症 例
34歳男性。獣医を開業し、イヌ、ネコなどのペット動物を診療している。2009(平成21)年11月10日頃より37℃台の微熱、全身倦怠感、上腹部痛が持続するため同月20日当科受診。AST 215 IU/l、ALT 465 IU/l、ALP 706 IU/l、γGTP 95 IU/l、T-Bil 2.9 mg/dl、CRP 0.38 mg/dlであった。全身倦怠感増強のため11月27日入院。
身長 162cm、体重63kg、体温37.2℃。両眼球結膜充血あり。腹部は平坦、軟で肝脾を触知せず。右背部に紅斑を認め、中心部に褐色調の創痕が並びマダニ刺咬痕が示唆された。臍部左側に紅斑、四肢に紅色丘疹を認めた。
入院時検査:末梢血白血球数 8,340/μl、生化学検査はAST 384 IU/l、ALT 776 IU/l、ALP 628 IU/l、γGTP 48 IU/l、T-Bil 2.2 mg/dl、CRP 0.26 mg/dlであった。肝炎ウイルスマーカー陰性、自己免疫系異常はなく、腹部超音波検査で異常を認めなかった。
病原体検査:レプトスピラ、オウム病クラミジア、クリプトコッカス、トキソプラズマの血清抗体は陰性であった。ボレリア抗体検査の結果、IgM抗体、IgG抗体ともに陽性で、免疫ブロット法によりボレリア亜種としてB. afzelii が示唆された。
臨床経過:入院後T-Bil値は低下したが、末梢血白血球数、CRPおよびALT値が次第に上昇し、入院第4病日より発熱と四肢関節痛が著明となった。右背部のマダニ刺咬痕、両眼球結膜充血、黄疸を伴う肝障害などの所見から、マダニを介する特殊感染症が示唆された。入院第6病日よりドキシサイクリン経口投与を開始しALT値は低下したが、発熱、関節痛が持続し炎症所見も改善せず、入院第11病日より抗菌薬をセフトリアキソンに変更したところ、徐々に改善した。その後、入院第6病日に提出した血清のボレリア抗体が陽性と判明し、ライム病と診断した。入院第22病日より抗菌薬を再びドキシサイクリンに変更し、入院第25病日には症状が消退し、ALT値も正常化した。
考 察
1987年、妙高高原でシュルツェマダニの刺咬後に発症したライム病が本邦で初めて報告された1) 。ライム病は多様な病態を示す全身性感染症であり、スピロヘータの一種であるB. burgdorferi 感染に起因し、Ixodes 属のマダニに媒介される。本症は1977年アメリカ・コネチカット州ライム地方で小児の再発性関節炎がライム関節炎として報告されたことに始まり、第I期(早期限局期:遊走性紅斑、インフルエンザ様随伴症状など)、第II期(早期拡散期:神経症状、関節痛、循環器症状など)、第III期(晩期:慢性関節炎、進行性脳脊髄炎など)の全身性諸症状を呈する感染症である2) 。日本国内でライム病を媒介するのはシュルツェマダニであり、北海道では平地にも、本州や九州では山岳地帯に棲息している。欧米では毎年1万人前後のライム病患者が発生しているが、本邦では最近10年間で毎年10例前後の患者発生が確認されているのみである。
本邦のライム病は北米例に比べて重症例が少なく、遊走性紅斑などの皮膚症状にとどまる症例が大部分である。最近、B. burgdorferi の遺伝子型の解析から、B. burgdorferi sensu stricto、B. garinii 、B. afzelii の3つの亜種が同定され、欧州での分離株は病原性の弱いB. garinii やB. afzelii が多く、北米には病原性の強いB. burgdorferi sensu strictoのみが存在することが明らかにされた3) 。地域による臨床症状の違いはこれらの亜種の地理的分布によると考えられる。欧米では早期拡散期ライム病患者の20〜50%に肝機能異常が報告されているが、本邦で肝機能障害例の報告はない。肝障害発症機序として、ボレリアの肝への侵入による直接障害、または宿主側の免疫反応による肝障害が推定されているが詳細は不明である。
ライム病は病期の進行を抑えるために適切な治療が必要である。早期限局期には殺ボレリア作用が強力なペニシリン系のアモキシシリンや、消化管からの吸収と神経系への移行が良好なテトラサイクリン系のドキシサイクリンを投与し、これらの薬剤が禁忌の症例では第3世代セフェム系のセフロキシムアキセチルを使用することが推奨されている2,3) 。キノロン系、サルファ剤、第1世代セフェム系、およびアミノ配糖体は無効である。
結 語
急性肝炎を呈したライム病を経験した。本邦ではライム病による肝障害例は報告がないが、急性肝炎の原因検索において鑑別診断上念頭に置く必要がある。
参考文献
1)馬場俊一、他、日皮会誌 97: 1133-1135、1987
2)川端寛樹、総合臨床 52: 1183-1190、2003
3)川端眞人、小児科臨床 52: 683-686、1999
飯塚病院肝臓内科
田尻博敬 増本陽秀 矢田雅佳 千住猛士 本村健太 小柳年正