007年後半の流行時に分離したコレラ菌小川型はTak県の稲葉型株のパルソタイプとは異なること、またこの小川型株のribotype(リボタイプ)は1999年〜2002年2月までにタイで分離されたコレラ菌O1のそれと異なることから、近年タイに導入された株である可能性が示唆される。一方で、この小川型株のリボタイプはインドで広く分布する株と一致し、またパルソタイプも同一または酷似していた4) 。このように2007年前半に主にTak県で起こった流行と、2007年後半タイ各県で広く起こった流行とはその起因菌が異なり、別の原因、ルートを介した流行であることが分かる。

2010年には、小川型株による大規模なアウトブレイクがTak県でも発生したが、この際分離された株は2007〜2010年までにTak県以外のタイ国内で分離された小川型株のパルソタイプと同一あるいは強い類似性を示した。タイにおけるコレラは系統的に非常に近い小川型株群と稲葉型株により引き起こされており、かつ周辺国での分離株と極めて類似性が高い。Multiple-Locus Variable-Number Tandem-Repeats解析からもインド、ベトナム、バングラデシュのコレラ菌O1分離株のパターン5) と類似していた。現在、東南アジア諸国6) をはじめ世界各地における主なコレラ流行は古典型コレラ毒素を持つエルトール型コレラ菌によって引き起こされているが、タイにおけるコレラもこのエルトール変異型によって、毎年流行が引き起こされている。

おわりに
Tak県の流行と同様に、他の地域においても難民・労働者がタイ国内のコレラ流行の引き金となっているケースが認められる。2007年における後半の小川型の流行の発端と考えられるRanong県のコレラの初発、および2009年10月以降のタイ深南部Pattani県での大規模なコレラアウトブレイクの発生(2010年にはPattani県だけで814名のコレラ患者が確認された)は、共に漁業に従事する外国人労働者から始まっている1) 。彼らの多くは貧しい海上生活者であり、彼らがコレラ感染した場合、垂れ流された汚水が急速に周辺環境や海産魚介類を汚染し、それらの魚介類が、タイ国内に食品として広く流通する結果、コレラが拡散するという構図が描ける。コレラ菌の食品汚染、特に生食で消費される魚介類へのコレラ菌の汚染を防ぐ対策が必要である。さらに人々への保健衛生教育の徹底が最大のコレラ予防策でもある。

[なお、本調査研究は文部科学省の感染症研究国際ネットワーク推進プログラム(J-GRID)の支援を受けて行われたものです。]

 参考文献
1) Department of Disease Control, Ministry of Public Health, Thailand, Epidemiological Surveillance Report(http://www.boe.moph.go.th/boedb/surdata/disease.php?dcontent=old&ds=01 タイ語)
2) The Office of Diseases Prevention and Control 9, Department of Disease Control, Ministry of Public Health, Thailand(http://dpc9.ddc.moph.go.th/ タイ語)
3) Okada K, et al ., Diagn Microbiol Infect Dis 66: 135-139, 2010
4) Okada K, et al ., Am J Trop Med Hyg 82: 875-878, 2010
5) Choi SY, et al ., J Med Microbiol 59: 763-769, 2010
6) Morita M, et al ., J Med Microbiol 59: 708-712, 2010

大阪大学微生物病研究所
日タイ新興再興感染症共同研究センター
岡田和久 Amonrattana Roobthaisong

今月の表紙へ戻る


IASRのホームページに戻る
Return to the IASR HomePage(English)



ホームへ戻る