2010年に国内の医科大学ならびに大学病院では百日咳疑いの集団感染事例が発生し、国立感染症研究所では地方衛生研究所、保健所、大学などと協力して起因病原体の検索を行った。これらの事例では当初感染が疑われた百日咳菌(Bordetella pertussis )がほとんど検出されず、起因病原体として百日咳菌以外の細菌や呼吸器系ウイルスの関与が強く疑われた。ここでは3事例の病原体検索の結果を述べるとともに、百日咳疑いの集団感染において百日咳菌と鑑別が必要な病原体について考察を加えた。
事例1:2010年5〜6月に学生を中心に長期の咳とその一部に発熱者が認められ、百日咳またはマイコプラズマの集団感染が疑われた(表1)。咳症状は全学生の19%(87/465名)に認められ、特に2年生に有症者が集積していた(43%、41/96 名)。そこで、咳有症者10名と無症状者5名から鼻腔スワブを採取し、百日咳菌、百日咳類縁菌(パラ百日咳菌、Bordetella holmesii )、マイコプラズマ、クラミジア、ボカウイルスについて遺伝子検査を実施した(第1回検査)。その結果、無症状者1名からボカウイルス遺伝子が検出されたものの、その他の病原体はすべて陰性を示した(表2)。第2回、第3回検査では呼吸器系ウイルスについて喀痰と咽頭スワブを検査材料に遺伝子検査を実施し、第2回検査では職員3名全員からライノウイルスA遺伝子を検出した。第3回検査では職員と学生を対象に検査を実施し、2名からライノウイルスA、1名からエンテロウイルス68、1名からパラインフルエンザウイルス3を検出した。第3回検査では無症状者17名についても同時に検査を実施したが、ライノウイルスをはじめとする病原体はすべて陰性であった。なお、ライノウイルスは発症から7日以内の場合、高い検査陽性率を示した。以上の検査結果から、本集団感染の起因病原体として鼻風邪ウイルスであるライノウイルスの関与が強く疑われた。
事例2:2010年6月に看護実習生と学生を中心に夜間に激しい咳が認められ、百日咳またはマイコプラズマの集団感染が疑われた(表1)。流行探知時の咳有症者は51名であり、発作性と連続性の咳症状を主訴とする学生と病院職員14名について遺伝子検査が実施された。遺伝子検査では百日咳菌、百日咳類縁菌、マイコプラズマ、クラミジア、ボカウイルスは陰性を示したが、4名からライノウイルスが検出された(表2)。陽性者4名のうち3名は同じ学科に所属する学生であり、1名は大学職員であった。遺伝子解析の結果、学生3名はライノウイルスCの感染、職員1名はライノウイルスCの他にAまたはBの重複感染が確認された。なお、学生1名には37℃の発熱が認められていた。これらの検査結果から、本集団感染の起因病原体としてライノウイルスの関与が強く疑われた。
事例3:2010年6月に学生を中心に気管支炎様症状の流行が認められ、20名以上が咳症状を呈した。百日咳の集団感染が疑われたため、11名の咳有症者について百日咳菌、百日咳類縁菌、マイコプラズマ、クラミジア、ボカウイルスの遺伝子検査が実施された(第1回検査、表2)。検査では1名から百日咳菌遺伝子がわずかに検出されたため、陽性者と疫学的関連性のあるグループ10名について追加の遺伝子検査が実施された(第2回検査)。第2回検査では1名がB. holmesii 陽性を示したが、その他の病原体はすべて陰性であった(表2)。この集団感染疑い事例では百日咳菌とB. holmesii がそれぞれ有症者1名から検出されたが、これらが集団感染の起因病原体である可能性は低いと判断された。
今回の集団感染事例では1事例から百日咳菌とB. holmesii が検出されたが、残り2事例ではライノウイルスが複数の有症者から検出された。ライノウイルスは風邪症候群の原因ウイルスの一つであり、大人の風邪の多くを占め、特に春(5〜7月)と秋(9〜11月)が多いとされている。今回の集団感染事例も5〜6月に発生しており、ライノウイルスの流行時期と一致した。これまでに百日咳菌と鑑別が必要な病原体として百日咳類縁菌(パラ百日咳菌、B. holmesii )、マイコプラズマ、クラミジア、ボカウイルスなどが知られていたが、今回の事例解析により新たにライノウイルスの鑑別の必要性が指摘された。
ライノウイルスの主症状は鼻症状や咽頭症状であり、咳は7〜10日で沈静化するとされている。一方、百日咳に罹患した青年・成人の臨床症状は2週間以上の長引く咳であるが、その症状は小児に比べて非典型的であるため臨床診断は困難である。ライノウイルス、百日咳菌ともに確定診断には遺伝子検査が有効であり、百日咳菌に対しては市販の百日咳菌検出試薬キット(栄研化学)が利用可能である。しかし、ライノウイルスは多様な遺伝子構造を持つため簡便に検査することは難しく、一部の民間検査会社で実施されているにすぎない。そのため、百日咳疑いの集団感染が発生した場合は、まずは遺伝子検査により百日咳感染を否定することが重要となる。国立感染症研究所・細菌第二部では、集団感染事例と重症例に限って百日咳の診断協力を行っている。
徳島県立保健製薬環境センター
徳島大学病院安全管理対策室感染対策部門
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埼玉医科大学感染症科・感染制御科
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国立感染症研究所
感染症情報センター、ウイルス第一部、細菌第二部