ハイチにおけるコレラ;陸上自衛隊の経験・コレラワクチンについて
(Vol. 32 p. 104-106: 2011年4月号)

海外渡航者10万人当たりのコレラ罹患率は、欧米人の場合年間0.1〜0.2にすぎない。ところが、日本人は渡航先でもシーフードを好んで摂取し、下痢症患者からのコレラ菌が検出される率は海外渡航者10万人当たり5(全世界平均)〜13(インドネシア)と高い1,2) 。日本人の海外渡航者・赴任者や、彼らの健康を管理する者は、コレラを含めた腸管感染症への有効かつ実際的な予防策を希求している。また、地域住民にコレラが蔓延しているような衛生状況が劣悪な地域に、観光ではなく平和維持活動(PKO)や緊急援助等の目的で要員を派遣する実務担当者は、派遣要員がコレラに罹患するリスクをいかに最小化させうるかについて腐心する。さらに彼らが、現地においてコレラの制圧という任務を付与された場合には、当然のことながら自分ではなく被災者・避難民・現地住民のために粉骨砕身する。このとき、他の予防策と同時に、大規模で有効なコレラワクチンの接種がクローズアップされる。

これまで陸上自衛隊では、1992年のカンボジアPKO派遣隊員に対して不活化ワクチン(デンカ→北里研究所)2回接種(皮下注射)を実施した経験を有していたが、このワクチンは局所の腫脹と疼痛が比較的強い上に、その効果も限定的かつ短期間と不良であった。コレラの流行や伝播の防止に寄与したという実績もなく3) 、WHOも同注射ワクチンの推奨をとりやめ2,4) 、現在は国内の販売も中止に至っている。我々の調査では、注射ワクチン接種後の抗体陽転率は満足のいくものではなかった(接種4カ月の時点で稲葉型61%、小川型27%[凝集テスト、n=48])5) 。その後、いくつかの経口ワクチンの有用性が明らかとなり6,7,8) 、WHOもその意義を認めるに至った6) 。表1にコレラワクチンを総括した。

現在60カ国以上で認可されている経口不活化コレラワクチン(Sanofi Pasteur、商品名:Dukoral)は、熱またはホルマリンにて不活化したVibrio cholerae O1 古典稲葉型、O1 エルトール稲葉型、O1 古典小川型の各菌株(各 2.5×1010個)に加え、リコンビナントのコレラ毒素B subunit (rCTB)を含有する11) 。ホルマリンを含む成分によるアレルギーが懸念されるところではあるが、これまで重大な副反応の報告はない6,7,9) 。経口的に接種し、接種前後1時間は禁飲食で、150mlの冷水で溶解・撹拌し、直ちに服用する。流行地に入る1週間前までに、1週間以上の間隔で(6週間までに)計2回接種する。接種後5年以内であれば、単回の追加接種が必要とされる。遮光し、2〜8℃で保存し、指定された状態で保管されている場合の有効期間は3年間である11) 。Dukoralは、その安全性と有効率に加え、O139を除くコレラ(古典型・エルトール型)のみならず、旅行者下痢症の原因微生物として最多のETEC(enterotoxigenic Escherichia coli )に対しても予防効果を有し6,7) 、その意味で費用対効果の観点からも優れていると指摘されている12) 。

ハイチにおけるコレラの流行が拡大する中、一部の国連要員がコレラ菌を持ち込んだことが流行の発端であるとの噂に端を発した暴動がハイチ国内で起こった。これを受けて防衛省・陸上自衛隊では、国内未認可経口コレラワクチンDukoralを導入、陸上自衛隊中部方面隊では、ハイチにおけるPKOに派遣される要員に対して、2011(平成23)年1月26日〜2月21日までの間に計2回接種した。その副作用調査の結果を表2表3にまとめた。1回目の接種で6.7%、2回目の接種で2.1%が何らかの副反応を自覚したと回答している。最も頻度の高い副反応は下痢であり、次いで嘔気・嘔吐、倦怠感、頭痛、発熱などが回答に上った。下痢の発現率は、1回目3.9%、2回目1.1%、病悩期間は平均3日であった。胸痛・頭痛・倦怠感を訴えた1例は医療機関を受診した。列挙した副反応はワクチンとの因果関係が否定できないが、いずれも比較的軽微な反応で数日以内に軽快・消失し、任務遂行上の支障は認めなかった。副反応の種類と頻度は、概ね製造・販売元であるSanofi Pasteurのproduct monographに合致するものであった11) 。

WHOのposition paperによれば、経口コレラワクチンの接種は、他の予防策と制圧のための戦略と合わせ、その効果、有効性、実現可能性、コンプライアンスの観点から検討されるべきであると位置づけている。さらに、一次災害に政治的な混沌や暴動・治安の悪化などが加わったcomplex emergenciesなどでは、ひとたびアウトブレイクが起こると、接種キャンペーンも実行困難となるため、特に小児などのハイリスク者を対象としたワクチン接種の導入や事前の集団接種によるアウトブレイク抑止の意義が強調されている。経口ワクチンは、コレラに対する他の衛生的介入を阻害・干渉するものではなく、短期間ではあるが迅速な効果が期待できる6) 。他方、汎アメリカ保健機構(PAHO)は、基本的にWHOのpositionに準ずるとはしながらも、流行地で活動する医療従事者に対するワクチン接種は推奨していない。その理由として、院内や医療施設における人−人の伝播はごくまれであり、手洗いなどの基本的な個人的感染防御策が伝播防止に重要であること、さらにワクチン接種による有益性には懐疑的で、むしろ誤った過信・安心感を助長する可能性についても言及しており、被災者と救援担当者の間に明確な一線を画している13) 。コレラの予防に対する心構えとしては、効果が万全とはいえないワクチンに依存するよりも、手洗いや飲食物に対する注意喚起など個人で実施可能な基本的予防策の教育・啓発こそがはるかに重要であることを、常に肝に銘じておく必要がある。そして、コレラの流行する地域におけるPKOや国際緊急援助に携わる者は、自らの健康管理のみならず、今後被災者や避難民に対して導入される可能性のあるコレラワクチンに関して、その意義、副反応/安全性、接種の優先順位、管理、費用対効果などについて認知しておくべきであろう。

 参考文献
1) Wittlinger F, et al ., J Travel Med 2: 154-158, 1995
2) Edward TR and Stephen BC, J Travel Med 8: 82-91, 2001
3) Sommer A, Lancet i: 1232-1235, 1972
4) Tacket CO, et al ., Vaccines 7thed, Philadelphia, PA, WB Saunders Company, 127-138, 2008
5) Fujii T, et al ., 8th Asia-Pacific Travel Health Conference, 2010
6) Cholera vaccines: WHO position paper, WHO, WER 85(13): 117-128, 2010
7) Clemens JD, et al ., Lancet 335: 270-273, 1990
8) Trach DD, et al ., Lancet 349: 231-235, 1997
9) Sanchez JL, et al ., Lancet 344: 1273-1276, 1994
10)Background paper on the integration of oral cholera vaccines into global cholera control programmes presented to the WHO SAGE in October 2009 [draft document], Ad-hoc cholera vaccine working group
http://www.who.int/immunization/sage/1_Background_Paper_Cholera_Vaccines_FINALdraft_13_oct_v2.pdf, accessed March 2010)
11)Product Monograph: Dukoral, Sanofi Pasteur Limited, Toronto, Ontario, Canada, Nov. 2007
12)Lopez-Gigosos R, et al ., BMC Infectious Diseases 9: 65, 2009
13)PAHO position on cholera vaccination in Haiti, Version October 27, 2010

自衛隊中央病院保健管理センター 藤井達也
陸上自衛隊中部方面医務官 轟 伊佐雄

今月の表紙へ戻る


IASRのホームページに戻る
Return to the IASR HomePage(English)



ホームへ戻る