2010年8月、結膜炎症状から球麻痺、四肢麻痺、bull neck、呼吸困難等のジフテリア様症状を呈し、眼脂よりCorynebacterium 属菌を検出した1例を経験したので報告する。
症例:75歳男性。既往歴、家族歴に特記すべきこと無し。東京都内の簡易宿泊所在住。居住していた宿舎にネコ存在、うち1匹は眼脂多量との情報あり。
現病歴:2010年4月ころから顔面の腫れぼったさを自覚し近医通院していた。抗真菌剤外用およびステロイド外用にても軽快せず、6月8日よりミノサイクリン200mg/dayの内服を開始したが、右眼瞼腫脹は次第に増悪した。
7月上旬からは下肢の脱力感のため杖歩行となった。このころから嚥下困難が出現し、ゼリー以外の摂取が不可能となったため、7月30日当院初診、同日入院となった。
初診時所見および経過:右眼の眼脂著明、右眼瞼周囲に発赤腫脹を認めた。体温36.2℃、白血球13,700、CRP 6.3と軽度の炎症所見を認めた。筋力低下のため動作は緩慢で、歩行時ふらつき著明。
患者は嚥下の際、鼻腔への逆流を訴え、常に唾液を吐きだしている状態であった。咽頭反射は認められ、ゼリーは摂取可能であったが、固形物の嚥下はできなかった。上部消化管内視鏡にて、食道に異常所見無し。頭部CTにも異常を認めなかった。
オフロキサシン点眼を行ったが軽快なく、民間検査所の検査において、眼脂培養よりCorynebacterium 属菌が検出されたため、感受性のあるセファゾリンを8月6日から点滴投与した。しかし症状は進行し、次第に頚部、顔面、右上肢に浮腫が出現した。
8月9日、静脈血栓症を疑い頚部CTおよび超音波検査を行ったが、血栓は認めず、頚部リンパ節腫大と皮下組織の著明な浮腫を認めた。
この時点でジフテリアに思い至り、咽頭の偽膜の確認を試みたが、開口が充分できず口腔内も腫脹しており、咽頭の視野は得られなかった。
8月10日、頚部、顔面の浮腫はさらに増強し、開眼できない状態となり、結膜の充血、浮腫も著明となった。神経障害も進行し、嚥下は全く不可能となり、構音障害も出現、筋力低下のため寝返りできない状態となった。
患者は呼吸困難のため仰臥位がとれず、側臥位にて何とか気道を保持していたが、低酸素血症のため酸素吸入を要した。白血球 6,900、CRP 1.2と炎症所見は軽減していた。
内視鏡にて観察したところ、咽頭の偽膜は確認できなかったが、口腔〜咽喉頭粘膜は腫脹し、特に喉頭蓋に著明な浮腫を認めた。
これらはジフテリア毒素による症状が疑われるため、その軽減の目的で同日22時よりジフテリア抗毒素2万単位を点滴投与した。
翌朝(8月11日)には呼吸困難は改善し、仰臥位が可能となった。頚部、顔面の腫脹は軽減し、開眼も可能となった。抗菌薬はアンピシリン/スルバクタムに変更した。
8月12日には鼻腔への逆流は消失、嚥下機能は次第に改善し、11月から経口摂取を開始、1月中旬には通常の食事が可能となった。
8月中旬に一時的に心室性期外収縮が頻発し(入院時から完全右脚ブロックあり)、胸水貯留も認めたが、心エコーにて明らかな心筋炎の所見はなかった。近位筋優位の四肢筋力低下および軽度の感覚障害がみられたが、これも11月頃から改善した。しかし廃用性と思われる下肢近位筋の筋力低下が残り、歩行器使用を要する状態のまま2月退院。
細菌学的検査:入院時の眼脂よりCorynebacterium 属菌が検出されたが、当初はジフテリアを疑っていなかったため、8月9日の時点で菌株は破棄されており、同定は不可能だった。抗毒素投与前に再度眼脂、咽頭ぬぐい液を採取し、分離培養を試みたが、すでに抗菌薬を投与されていたため菌は分離されなかった。
また、8月10日に採取した咽頭ぬぐい液および血清は、東京都健康安全研究センターでジフテリア菌特異遺伝子(cdi 遺伝子)、ジフテリア毒素遺伝子(tox 遺伝子)、ウルセランス遺伝子(dlt 遺伝子およびplD 遺伝子)をPCR法によって検査したが、いずれも陰性であった。培養細胞法による血清中の毒素検査は陰性。また、血清中の抗毒素抗体は培養細胞法で陰性であった。
考察:ジフテリアはワクチン使用により激減し、国内では1999年の報告以来発生の届出はない。一方、C. ulcerans によるジフテリア症状が人獣共通感染症として問題となっており1) 、国内でも8例の報告がある2) 。また、ジフテリア毒素を産生しないC. diphtheriae の報告も増加している3) 。
本症例は宿舎内で結膜炎症状のあるネコを飼育しており、また2009年の国内6例目のウルセランス症例は近隣での発生であることから、C. ulcerans 感染の可能性もひとつの候補として挙げられた。
ジフテリアは咽頭、喉頭、鼻、眼、皮膚などに感染することが知られている。今回の症例は結膜ジフテリアから血流中に毒素が侵入し、球麻痺、bull neck、咽頭・喉頭浮腫、末梢神経障害をきたしたと考えられる。または、当初の経過からは皮膚ジフテリアから蜂窩織炎となり結膜に波及した可能性もある。いずれにしろ、この症例はジフテリア毒素による特異症状を呈していた。
今回、初発症状が上気道感染ではなく偽膜も確認できなかったため、馬血清である抗毒素投与はためらわれた。しかし、呼吸困難の進行が著しかったため抗毒素投与を行い、結果的に著効し救命できた。ジフテリアの治療には早期の抗毒素投与が重要とされているが、近年抗菌薬投与により菌の検出率が低下し、また症例数自体もきわめて少ないため、経験の無い中での臨床診断による投与が余儀なくされる。
本症例では、当初眼脂から分離培養された菌株は破棄されており、またその後採取した検体は抗菌薬投与後であったため、菌の再分離はできなかった。この際、血清、咽頭ぬぐい液の検査を依頼したが、眼脂の検査を依頼しなかったことが悔やまれる。
Corynebacterium 属菌は常在菌として処理されることも多いが、最近改訂されたジフテリアの診断基準にも記されているようにジフテリア毒素を持つ菌があることから、嚥下障害等の患者ではジフテリアも念頭に置き、同定、毒素産生性試験を行うべきである。このためには臨床医が本感染症の存在を認識することが必要であり、臨床現場へのさらなる啓発が望まれる。
参考文献
1) CDC, MMWR 60: 77. 2011
2) IASR 32: 19-20, 2011
3) IASR 32: 112-113, 2011
愛里病院内科 蛭川純子 中川良一
東京都健康安全研究センター 畠山 薫
国立感染症研究所細菌第二部 山本明彦 小宮貴子 高橋元秀