動的分子系統樹解析で明らかになった本邦のHIV-1 CRF01_AEの疫学動向
(Vol. 32 p. 284-285: 2011年10月号)

1. はじめに
HIV-1は、遺伝子配列変異から9つのサブタイプとCRF と呼ばれるサブタイプ間の組換え体に分類される。本邦において主に流行しているのは、subtype B (88%)とCRF01_AE(9%)である1)。Subtype Bが主に男性同性愛者(MSM )の間で流行しているのに対して、CRF01_AEは異性間接触や外国人と関連があるといわれている。これは、CRF01_AEが本邦のHIV/AIDS流行の黎明期にあたる1990年代初頭に、東南アジアのアウトブレイクに伴って侵淫したためと説明されている。近年の分子疫学研究によって、本邦のCRF01_AEの海外からの侵淫は複数回起こっていることがわかってきた2)。したがって、本邦のCRF01_AEの流行動態は、複数の流行集団を含んだ複雑なものである可能性がある。しかし、これまで行われた研究は検体数や採取地域が限定的で、日本国内の状況を十分に明らかにしていない。最近、我々は厚生労働科学研究費エイズ対策研究事業「国内で流行するHIV 遺伝子型および薬剤耐性株の動向把握と治療方法の確立に関する研究」班に集められたHIV-1の塩基配列情報を最新の動的分子系統樹解析によって分析し、本邦におけるCRF01_AEの感染動態を推定した。

2.動的分子系統樹解析とは
HIVは、感染から発症までの期間が長く、来院調査で感染のトレンドを知ることは難しい。一方、近年の電算機の進歩によって、大量の塩基配列データの複雑な科学計算処理により既存のウイルス遺伝子が過去に辿った進化過程を比較的正確に推定することが可能となってきた。この「動的分子系統樹解析」を使えば、十分な数の塩基配列から感染イベントの時間的分布を推定することが可能である。我々は、3,618人のHIV-1感染者からCRF01_AEに感染している244検体を見出し、そのpol遺伝子配列を決定して動的分子系統樹解析を行うことで、日本国内で感染を広げている感染クラスタの同定と、それぞれの感染クラスタの祖先ウイルスの存在時期の推定を行った。

3.CRF01_AEの感染クラスタの同定と侵淫時期の推定
CRF01_AEの国内感染者の塩基配列から、29個の国内感染クラスタが同定された(図1)。244人の感染者のうち70人は、これらの感染クラスタのいずれかに属するウイルスに感染していた。感染クラスタに3人以上が含まれるクラスタは4個しかなかったが、これらの中には6人の感染者を含むものもあり、CRF01_AEが沢山の小さな感染集団と少数の大きな高リスク集団への感染で維持されていることがわかった。このクラスタ分布の特徴は「スケールフリー性」といわれ、社会的ネットワークの構造によく見られる。時間系統樹で推定された祖先ウイルスの存在時期は、大きな感染クラスタではすべて1990年代初頭であるのに対して、小さな感染クラスタは2000年周辺であった。このことは、CRF01_AEが異なる2つの波に分かれて日本に侵淫してきたことを示している。

4.CRF01_AE感染クラスタの地理的分布とリスク因子
大きな感染クラスタの感染者が受診した医療機関は、広範囲に分布していた。地方をまたぐクラスタは2名で構成されるものでも観察されており、CRF01_AEの感染が地域を越えて広がっていることを示唆している。一方、感染リスク因子は、クラスタによって異なっている。小さなクラスタは日本人同士が多く、少なくとも片方がMSMであるケースが8個あった。異性間接触と関わりのある小さなクラスタは10個ほどあるが、そのうち2個は男性同士のカップルであり、未捕捉の女性がいるか、リスク行動に関して虚偽の報告をしている可能性がある。一方、大きなクラスタは東南アジア出身者が目立ち、多くの感染者が異性間接触で感染したと主張していた。また、全体で9人しか確認されない注射薬物常用者(IDU)のうち7人が、大きなクラスタに属していた。

5.最後に
CRF01_AEの本邦への侵淫は、1990年代から少なくとも数十の異なるウイルスによって起こされている。侵淫開始時期は、東南アジア各国で本型のHIV-1が流行を始めた時期と一致しており、この流行と初期のウイルスには密接な関係があることが示唆される。この時期のウイルスは、主に異性間接触によって感染を広げ、現在でもその系譜にあるウイルスが維持されている。初期の侵淫は、海外での流行が一段落する1990年代後半にいったん少なくなるが、2000年代あたりから再び増加に転じているように見える。新しく侵淫してきたウイルスの形成した感染クラスタはまだ小さいが、subtype Bでいわれているのと同様にMSMコミュニティーでの流行が疑われるため、今後の動向には注意すべきであろう。一方、古い大きな感染クラスタへのIDUの関与にも注目すべきである。注射薬物常用というリスク行動は、感染者にとってMSM以上に口外しがたいものである。にもかかわらず関連が見られることは、大きな感染クラスタの長期間の維持と広範囲への拡大に、IDUが少なからず寄与していることを示している。筆者の懸念は、他のリスク行動を促すことにもつながる薬物使用を核にしたコミュニティーで、CRF01_AEの感染が促進されることである。こうした超高リスク集団は、公衆衛生上の潜在的な危機である。

 参考文献
1) Hattori J, Shiino T, et al ., Antiviral Res 88: 72-79, 2010
2) Hase S, et al ., J AIDS Res (in Japanese) 12: 104-109, 2010

国立感染症研究所感染症情報センター 椎野禎一郎

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